ペリーが箱館(函館)を訪れたのは1854年(嘉永7年)5月17日~6月7日のことであった。日米和親条約を結び、下田・函館の開港が布告されると、ペリー提督はまず箱館に向かった。
ペリー提督日本遠征記(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Sea and Japan, M.C.ペリー、F.L.ホークス編纂、宮崎壽子監訳)によると、僅か3週間の滞在であったが、箱館奉行並びに松前藩家老との会見に加えて、航路及箱館港の測量や海図作成、町と人々の暮らし、寺院と信仰心、自然・地形・地質、日本の船、風俗・習慣・職業・美術・工芸など広範な調査を実施している。随行した二人の画家は詳細な絵図を残し(上記書物に三十数枚掲載)、植物学者は採集した植物標本を本国に持ち帰っている(拙ブログ2012.9.7)。
このペリー来航150周年を記念して、2002年(平成14年)函館元町公園下に「ペリー来航記念碑」が建立された。この場所は、旧市立病院跡、開港時のアメリカ領事館が置かれた場所に近い。ペリー像は、函館山を背にして、港を見下ろすように立っている。
作者は小寺真知子。函館出身(函館東高卒)、ローマ在住の彫刻家(2012年62歳で逝去)。ペリーの生誕地ニューポート市にあるペリー全身像をモデルにしたと言うが、威厳に満ちた姿である。作者はこのほかにも、五稜郭の「土方歳三立像」「土方歳三座像」「赤い靴の少女像」など多数の作品を函館に残している。
ペリー提督像の足元にクロフネツツジ(カラツツジ)が植えられている。「黒船来航」の言葉に掛けた演出なのだろう。訪れた5月初め、クロフネツツジは淡いピンクの花をつけていた。ツツジ科ツツジ属。学名Rhododendron schlippenbachii。英名はRoyal azalea。大輪でツツジの女王とも呼ばれる。中国東北部・ロシア極東部・朝鮮半島に自生しており、江戸時代初期に日本に導入されたという。
なお、ペリー来航に係る記念碑は、横須賀市久里浜の「ペリー上陸記念碑」と伊豆下田の「ペリー艦隊来航記念碑」がある。久里浜の「ペリー上陸記念碑」は、1901年(明治34年)7月14日に除幕式が挙行され、石碑には大勲位侯爵伊藤博文の筆で「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と記されている。太平洋戦争下に倒され、戦後再建されるなど翻弄された歴史を持つ。また、下田の「ペリー来航記念碑」は1966年(昭和41年)建立、2002年(平成14年)現在地に移転。記念碑には、彫刻家村田徳次郎のペリー像が置かれている。傍らには、2004年(平成16年)150周年を記念してジョージ・ブッシュ第43代大統領から贈られたメッセージプレートがあり、ニューポート市から贈られた「日米友好の灯」は今も燃え続けている。