恵庭散歩-「神社」の章
私達は,神社とどのような関わりをもって暮らしているのだろう?
「初詣に行った」「七五三のお参りをした」「結婚式を挙げた」「五穀豊穣を祈願した」「地鎮祭を行った」等々,誰もが少なからず神社参詣を体験している。或いはまた旅の途中で,由緒ある神社に詣で,歴史に思いを馳せ,世界の平和を祈り,穏やかな気持ちになった経験もあるだろう。祭礼儀礼を信仰形態とする神社神道が主体となった現在,大衆の信仰心が薄れても,地方が衰退し村祭りが消えたとは言え,私達の心の片隅には神社を意識する何かが存在する。
新年を迎えたばかりの或る日,恵庭の神社に詣でようと思い立った。
恵庭市内には,北海道神社庁に包括される4神社が祀られている。即ち,「豊栄神社」「恵庭神社」「島松神社」「柏木神社」である。後述するが,これら神社の創祀は北海道開拓と深い関連があり,それぞれの地域に密着した存在である。先ずは,「豊栄神社」を訪ねよう。
1.豊栄神社(とよさかじんじゃ)
「とよさかじんじゃ」と読む。所在地は恵庭市大町3丁目6番5号,JR恵庭駅の北東に位置し,駅から徒歩10分,恵庭市エコバスの停留所もある。恵庭中学校,柏木小学校に隣接して東側,旧道に面していると言った方が分かりやすいか。参拝した日は,大雪の後で車道は狭くなっていたが,境内は除雪が行き届いていた。社務所前に駐車スペースがある。
祭神は,大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)と豊宇気姫神(とようけひめのかみ)。大国魂大神は官幣大社札幌神社(現北海道神宮)から奉還した祭神であるが,古事記や日本書紀に登場する「大国主」の別称とされる。一方,豊宇気姫神は山口県からの移住者が故郷の豊栄神社の祭神豊宇気姫神の分霊を仰いだことに由来する。古事記に登場し,伊勢神宮の外宮に祀られている事でも知られるが,「ウケ」は食物のことで,食物・穀物を司る女神とされる。
創祀は明治7年(1874)で、恵庭で最古の神社である。地域の住民が小さな祠を建て五穀豊穣を願ったのが始まりで,明治19年以降に山口県からの団体移住者が郷里神社の分霊を得て祀った旧豊栄神社が礎になっている。
社殿は「神明造」(写真は2015.1.24,1.28撮影)である。伊勢神宮に代表される古い神社建築様式で,直線的な外観が特徴である(両国国技館の吊り屋根もこの形)。北海道神社庁HPによると,氏子世帯数1万世帯,崇敬者300人とある。恵庭最古の神社であり,市街地にあることから参拝者も多い。
境内には,推定樹齢三千年と称される櫟の大木(径150cm,樹高20m)が神木として植えられている。「昭和四十三年開道百年を迎えるに当たり記念事業として恵庭営林署に乞い受け昭和四十六年八月十八日移植完了す・・・」と説明板にある。記述によれば,「太古の老樹は深山ラルマナイ漁分担区標高500m地にあり神武天皇紀元前と推定され,明治四十二年の山林火災でも唯一生き残り,昭和二十九年の未曾有の大風水害にも堂々としていた。この尊厳の姿を永久に慕って欲しい」とある。
また,境内に「幸せを呼ぶ御柱」(平成22年11月23日奉斎,写真は2015.1.28撮影)がある。平成二十五年の第六十二回式年遷宮にあわせて,伊勢神宮より御神木を頂き奉斎したものだと言う。説明板によると,三本の御柱には「健康(長寿・無病・健やか)」「安全(平穏・除災・無事故)」「繁栄(子授け・招福・愛・志)」の祈願が込められており,神殿に置かれた三つの幸神臼には「子宝」「合格」「成就」の願いを込めて奉斎した,とある。
豊栄神社の概要
所在地:恵庭市大町3丁目6-5
祭神:大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)と豊宇気姫神(とようけひめのかみ)
旧社格:村社,郷社
創祀:明治7年(1874)
祭礼日:9月20日
社殿様式:神明造
由緒(歴史)
明治7年(1874)6月15日:移住者が集まり,茂漁386番地(現大町214)の境内に稲荷大神を奉斎する祠を建立し,五穀豊穣を祈念し収穫感謝祭を行った。
