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恵庭の寺-6,弘法大師を祀る寺 「金毘羅山弘隆寺」(高野山真言宗派)

2015-03-15 15:52:56 | 恵庭散歩<歴史・碑文・神社仏閣・彫像>

恵庭散歩-「寺院」の章

恵庭における開拓移住が後半に入った頃(大正から昭和の初期であるが),浄土真宗や禅宗以外の寺院(例えば,真言宗,日蓮宗,法華宗など)が次々と創建されている。移住当初は浄土真宗信仰者が多い山口や北陸地方,禅宗が優越していた東北地方出身者が多かったが,その後,全国各地からの移住が進み定住人口が増加するにつれ,2宗派以外の寺院も必要になったと言うことだろう。

高野山真言宗派の金毘羅山弘隆寺も大正時代の布教から始まる。

  

6.金毘羅山弘隆寺(こんぴらさんこうりゅうじ),高野山真言宗派

所在地は,恵庭市文京町4丁目。JR恵庭駅の西方向1.7km,徒歩で25分ほどの距離にある。恵南柏木通の美咲野2丁目と文京町4丁目の交差点(信号)から,北東方向へ向かう道路を入った所と説明した方が分かりやすいかも知れない。

この寺は,大正8年(1919)秋山宥猛師が本尊を金毘羅大権現として布教を始めたのが金毘羅寺始まりとされる。恵庭市史には「小樽市古義真言宗高野派金毘羅大本院住職秋山宥猛師が,恵庭村大字漁村453番地に千歳郡説教所設置願を提出」とあることから,小樽市金毘羅大本院と弘隆寺を兼務する形であったのだろう。なお,秋山宥猛和尚は明治41年(1908)に倶知安町にある金毘羅寺をも建立している(金毘羅寺開基和尚)。布教に熱心な僧侶だったのだろう。

その後弘隆寺は,昭和3年(1928)に説教所の認可を受け,昭和10年(1935)漁村472番地(文京町)への移転,昭和40年(1965)宗教法人千歳教会の認証認可,昭和48年(1973)弘隆寺の寺号認可を得て,現在に至っている。

山門の門柱には金剛力士像が置かれ,境内には桜の木が数本植えられている。正面には金毘羅大権現を祀る本堂があり,本堂の左手には八十八ヶ所地蔵尊,馬頭観音菩薩の碑,愛玩動物畜生道解脱の碑などが建立されている。参詣に訪れる人も多いようだ。本堂前のユルキャラ「こうやくん」が,今風に参詣者を迎えている(写真は2014.12.5撮影)。

弘隆寺のHPによると,年中行事として,元朝祈願会並びに供養会(新年を迎える零時刻),節分会,彼岸会(春秋),新四国八十八ヶ所山開き・山納め法会(年2回),愛玩動物供養・馬頭観音菩薩会(年2回),弘法大師正御影供養・降誕会・仏生会・成道会,孟蘭盆施餓鬼会・塔婆供養会,諸祈願などが施行されている。

この寺では,「葬儀・諸供養」のほか,「諸祈願」にも幅広く対応している。祈願に重きを置くのは,この寺がいわゆる密教の流れを汲む宗派だからだろう。即ち,空海の真言宗系の密教(東密)で,大日如来を本尊とする深遠秘密の教えであり,加持,祈祷を重んじることによる。「三密」と言う言葉がある。即ち,身密(手に諸尊の印相を結ぶ),口密(口に真言を読誦する),心密(心に曼荼羅を観想する)の修業により,大日如来と一体となり,即身成仏が可能となるとの教えである。

◆金毘羅山弘隆寺の概要

所在地:恵庭市文京町4丁目

本寺:高野山金剛峰寺

本尊:金毘羅大権現(弘法大師・波切不動明王)

住職:秋山宥猛(初代,小樽),山本隆親(二代),○○(三代,倶知安金毘羅寺住職兼務),秋山有洋(四代)

沿革(歴史)

大正8年(1919)5月:本尊を金毘羅大権現とし,布教を始める。

昭和3年(1928)7月:千歳郡説教所の設置が認可される(同年4月小樽市古義真言宗高野派金毘羅大本院住職秋山宥猛師が,恵庭村大字漁村453番地に設置願を提出)。建物を建設し布教につとめる。

昭和10年(1935)9月:漁村472番地(文京町)への移転認可を受け,建物を建設(なお旧建物は昭和6年火災により焼失)。

昭和16年(1941)3月:真言宗千歳教会と改称。

昭和40年(1965)3月:宗教法人千歳教会の認証許可を得る。

昭和48年(1973)9月:弘隆寺の寺号公称が許可される。

参照:恵庭市史,弘隆寺HP

  

◆2016年改築建立なった金毘羅山弘隆寺

  

◆高野山真言宗

高野山真言宗は,真言宗の宗派の一つである(高野宗,高野派ともいう)。

なお,真言宗は,平安時代(9世紀初頭)に空海(弘法大師)が開いた日本仏教の宗派で,最澄が開いた天台宗とともに「平安仏教」と呼ばれる。いわば,日本仏教の源となる仏教思想である。空海は,長安(唐)の青龍寺で恵果から密教を学び,帰国後に真言宗を開いている。即ち,弘仁7年(816)に高野山金剛峰寺を修禅の道場として開創の勅許を得た。

因みに,宗祖空海は讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)の生まれで,仏教者であるほか,思想家,著述家,能書家(三筆と呼ばれた)としても名を残している。

真言宗は日本の仏教宗派の中で最も多く分裂派生していると言われ,その流れは理解できないが,大きく分けると弘法大師の直系的な古義真言宗と,真言宗中興の祖・覚鑁(かくばん)上人の教学を元とした新義真言宗に分けられる。更にそこから多種多様に分裂派生し,現在では主要な門派が18に大別され,「真言宗十八本山」と呼ばれるようになったと言う。

高野山真言宗派は,古義真言宗系の一派で金剛峰寺を総本山としている。属する寺院数は3,000を超え,信徒は約1,000万人と言われる。僧格を細かく定め,寺格も総本山,本山,別院,一般寺院などに分類される。真言宗系の教育機関としては,高野山大学ほか,高校,中学校も数多い。

開山:空海(弘法大師,774-835),弘仁7年(816)開創。現在の座主(管長)は413世。

本尊:大日如来

総本山:高野山金剛峰寺(高野山全体が総本山とされる)

経典:大日経,金剛頂経ほか

教義:即身成仏(この肉身のまま究極の悟りを開き仏となる),密厳国土を教義とする。中心の本尊は宇宙の本体であり,絶対の真理である大日如来である。いわゆる密教は,「大日如来を本尊とする深遠秘密の教え,加持,祈祷を重んじる。空海の真言宗系を東密,最澄の天台宗系を台密とよぶ」(小学館,デジタル大辞典)。

後に,様々な大師信仰が生まれている。例えば「入定信仰」,弘法大師が奥の院に生き続けるとする。例えば「遍路巡拝と同行二人」,八十八か所の遍路修行をすること,我は大師と二人連れなりと考える。例えば「九度山頂石道」,九度山の慈尊院から山上の大門へ通じる参道(町石道)を信仰の道と考える,等々である。

注意:わが国の寺院は,檀家と呼ばれる信者を抱え,先祖を供養する一方経済的基盤を檀家や信者の財施に依っている場合が多い(檀那寺)。一般の方が境内へ立ち入るときは,許可を得るなど礼節を重んじること。

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