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豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
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北海道で栽培された「インゲンマメ(菜豆)」50品種,来歴と特性

2013-12-25 16:35:01 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

北海道に「インゲンマメ」が導入され,栽培が本格化したのは明治時代である。その後多くの品種が育成され,北海道優良品種として普及奨励された品種は現在までに50品種(手亡7,金時14,白金時4,長鶉4,中長鶉5,大福5,虎豆3,その他8)を数える。

それら品種の来歴と特性を紹介しよう(添付)。

 

◆明治,大正時代に優良品種とされた12品種

北海道への開拓移民が持参し,或いは明治政府が海外(アメリカ合衆国等)から取り寄せた品種が広まり在来種として栽培されていたものを,北海道農事試験場は品種比較試験を行い優良品種として普及奨励した。明治,大正時代に栽培されたこれらの品種は,北海道インゲンマメの先駆けである。

「大手亡」:十勝地方で栽培されていた在来種「新白(しんじろ)」を1923年(大2)十勝支場が大正村(現,帯広市)から取り寄せ,品種比較試験の結果優良品種に認定した。福山(1918)によると,「Kady Washington bean(別称Large White)」「Frenchi White bean」に類似するという。

「金時」:1903年(明36)頃に「朝鮮紅豆」と称して栽培されていた在来種。北海道農事試験場本場が品種比較試験を行い優良品種に認定された。福山(1918)によれば北米の「Dwarf Red Cranberry」であろうという。「Low's Champion」と異名同種。その後,金時類の新たな品種が出ると,「本金」「本金時」の名で呼ばれた。

「長金時」:原名は「Carter's Canadian Wonder」。日本への導入時期は不明である。

「手無長鶉」:明治年間に栽培がみられた在来種。1906年(明39)北海道農事試験場では良種として本品種を掲載している。

「中長鶉」:開拓使時代に札幌農学校で輸入したものであろうとされる。大正時代に入り,半つる性の「中長鶉」「手無長鶉」が広まった。1918年(大7)北海道農事試験場では良種として本品種を掲載している。

「大福」:北海道で古くから栽培されていた。北海道農事試験場本場が品種比較試験を行い優良品種に認定した。

「中福」:北海道で古くから栽培されていたが来歴不詳。福山(1918)によれば「スノーフレーク・フイールド」に類似するという。

「デトロイトワックス」:原名「Detroit Wax」は北米産軟莢種,導入経路は不明である。

「黒手無」:北米産「Cylinder Black Wax」。「シリンダー・ブラック・ワックス」と命名されたが,翌1915年「黒手無」に改称した。

「フラジオーレ」:ドイツ原産「Flageolet Wax」。導入経路は不明。1909年(明42)北海道農事試験場は良種と紹介している。

「ビルマ」:来歴不詳,優良品種決定年には既に7,000haの作付けがあった。粗放栽培で良く生育し「バカマメ」と呼ばれた。

「鶉」:通称「丸鶉」と呼ばれ,1906年(M39)に北海道農事試験場では良種と紹介している。

 

◆現在の優良品種12品種

インゲンマメの育種は,北海道立総合研究機構十勝農業試験場が実施している(わが国唯一の育種センターである)。また,高級菜豆の育種は同中央農業試験場が担当した。1954年(昭29)から交雑育種が始められ,以降は交雑育種が主流となっている。北海道開拓当時の品種に比べると,農業特性としては格段の改良がなされている。

「姫手亡」:1976 年(昭51)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十育A-19Sanilac Pea Bean/改良大手亡)/Improved White Navy)し選抜育成した。中生,叢生,多収。

「雪手亡」:1992年(平4)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十育A52/82HWB1F1)し選抜育成した。中生,叢生,炭そ病抵抗性,多収。

「絹てぼう」:2004年(平16)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十系A216/十系A212号)し選抜育成した。中生,叢生,炭そ病抵抗性,大粒,加工適性良。

「大正金時」:1957年(昭32)優良品種に決定,1935年幕別町途別の中村宇太郎が「金時」として帯広市の種苗商から購入し栽培したものの中から硬莢種1株を見つけ増殖した早生種を1937年十勝支場が「鶴金時」として導入したが,この時の試験では優良品種にならなかった。1941年大正村上似平の水野利三郎が本品種を購入増殖し広まった結果,1955年には銘柄設定され,十勝支場が改めて品種比較試験をした結果優良品種に決定した。早生,わい性,大粒。

「北海金時」:1979 年(昭54)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(昭和金時/a-32(大正金時/紅金時のF7系統))し選抜育成した。早生の晩,わい性,大粒,多収。

