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恵庭の教会-3,恵庭にあるプロテスタント系教会

2015-04-19 14:48:04 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭散歩-「キリスト教会」の章

初回に取り上げた「日本キリスト教団島松伝道所」はプロテスタント系教派と述べたが,恵庭にはその他にも「恵庭福音キリスト教会」「日本福音ルーテル恵み野教会」「インマヌエル恵庭キリスト教会」「めぐみ聖書バプテスト教会」などプロテスタント系教派の教会がある。

恵庭にあるプロテスタント系教会を訪ねる。

 

3.恵庭福音キリスト教会

所在地は恵庭市緑町1丁目,JR恵庭駅西口から恵庭駅通二つ目の信号で右折した所にある。恵庭駅から400m,徒歩で5~6分。外観は一般住宅と変わらない建物だが,入り口に「日本福音キリスト教会連合,恵庭福音キリスト教会」とある(写真は2015.3.30撮影)。いわゆる「日本福音キリスト教会連合」に所属するプロテスタント系教派の教会である。

この教会は,平成元年(1989)に千歳福音キリスト教会の恵庭伝道所として,国際宣教会の協力でスタートしている。宣教師時代が10年,日本人牧師になって10年余が経過した。礼拝の他に語学,文化,料理,子育てなどを媒体にしながら,宣教の活動が行われて来た。現在の牧師は中川昭一師。日曜礼拝,バイブルクラブ,ぶどうの会,祈り会,シャーロームの会など小集会形式の活動が行われていると言う。

小学館「デジタル大辞典」によれば,「福音キリスト教会はプロテスタント教会の一教派。19世紀初め,ルター派のジェイコブ・オールブライトがメソジスト派の影響を受けて北米ペンシルベニアに興した教会。日本には明治9年に伝わった」とある。その特色は,「信仰告白に基づく結合」「聖書の権威を全面的に受け入れる」と要約される。即ち,日本福音キリスト教連合は,福音主義に立つ教会群で,聖書を誤りのない神の言葉として信頼し,これに服従する歴史的プロテスタントの基本教理を堅持する立場をとっている。同時に,福音的な教派や教会とも広く協力し,各個教会の自立性を尊重するのが特徴だと言われる。

4.日本福音ルーテル恵み野教会

所在地は恵庭市恵み野東2丁目,恵み野中学校に隣接している。JR恵み野駅の東方向1.4km,徒歩で20分 の距離,団地中央通りと恵み野環状線が交差する場所にある(写真は2015.3.30撮影)。JR恵み野駅前通りを直進する団地環状線を進むと分かり易いだろう。

岡田薫牧師により日曜礼拝が行われている。この教派では,式文による礼拝が行われるのだと言う。即ち,礼拝は開会の部,みことばの部,聖餐の部,派遣の部に分かれており,礼拝に招かれ,神の恵みを受け,派遣されて行くと言う一連のストーリーがある。年間礼拝(行事)は,聖金曜日,復活祭,昇天主日,聖霊降臨祭,三位一体主日,宗教改革記念日,バザー,召天者記念礼拝,待降節第一主日,燭火礼拝,降誕祭等が計画されている。

なお,ルーテル教会は,16世紀初めドイツのマルテイン・ルターによって始められたキリスト教派で,プロテスタントの一つである。ドイツ及び北欧地域,移民先のアメリカ合衆国,カナダ,ブラジル等に信者が多く,その数は全世界で8,200万人を超えると言われる。

日本ルーテル教会は,アメリカからの二人の宣教師が明治26年(1893)に佐賀でイースターの礼拝を行ったことに始まるとされる。明治42年(1909)には牧師養成のための神学校を設立,幼稚園教育や福祉活動を行うと共に布教に努めた。昭和16年(1941)政府の指示でプロテスタント教会が合同を強いられ日本キリスト教団を作るが,戦後の昭和22年(1947)年に離脱し日本福音ルーテル教会として再出発している。昭和38年(1963)には,その他のルーテル諸派と合同し新しく「日本福音ルーテル教会」を組織し現在に至っている。全国に138の教会と幼稚園,老人ホームなどの施設を持つと言う。

また,北海道のルーテル教会は,大正5年(1916)フインランドの宣教師と日本の牧師によって始まったとされる。昭和9年(1934)札幌に教会が建てられ,昭和12年(1937)にはめばえ幼稚園を開設。第二次世界大戦後に,札幌北,函館,池田,釧路,帯広,新札幌,恵み野に教会を建て礼拝を行っている。北海道教区が発足したのは昭和56年(1981)のことで,教区としての活動が続けられている。

