豆の育種のマメな話

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私の「本づくり」第3話 :「豆の育種のマメな話」自費出版する

2021-12-04 13:13:34 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

私の「本づくり」第3話

「豆の育種のマメな話」自費出版する(2000)

現役を退くに当たり、「豆の育種のマメな話」(B5版240p、北海道協同組合通信社2000)を自費出版して、お世話になった方々に贈呈した。この冊子では育種の裏話、心構えなど泥臭い体験を綴り、若い育種家たちへ「育種は継続、総合性、人間性」と育種心を伝えようと試みた。本書の内容をご理解頂くために、「目次構成」と「あとがき」を紹介する。

「豆の育種のマメな話」目次

序章 鎮魂の旅

*パンパ平原に君の姿は良く似合う

*未発表の「十勝鶴の子」

*鼓琴の悲しみ

第1章 育種の心

*豊満なお姫様「ヒメユタカ」

*早熟な小町「キタコマチ」

*多収を極めた「キタホマレ」

*「トヨムスメ」は如何にして選抜されたか

*リレー育種で誕生した「トヨコマチ」

*コンバインで刈れる豆「カリユタカ」

*パンダと呼ばれた黒大豆「トカチクロ」

*華麗に踊れ「大袖の舞」

*北国で花開いた南国大豆の難裂莢性遺伝子

第2章 コンバインで刈れる豆を創る

*機械屋と育種屋との会話

*難裂莢性という性質

*最下着莢位置を高める

第3章 南半球で育種する

*アルゼンチンへの大豆育種技術協力

*ガウチョの国で

*マルコスフアレスのモッシ―先生

*小さな大使たち

*総理官邸での昼食会

*育成品種第1号、その名はカルカラーニャ・インタ

第4章 遺伝資源収集マレー半島の旅

*遺伝資源探索で何をしたか

*母を訪ねて千五百里

第5章 育種は人、育種は事業

*トライする人々

*生産現場で考える

*育種家の履歴書

*艦隊は急に曲がれない

*効率化を求めているか

*育種家はロマンチスト

第6章 歴史に学ぶ

*北海道におけるダイズの歴史

資料 筆者の足跡

「豆の育種のマメな話」あとがき

・・・人生にはいくつかの節目があって、現役を退くときもその一つである。西暦2000年3月がちょうどその節目となった。

北海道の農業試験場で過ごした34年に区切りをつけ、次への一歩を踏み出すに当たり、ご支援いただいた多くの皆様への感謝を込めて、「豆の育種のマメな話」を取りまとめた。これは、いわば私自身の履歴書で公表するようなものではないが、育種家の一里塚としてご笑覧いただければ有難い。また、先輩諸氏には実名で登場願っている部分が多く、失礼が多々あろうと思うが平にご容赦願いたい。

さて、この本では育種(品種改良)をテーマにした。しかも、遺伝子レベルの話が出てこない伝統的な実践育種の話である。泥臭い話に、これが育種なのかとお笑いになる方がいらっしゃるかも知れない。だが、辛抱強く目を通して下さった読者がいたなら、「育種は人間らしさの追求である」との考えを、ご理解いただけるのではないだろうか。

20世紀に私たちは化学肥料、農薬、除草剤を開発し、機械化を飛躍的に推し進めた。しかし結果として、化学資材への過大依存と作目の単純化が進み、病害虫の多発や土壌の疲弊など農業が本来有していた「人間らしさ」を失いかねない状況になっている。私たちは今こそ、環境に優しい農業、活力ある農業経営、うるおいのある農村を目指して、人間らしく、品よく生きなければならないだろう。伝統的な育種は、これまでも「育種は持続型、育種は総合型、育種は生活型」との考えで取り組んできた。太陽エネルギーの効率的利用、病害虫抵抗性は永遠のテーマであった。これからも育種は「飢えたる民のために」を心に秘めながら「人間らしさ」を追求していくことだろう。

「育種は持続型」とは、選抜の過程でふらふらしない選抜眼の継続性、先輩から後輩への育種心の継続性、さらには育種事業の継続性を意味している。「育種は総合型」とは、単一な特性がいかに良くても品種としては落第という意味での総合性、育種グループが全体で取り組むという総合性、環境や機械など関連研究分野が一体となる総合性、さらには生産者や実需者も含める総合性を意味する。そして「育種は生活型」とは、人間を中心に考えるという意味である。

中央農業試験場を訪問した10年前の或る日のことであった。「あなたの担当した材料かあら、どうして多くの品種が生まれたのですか。選抜の勘所を教えて下さい」と、育種圃場の片隅で若い育種家から尋ねられた。この事がずっと気になっていた。1998年発行の「北海道における作物育種」(三分一敬監修、土屋武彦・佐々木宏編集)でその意図を含めようとしたが、必ずしも十分表現できたか疑わしく、この履歴書を記すきっかけとなった次第である。本書が彼の質問に明快な解答を与えたか疑わしいけれど、若い育種家諸氏への応援歌と受け止めていただければ有難い。そして、多くの皆様には、今日も又「育種は人間らしさを追求している」と認識していただけたら望外の喜びである。

なお、記述の中には独りよがりの点が多々あろうが、これもまた浅学非才の身の履歴書ということでお許し願いたい。出版に当たっては、北海道協同組合通信社社長岩船修氏に色々お世話になった。心より感謝申し上げる。

34年間のご交友に万感の感謝を込めて。

2000年3月  北海道比布の里にて 著者・・・

◇配布

400部印刷、2000年3月納品。3月は試験設計会議など会議が建て込み、さらには引っ越し、退職辞令交付など多忙を極め、関係者への冊子配布は中々進まなかった。また、4月は東京でJICA専門家海外派遣前研修、5月7日には成田出発と密なスケジュールだったので、多分百数十部を配布し終えたところで「帰国後に補充しよう」と出発する羽目になってしまった。帰国後も多忙に紛れて配布もままならず、多くの方に礼を失したのではないかと反省している。

残部の在庫は他の資料と共に断捨離対象になる運命か? と気になりだした。なお、国立国会図書館などには寄贈してある。

コメント
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