屋号(家号,やごう)とは,家に付けられる称号のことである。日本だけでなく,ヨーロッパ(ドイツ語圏)にも使用される例があるそうだ。日本では,江戸時代に士農工商の身分制度の下,原則として武士以外の者は苗字を名乗ることが出来なかったので,商人や豪農(庄屋,名主)が取引上の必要性や日常生活上の便宜性から屋号を使うようになったとされる。例えば,越後屋,加賀屋,高田屋・・・。
日常生活上の便宜性から屋号が使われている例として沖縄が取り上げられるが,奥伊豆の山村でも屋号で呼ぶ習わしがある。同じ苗字が多いため,屋号で各戸を区別している。例えば,「宮下」「宮の脇」「御庵」「茶屋の下」など神社や施設との位置関係で,「大家」「隠居」「増屋」「新家」など家の育ちで,「新田」「御代畑」「広畑」「畷」「柳沢」「段」「井戸の窪」「根岸」「谷戸の下」「松下」「下芝」「角脇」「木橋」など場所の特徴から,「麹屋」「大黒屋」など職業から付けられたと思われるものが多い。
租税徴収を目的に土地に「地番」が付され(明治4年),住所表記のために「番地」を使うようになっても(明治19~31年),代々引き継がれる屋号は便利な呼称として,集落では今も生きている。
ちなみに苗字については,公家や武士は奈良平安時代から名乗っていたが,江戸時代になって庄屋・名主・旧家にも広まった。一般庶民が苗字を義務付けられたのは1870年(明治3)の「平民苗字許可令」を経て,1875年(明治8)2月13日公布の「平民苗字必称義務令」による。どのように苗字を決めたか,証明するものはないが,
「和尚さん,何て苗字を付けたら良いだろう?」與平が尋ねる。
「御先祖様の本家筋は,武田信玄の武将でこの地に落ちてきた土屋氏に仕えた方だ。その苗字を頂いたらどうだ」
「俺ん家も,同じにすべえ」傍にいた幸蔵が応じる。
「與左衛門さん,旦那の苗字を貰う訳にはいかんかね?」惣助が聞く。
「いいとも,小作と言っても親子同然だ」
このようなやり取りがあったのかも知れない。
また,屋号を苗字に使う場合もあった。
「鍛冶屋の喜助だから,鍛冶喜助にしよう・・・」
長男以外の男子も戸籍上は親の姓を名乗ることが多く,代を経ると同じ苗字が増えて行く。同姓の各戸を区別するためにも,屋号が必要だったのだ。だから田舎では,「下田市須原1番地の○○一郎(姓名)」と言うより「△△(屋号)の一郎さん」の方が通用する。
だから,たまに帰郷して畦道を歩いていると声が掛かる。
「△△(生家の屋号)の○○じゃないか?・・・」
半世紀がとうに過ぎても,そこで生まれたと言う歴史は刻まれている。
この地方の墓地を覗いてみればわかるが,墓石には「先祖代々の墓」に加えて「屋号」も刻まれている。
このような屋号も,戦後の経済発展期を迎えると田舎から都会へ人口流出が進み,更には核家族と言われるように「家」の概念が薄らぐにつれ,昔のような重みが無くなったのは確かだ。今では屋号を公式表記(住所表記など)に使うことがないので,やがては消えゆく文化なのかもしれない。
一方,最近になって,商売で使うために「屋号」を付ける例が見られる。いわば商号で,商標登録される。ネット社会では個人・フリーランスで商売をする人々が増えているが,商号を付けることにより信頼を得ようとする動きなのだろう。
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