フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

さくらの日

2008-03-27 20:52:55 | Weblog
今日は日本さくらの会が「×=27」の語呂合わせで1992年に制定しました。
『三日見ぬ間のさくらかな』という表現がありますが、何とこれは俳句で江戸時代の俳人、大島りょう太の「世の中は 三日見ぬ間の 桜かな」の後の部分から伝わってきたものです。
もうひとつ「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠んだのは良寛さんです。
さて、この桜の美しさといえば、開花宣言が出るまで我々に夢を与え続け、その仕事を終えると美しくいさぎよく舞い散っていく、散り際があげられます。絶頂期に散る美しさとしてよく例えられます。この「散り際」「引き際」で過去、私は2人の人物を桜の散る姿とだぶらせます。
その1人が財界の鞍馬天狗といわれた日本興業銀行の第2代頭取、中山素平さんです。昭和43年、63歳で頭取を退き、さらに2年後には会長職も退き、その際の「出処進退」の処と退は自分で決めるという台詞には感動したものでした。
もう1人は名人横綱栃錦です。もちろん後に理事長も勤めあげましたが、現役を退く際のあざやかさは語り種となっています。
先代若乃花との全勝同士の横綱決戦に破れ、それを最後に引退した栃錦にはすがすがしささえ感じたものでした。
但し引退とは、自分の残してきたものに責任を負う事が出来ると感じたときにこそ、その潔さを発揮してもらいたいという条件を、私は敢えてつけるのですが・・・。

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