「福勝」:1994 年(平6)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(大正金時/福白金時)し選抜育成した。早生,わい性,大粒,多収。

「福良金時」:2002 年(平14)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十育B62号(福勝)/十系B203号)し選抜育成した。早生,わい性,大粒,多収,成熟期の葉落ち良。

「福寿金時」:2010年(平22)優良品種に決定,十勝農試が大福のインゲン黄化病抵抗性導入を目標に人工交配(福勝*7/大福,福勝を6回戻し交配,DNAマーカー選抜)し育成した。早生,わい性,大粒,多収,黄化病抵抗性極強。

「福白金時」:1973年(昭48)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十育B-11号(後の昭和金時)/5823-C-B-4(虎豆/大正白金の後代系統))し選抜育成した。早生の晩,わい性,大粒,多収。

「福粒中長」:1972 年(昭47)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(大正金時/中長鶉(上士幌)後の改良中長)し選抜育成した。中生,半つる性,大粒,多収。

「福うずら」:1998年(平10)優良品種に決定,十勝農試が人工交配(十系D5/十系B157号)し選抜育成した。早生の晩,わい性,大粒,多収。

「洞爺大福」:1994年(平6)優良品種に決定,中央農試が人工交配(B019/大福*4)し選抜育成した。早生の晩,つる性,大粒,規格内収量多。

「福虎豆」:1988年(昭63)優良品種に決定,中央農試が人工交配(虎豆(端野系)/Concord Poleし選抜育成した。なお虎豆(端野系)は端野町で「虎豆」から選抜された早生種で中央農試が1976年に取り寄せたものである。早生の晩,つる性,良質,良食味。

 

◆インゲンマメ(菜豆)品種の分類

北海道ではインゲンマメ(Phaseolus vulgaris L.)のことを「菜豆(さいとう)」と呼ぶことが多い。さらに,手竹を立てて栽培する蔓性のインゲンは「高級菜豆(こうきゅうさいとう)」と呼び,この高級菜豆には別種の「花豆」も含まれる。

また,豆としての流通上は「手亡」「金時」「鶉」「虎豆」「大福」などの名称が使われる。こうなると,素人には何が何だかわからない。インゲンマメの種類について補完しておこう。

 

1) 用途による分類

海外でも用途と草型によって分類されるが,わが国でも同様で,用途の面から生食用(軟莢種)と子実用(硬莢種),草型の面からは“わい性”と“つる性”に大別する。

即ち,用途での分類は,若莢を利用する種類と完熟種子を利用する種類に分かれる。

若莢を利用する→野菜(サヤインゲン)

子実を利用する→マメ類

若莢を利用する用途の品種はサヤインゲンと通称され,野菜に分類される。家庭菜園などで多く植えられ,全国に栽培がみられる。生産量の多い都道府県は千葉県(5,840t),北海道(4,040t),鹿児島(3,630t),福島(3,270t)などで,全国集計では42,600t2011)の生産量がある。

一方,子実生産を目的にする場合はマメ類に分類され,主産地は北海道で(全国の95%生産),9,240tの生産量がある(2011)。

世界の生産状況をみると,ヨーロッパ,アメリカおよびその他温帯の国々では,主として若さやを野菜としてまた冷凍の缶詰にする目的で栽培され,中央アメリカおよび熱帯アメリカの一部では子実生産が行われている。

 

2) 草型など形態による分類

わい性~半蔓性で栽培に手竹を用いない「(普通)菜豆」と,蔓(つる)性で手竹栽培する「高級菜豆」に大きく分けられる。高級菜豆といっても,何が高級なのか曖昧だ。栽培に手間がかかりコスト高,高価格になるからなのか。味が高級なのか・・・。

高級菜豆には,(普通)菜豆と同じ「インゲンマメ(Phaseolus vulgaris L.)」と「ベニバナインゲン(花豆,Phaseolus coccineus L.)」の異なる二種が含まれる。

さらに,(普通)菜豆は「手亡」「金時」「白金時」「中長鶉」に,高級菜豆は「大福」「虎豆」「白花豆」「紫花豆」に分類される。主な特性と用途は以下のとおりである。

-1菜豆(Phaseolus vulgaris L.

