元旦,雑煮の準備をしていると電話が鳴った。
「コモ・エスタ ○○! 北海道は寒そうだね」
「やあ,新年おめでとう。清々しい朝だよ。皆さん,お元気?」
パラグアイ在住のMさん(日系二世)からだった。Mさんは日本語堪能だが,セニョーラとは時々スペイン語を取り混ぜた会話になる。
「フェリシダーデス! おめでとう・・・ああ・・フェリス・アーニョ・ヌエボ!」
これから,娘さん家族のところで一緒に新年を迎えるのだと言う。日本との時差が12時間,日本の元日の朝はパラグアイの大晦日の夕方にあたる。時刻を見計らって電話を掛けてきた心遣いが嬉しい。
パラグアイでは,家族や近しい人々が集い,持ち寄った料理とアサード(焼肉)を食べながら新年を迎えるのが慣例だった。エンカルナシオンで暮らしていた頃,招いたり招かれたりしたが,新年のカウント・ダウンと同時に彼方此方で花火を打ち上げ,「フェリス・アーニョ・ヌエボ!」とワインの杯を挙げるのだった(朝起きてみたら,庭に拳銃の弾らしきものが落ちていたこともあったが・・・)。夏のクリスマス,雪のない正月であった。
パラグアイ日系社会の移住の歴史は南米の中で最も浅いが,経済活動の中心は既に二世から三世の世代に移りつつある。
年賀の挨拶を頂いた中で,
「昨年11月,農林水産大臣賞を頂きました・・・」という,故郷の友(高校同期生)の便りは嬉しかった。故郷に残って,地道に竹林を整備し,竹炭や筍加工など地域振興に尽力した友の姿が偲ばれた。春になったら,「竹一筋」の話を是非聞きに行こうと思う。
また,「年賀状は止めて,生存報告にします・・・」「喪中ですが,年賀状は出して下さい・・・」など,日頃の付き合いが減って年賀状だけの結び付きも多くなったが,これはこれで結構年の節目を意識するものだ。
竹に節があり,樹木に年輪があるから風雪にも耐えることが出来る。同様に,草花に種子となり球根となって休む季節あり,季節に冬があり,一日に夜があるように,年の節目を大事にしたい。生きるとは,節目を繋ぐことだから。
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