 

5.インマヌエル恵庭キリスト教会

所在地は,恵庭市柏木町3丁目,道道江別恵庭線(旧国道36号線)に面して立つ。柏木神社,柏木中央会館の近くである。或いは,葬儀場メモリアル香華殿の島松寄りと言った方が分かり易いだろうか。住宅の屋根に十字架,二階の壁に「インマヌエル恵庭キリスト教会」の看板が見える(写真は2015.4.19撮影)。。同教会の紹介欄には「ウェスレーの説いた「第二の恵み」としての聖化の信仰を追求し,一人ひとりの霊的経験を重んじる,家族的な教会です」とある(イムマヌエル総合伝道団HP)。小田満牧師が伝道する(日曜礼拝と木曜夜にも定期礼拝がある),イムマヌエル総合伝道団に属する教会である。

なお,イムマヌエル総合伝道団は,プロテスタント系の教派で,「聖書はすべて誤りのない神の言葉であって,信仰と生活における唯一の基準である」と告白する福音主義(いわゆる聖書信仰)の立場に立つ。メソジストの流れを汲み,ホーリネス派(きよめ派)と呼ばれる教派に属する。

昭和17年(1942)の宗教弾圧で検挙されたホーリネス系教職者であった蔦田二雄師らが,戦後に教団「イムマヌエル」を結成したことに始まる。聖書信仰・聖書的ホーリネス・世界宣教の三つを課題に活動していると言う。

  

6.めぐみ聖書バプテスト教会

所在地は恵庭市末広町。恵庭市民会館の裏側,会瀬洞門通りに面している(写真は2015.4.19撮影)。同教会HPでは,昭和62年(1987)バプテスト・バイブル・フェローシップ宣教師ケン・ビエール師によって始められ,平成22年(2010)3月独立式を行い地方教会として正規に発足したとされる。牧師は高橋昌史師で,日曜学校,日曜礼拝を行っている。

なお,本教会が所属する聖書バプテスト教会は,昭和24年(1949),米国バプテスト・バイブル・フェローシップ諸教会から派遣された宣教師によって福音宣教が開始され,徹底した聖書主義に立つ保守バプテストの原理と実践を受け継いだ教会として組織されたプロテスタント系の教派で,各地で開拓伝道を進めている。

参照:各教派のHPなど

◇恵庭のキリスト教会

以上からも分かるように,恵庭におけるプロテスタント系教会の布教活動は,第二次世界大戦以降に始まったと考えてよい。いずれの施設も,神社仏閣に比べて佇まいは質素に見える。恵庭においてキリスト教伝道は歴史が浅く,信徒も少ない故だろう。ヨーロッパや中南米のような歴史と豪華さを備えた教会と比べる訳にもいくまい。

ヨーロッパや中南米の旧市街地では,中央広場(公園)に面して市庁舎や議会と並び教会が威容を誇っているのをよく見掛ける。それだけ,欧米ではキリスト教が生活の中心にあった。一方,我が国は神道と仏教を拠り所にしてきた歴史があり,恵庭開拓時代には神社仏閣の建立が優先された経緯がある。キリスト教は現在も開拓宣教の時代にあると言えるのかも知れない。

◇プロテスタント系キリスト教の学校

因みに,北海道では北星学園,遺愛学園,酪農学園などがプロテスタント系学校として知られている。北星学園は,明治20年(1887)アメリカ長老教会の女性宣教師サラ・C・スミスが開いた「スミス塾」が前身である。

遺愛学園は,明治7年(1874)アメリカ,メソジスト教会宣教師M.C.ハリスが来函し日日学校を開いたのが始まりである。彼は,アメリカ合衆国領事を兼ね,英語教師として札幌農学校で教鞭をとり,札幌農学校の第一期生佐藤昌介,大島正健ら15人,二期生の内村鑑三,新渡戸稲造,宮部金吾ら7名の洗礼を授けたことでも知られている。

酪農学園は,昭和8年(1933)黒澤酉蔵がデンマークの歴史にならい創設した北海道酪農義塾が前身。教育は,黒澤翁が唱えた「建土健民」「三愛主義」の考えが基軸となっている。なお,黒澤酉蔵は明治42年(1909)札幌のメソジスト教会で洗礼を受けている。

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