-1-1手亡類:種皮色白,百粒重3040g,用途は白餡,煮豆,きんとんなど

-1-2金時類:種皮色赤紫,百粒重60g以上,用途は煮豆など

-1-3白金時類:種皮色白,百粒重60g以上,用途は煮豆など

-1-4中長鶉類:種皮色普斑紋(淡褐地+赤紫斑),百粒重60g以上,用途は煮豆,惣菜など

-2a高級菜豆(Phaseolus vulgaris L. 手竹を用いる)。

-2a -1大福類:種皮色白,百粒重65g以上,用途は煮豆,きんとん,菓子原料など

-2a -2虎豆類:種皮色扁斑紋(白地+臍周辺に黄褐色斑),百粒重65g以上,用途は煮豆,惣菜など。国産豆類中最も良食味とされる。

-2b高級菜豆(花豆,Phaseolus coccineus L. 手竹を用いる)。

-2b-1白花豆類:種皮色白,百粒重150g以上,用途は煮豆,甘納豆など

-2b-2紫花豆類:種皮色普斑紋(淡紫赤地+黒斑),百粒重150g以上,用途は煮豆,惣菜など

 

参照

日本豆類基金協会1991「北海道における豆類の品種(増補版)」

地方独立行政法人北海道立総合研究機構農業研究本部HP

農林水産省登録品種データベース

 


幻となるか? 北海道開拓を支えた「秋田大豆」

2013-11-07 10:05:31 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

長い間,北海道大豆の主要銘柄であった「秋田大豆」は,もう必要なくなったのか? 疑問がよぎる。

2011年(平成23)の品種別割合を調べたら,褐目中粒の品種は僅か2品種が栽培されているのみで ,作付面積は「キタムスメ」373ha,「ハヤヒカリ」144haと北海道の大豆総面積(26,400ha)の2%弱に過ぎない。しかも,ここ10年以上栽培面積は減少し続けている。近い将来,「幻の大豆」と言われるようになりかねない。

 写真は、日本豆類基金協会「北海道における豆類の品種」

 

豆の国十勝開拓の旗手であった「大谷地2号」

1914年(大正3)に優良品種になった在来種の「大谷地」は,渡島国南尻別村字大谷地(現蘭越町)の苫米地金次郎が移住の際携帯した秋田大豆から1892年選出したものとされるが,その後代からは「大谷地1号」「大谷地2号」「大谷地3号」「三石大豆」「蘭越」「十勝長葉」「北見長葉」「静内大豆「北見白」「イスズ」「カリカチ」「シンセイ」「キタムスメ」「キタホマレ」など多数の品種が生まれている。秋田大豆から選出したとの謂れが,後に銘柄名になったと推察される。

十勝地方では,明治時代後半から昭和20年代まで「大谷地2号」など大谷地系のいわゆる秋田大豆(褐毛,褐目)が5割を超えて栽培されていた。そして,「大谷地」の血を引き継ぐ多くの品種が生まれ,中でも,多収の「十勝長葉」,耐冷安定生産性の「北見白」「キタムスメ」,耐冷安定多収の「キタホマレ」などが基幹品種として広く栽培され,秋田大豆系品種は厳しい気象条件下での安定性が高く評価されていた。後の研究で,大豆の毛色と耐冷性は関連し,褐毛種(秋田系大豆は褐毛である)の方が低温に強いことが明らかにされた。

 

甘みがあって美味しい豆と評価が高い「秋田大豆」銘柄

褐目中粒の秋田大豆系品種は,甘みがあって美味しいと実需者の評価が高く,煮豆,味噌,納豆,枝豆等に広く使われていた。各種の分析結果でも,主流に躍り出た白目中大粒種に比べ糖類の含有率が高い傾向にあることが証明された。

今でも,「秋田大豆の納豆はないのか」とスーパーを覗き,「家庭菜園の枝豆や自家製味噌は秋田大豆に限る」と拘る消費者がいて,「味噌はやはり秋田大豆」と伝統を守り続ける業者がいる。

なのに,何故減ってしまったのか・・・?

 

白味噌に秋田大豆は適さないって本当ですか?

