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恵庭の寺-4,漁村のお西さん 「敬念寺」(浄土真宗本願寺派)

2015-03-10 17:34:28 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭散歩-「寺院」の章

旅の途中で,或いは歴史を訪ねて神社仏閣に参拝した際はいつも,建造物の荘厳さや佇まい,建物に施されている彫刻の芸術性などに圧倒される。この感覚は,海外で古い教会を訪れた時に感じるものと同様である。宗教建築物や芸術性高い作品群は,殆ど全てが寄進によるものであろうが,当代の一流芸術家や技術者が製作して人類遺産となったものが多い。

ところで,私たちが一般に思い描く寺院はどんな姿だろう? 屋根が大きく緩やかに反った木造の大規模な建築物,装飾された建具などをイメージするのではないだろうか。

寺院の建築様式は,「和洋」「禅宗様」「大仏様」「折衷様」「寝殿造」「書院造」に分類されると言う。仏教とともに中国から伝わった様式に,日本人の好みや技法が加わり,伝統的な木造寺院建築が作り出された経緯がある。

しかし,建築基準法や消防法の規定で,法が定める規模を超える建物は鉄筋コンクリートとすることが義務化されるようになり,寺院とは言え昔のように大きな建物を木造で建てることは出来なくなった。そのため,鉄筋コンクリート造りの寺院が増え,外観のデザインも多様化している。

恵庭市の寺院も,近年に改築されたものは鉄筋コンクリート造りである。従来の寺院建築様式を偲ばせるよう工夫されたものもあるが,洒落た建造物になっている場合も見られる。今回訪ねるのは,モダンな建造物の寺院と言うことになる。

 

4.敬念寺(きょうねんじ),浄土真宗本願寺派

所在地は恵庭市本町。道道46号江別恵庭線(旧国道36号線)から,道道117号恵庭岳公園線に入ってすぐ右手の場所,旧道に面して山門がある。周辺は商店と住宅に囲まれた一角で,本堂・書院は三階建てになっている。JR恵庭駅の西方向,駅から1.3km,徒歩で16分ほどの距離にある。

この寺は,明治27年(1894)4月,漁村の嘉屋菊之助,和田勝太郎,木村長右衛門らが西本願寺札幌別院内北海道教区教務所に対し漁村への説教所設置を要請し,それを受けて原龍海師が漁村へ出張し布教に努めたのが創始とされる。同年9月には槇島善七,児玉作太郎から境内地の寄進を受け,説教所と庫裏を建設し,同年11月1日入仏式が行われた。また,明治34年(1901)富山県西三郷村敬念寺の寺跡移転願を受けて合併した後,敬念寺として歩んでいる。宗派は浄土真宗本願寺派。親鸞聖人を宗祖とし,京都西本願寺を本山とする「お西さん」である。

この寺も恵庭にある古刹の一つと言えようか,開拓移住初期の明治27年(1894)に説教所が設けられている。春とは言え,まだ境内に雪が残る時期に訪れた。門を入ると境内は駐車場になっており,正面に近代的な三階建ての建物がある。段差のある敷地を使って建立されているため,正面から二階に入るようになっていて,二・三階が本堂及び客殿となっている。そして,左奥に納骨堂が配置されている。納骨堂の前には開基僧侶原龍海師の碑(開基衛徳院之碑)が建っている。

敬念寺では,春秋の彼岸会,春秋の永代経,報恩講,御初穂感謝など年間行事の他に,毎月16日と22日に定例法座を開いている。恵庭市立図書館が主導する「恵庭まちじゅう図書館」にも参画していて,「恵庭で一番来づらくて,入りづらい図書館!? いえいえ,どなたでもお気軽に。昔ながらの懐かしい絵本が並ぶお寺です」とある。

◆敬念寺の概要

所在地:恵庭市本町

本寺:龍谷山本願寺(西本願寺,京都)