明治24年(1891)8月25日:七坪の社殿を建立し,官幣大社札幌神社(現北海道神宮)から大国魂大神を奉還し祭神とする(発起人塩谷栄作,野原久造,山森丹宮ら,氏子23名)。札幌神社の遥拝所として氏子崇敬者の信仰篤く,「絵庭神社」と称す。
明治34年(1901)9月25日:恵庭神社としての公称認可を受ける(8月24日神社創立を出願)。無格社。
明治44年(1911)7月19日:旧豊栄神社を恵庭神社に合祀し,神社名を豊栄神社に変更公称の許可を受ける。(なお,旧豊栄神社は,明治19年以降山口県から団体移住した人々が岩国の郷社である豊栄神社の祭神豊宇気姫神の分霊を仰ぎ,中島501番地に祠を建立奉斎し,明治36年豊栄神社として公称許可されていた神社である。明治39年には社殿の新築もなり,氏子数155戸を数えていた。旧恵庭神社と旧豊栄神社は同一部落であったため,氏子総代相謀り合祀したものである)。この合祀により,祭神は大国魂大神と豊宇気姫神の二柱となる。
昭和9年(1934)8月27日:社殿造営完成。
昭和11年(1936)7月16日:村社列格となる。
昭和20年(1945)10月:郷社に列せられる。
昭和28年(1953)4月13日:宗教法人に認証される。
昭和47年(1972):漁村字盤尻885番地に祀られていた「神明社」(明治39年創祀,祭神天照大神。昭和41年には御陵神社を合祀)を合祀する。
昭和56年(1981)9月:現在の社殿が完成。
昭和58年(1983)4月1日:敬神婦人会設立。
昭和60年(1985)12月:社務所,職舎を改築する。
昭和63年(1988):氏子篤志者から神輿が奉納され,市民青年による神輿を担ぐ会「恵祭會」が発足。
平成4年(1992)9月15日:演舞場,神輿庫,お守所の改築。
平成16年(2004)12月:御鎮座百三十年記念事業として,境内参道の改修と石灯籠12基を設置。
平成17年(2005)6月12日:御鎮座百三十年記念大祭,記念式典斎行。同年9月20日記念誌刊行。
平成22年(2010)11月23日:伊勢神宮から御神木を頂き,「幸せを呼ぶ御柱」を奉斎。
年中行事
1月:歳旦祭,どんど焼き
2月:厄除け祓い,境内にて餅撒き
3月:人形供養祭
5月:春季例祭,境内にて餅撒き
6月:夏越の大祓い式
9月:秋季例大祭(宵宮祭,例大祭・神輿入りの前に境内にて餅撒き,後日祭)
10月:七五三詣
11月:新嘗祭
12月:古神札焼納祭,年越大祓式,除夜祭
社務所で,本間后宮司からお話を伺った。豊栄神社は,開拓以来地域住民と共にあったこと,祭司がいる恵庭唯一の神社であること,昔のように子供たちが集えるような神社でありたいこと,等々。
旧道から第一の鳥居を潜り,第二の鳥居を過ぎて参道に立てば,周囲を住宅に囲まれた境内とは思えぬ静寂が訪れる。冬の木漏れ日が参道に映え,神明造の本殿は荘厳である。この神社は,これからも市民の鎮守として崇拝者に応えるだろう。或いはまた,神社を巡る旅人が立ち寄っても良い。不安と憂いを抱える現代人が心の安らぎを求めて参拝するも良い。神職が常駐する神社だからこそ,お祓いや祈願に対応でき,絵馬の奉納,お御籤を引き,護符を求めることが出来る。
礼拝して世界の平和を願った。何故かしら,静寂の底から力が湧き出でるを覚えた。
因みに
日本には約8万の神社があると言う。この数は,文部科学大臣が所轄する包括団体に所属する神道系宗教法人の数であるから,未公認神社を含めれば膨大な数になるだろう。
ここでいう文部科学大臣所轄の包括団体とは,神社を束ねる団体宗教法人で(神社本庁,神社本教,北海道神社教会,本尊御嶽本教,石鎚本教など),全国に約15団体登録されている。中でも「神社本庁」が最大の組織で,組織率が99%を超え,各都道府県に神社庁を配し活動している。
北海道神社庁誌(平成11年)によれば,道内で北海道神社庁所属604社,北海道神社教会所属61社,単立社69社,未公認神社1,925社とある。
参照:恵庭市史,北海道神社庁公式HP(2015),豊栄神社資料(2015)
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