本尊:阿弥陀如来

開創・開山:明治27年

開基:原龍海

歴代住職:原是清(初代),原義証(二代),原敬輝(三代),原宗法(四代)

沿革(歴史)

明治27年(1894):同年4月,漁村の嘉屋菊之助,和田勝太郎,木村長右衛門らが,西本願寺札幌別院内北海道教区教務所に対し,漁村への説教所設置を要請。原龍海師が漁村へ出張し布教に努めた。同年9月には槇島善七,児玉作太郎から境内地の寄贈を受け,説教所と庫裏を建設。同年11月1日入仏式が行われた。

明治29年(1896):小梵鐘供養式を執行。

明治34年(1901):富山県西三郷村敬念寺から漁村へ寺跡移転願が出され,説教所と合併した。原是清が初代住職となる。

明治36年(1903):原ヤスから用地の寄付を受ける。

明治41年(1908):漁村8番地に本堂,向拝,庫裏等を建設。

大正6年(1917):本堂増築。

昭和5年(1930):庫裏を新築。

昭和8年(1933):小樽市浅野亀次郎から梵鐘の寄進(本誓寺と同じ寄進者)。

昭和19年(1944):第二次世界大戦激しさを増し,梵鐘供出。

昭和36年(1961):本堂改築。

昭和43年(1968):納骨堂建設。

昭和46年(1971):書院新築。

参照:恵庭市史,浄土真宗本願寺派札幌組HP,恵庭市図書館HP

 

◆浄土真宗本願寺派

浄土真宗本願寺派については,弘誓山本誓寺の項(本ブログ,恵庭の寺-3,2015.2.25)で触れたが再掲しよう。本願寺派は浄土真宗の一つの宗派である。親鸞聖人の墓所である「大谷廟堂」を発祥とする本願寺(通称西本願寺)を本山とし,末寺数が全国で10,500寺院,信者数695万人と言われる大きな教団である。浄土真宗系の教団組織(真宗教団連合,10派が組織)には,もう一つ大きな宗派である真宗大谷派(通称東本願寺,本山は「真宗本廟(東本願寺)」があり,本願寺派を「お西さん」,大谷派を「お東さん」と親しみを込めて呼んでいる。

宗祖(開山):親鸞(1173-1263)

本尊:阿弥陀如来(一仏を本尊とし,寺院に安置する影像は親鸞聖人や高僧,歴代門首など)。

本山:龍谷山本願寺(西本願寺,京都)。

経典:釈迦が説いた「浄土三部経」(中でも仏説無量寿経)や親鸞の著述。

教義:本願念仏による往生を説く。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば浄土へ生まれることが出来る。専修念仏が基本。

親鸞の教えを教義とするので,浄土真宗本願寺派と真宗大谷派との間に基本的作法の差はない(バリエーションは存在する)。専修念仏の理念から,出家しなくとも阿弥陀仏の本願を信じて肉食妻帯(在家仏教)を認め,迷信や占いを排除してお守りや朱印を扱わず(参観記念スタンプで対応する寺院はある),戒名でなく法名(釈○○,釈尼○○,釈を冠するのは釈迦の弟子を意味する),位牌を用いず過去帳や法名軸を掛け,焼香(1回,大谷派は2回)は額の前で香を頂く作法をせず,線香は立てず折って寝かせ,般若心経を読まずお盆にも精霊棚を設けず,ひたすら念仏を唱える,等々。

組織は大きく,布教活動も海外にまで及んでいる。学校法人龍谷学園以下,幼稚園教育までの実績も,私たちの知るところである。

恵庭市内の浄土真言宗本願寺派寺院は,この寺と本誓寺(恵庭市南島松)である。

注意:わが国の寺院は,檀家と呼ばれる信者を抱え,先祖を供養する一方経済的基盤を檀家や信者の財施に依っている場合が多い(檀那寺)。一般の方が境内へ立ち入るときは,許可を得るなど礼節を重んじること。

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