 「褐目品種を原料とした味噌汁(白味噌)は,お椀の底に大豆の目(臍部)が残るのでクレーム対象になる,だから秋田大豆は駄目だ」という。この言葉は,何時の頃からか呪文のように繰り返された。

1983年(昭和58),交流人事で東北農試から十勝農試に戻ってきた佐々木科長は,「褐目品種の育種を続けているのは十勝だけだ,他場の育種材料は白目(白毛)に特化している。褐目品種はもうやらない」と宣言した。

時代背景には,「海外からの輸入攻勢にどう対抗するか,煮豆惣菜などに需要があり海外産で代替出来ない白目大粒種で生き残ろう」と言うことがあった。その結果,十勝農試における白目大粒種の早生化,耐冷性強化,耐病性強化,良質化などに向けた育種は,「トヨムスメ」「トヨコマチ」「トヨホマレ」「ユキホマレ」「トヨハルカ」「ゆきぴりか」「ユキホマレR」「とよみづき」を誕生させるなど,飛躍的な進化をみせた。ただ,白目種の耐冷性強化は過大なほどの労力を要したことも事実である。

褐目種とはいえ秋田大豆は,海外からの輸入大豆で代替えできる代物とは思えない(品質,成分的に)。褐目だって良いじゃないか。そんな選択肢があっても良い。


幻の大豆となるか? 褐目中粒種

北海道大豆品種の栽培は,2011年(平成23)の調査で,白目中大粒種61%,小粒納豆種23%,黒大豆11%,あお大豆2%,褐目中粒種2%の割合である。圧倒的に白目中大粒種にシフトし,特用品種がそれを補う形だ。参考までに30年前は,白目中大粒種と褐目中粒種がそれぞれ45%前後,黒大豆が56%,その他あお豆と小粒納豆種であった。

品種の変遷を図に示したが,褐目中粒種は1986年以降大きく減少している。秋田大豆が幻の大豆にならないことを願っている。

 

 

 

 

 

2013.11.15追記(コメント回答):秋田大豆の情報を有難うございます。就農して二年目とのことですが,ご成功を期待します。「キタムスメ」は裂莢しやすくコンバイン収穫に向かない,線虫やマメシンクイガに対し抵抗性弱という難点もありますが ,耐冷安定性で多収,味も良いとの評価があるので大事にしたいものですね。なお,裸大豆は概して耐冷性が弱く低収,かつ小粒なため用途が限定されます。念のため。


北海道で栽培された大豆品種(百余年で100品種)

2013-11-06 11:25:43 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

先に「北海道における大豆栽培の歴史」(2013.11.5)について触れた。その中には多くの品種名が登場し,「この品種は知っているよ」と言う方もあろうが,多くの方は「初めて聞く名前だ」と仰るだろう。

「それじゃあ,北海道で栽培された大豆品種を紐解くことに致しましょう・・・」と,年代順に,品種名,来歴,育成場,初出文献の一覧表を作成したので,ご覧あれ。

 

1901年北海道農事試験場が設置されてから,奨励した優良品種は総計92品種

この数値が多いか少ないか一概には言えないが,北海道の広大な面積,異なる気象条件,大豆の多様な用途を考えれば,相応の数なのかもしれない。

北海道の大豆栽培は,開拓者が移住の際に携帯した大豆種子を開墾畑に播くことから始まった。そして,いくつかの種類は北海道でも収穫できることを見出し,言伝に種子は広まって行った。在来種の出現である。それら在来種は開拓が道南から道中央部へ進むにつれ栽培面積も拡大し,1900年(明治33)には29,000haの作付けがあったと言う。しかし,これら在来種は当然のことながら十分な特性評価がなされておらず,地域や年次によって生産は安定しなかったであろう。

 

◆北海道最初の優良品種は何だ?

1901年(明治34)に北海道農事試験場が設置されてから,作物の優良品種を認定し普及奨励することにより生産を安定化させようとの試みがスタートした。当初は,農事試本場を初め各地の試作場や分場で在来種を集め品種比較試験を行うことにより,特性の優れたものを優良品種として奨励した。北海道最初の優良品種は,1905年(明治38)に認定された「早生黒大粒」「赤莢」「白小粒」「鶴の子」の4品種である。更に1914年(大正3)には「中生黒大粒」「大谷地」「甘露」が優良品種として奨励された。その後も在来種からの品種比較試験は続けられ,総計で29品種(19051954年)が優良品種に認定された。

この数から考えられるのは,北海道開拓の志を胸に移住した折に携帯した大豆種子のいくつかが北海道の気象条件に適うものとして既に定着していたと言えるのではないだろうか。また,初期の品種群には,「早生黒大粒」「中生黒大粒」のような黒大豆,「白小粒」のような褐目小粒種,「大谷地」のような褐目中粒種,「鶴の子」のような白目極大粒種,「吉岡大粒」のようなあお豆(大袖振)等々多様な種類が既に存在している。日本各地の食文化が人の移動と共に北海道へ輸入されてきた状況を垣間見ることが出来る。

 

◆「大谷地2号」「霜不知1号」「蘭越1号」など純系分離で14品種

1910年(明治43)には北海道の大豆作付面積は77,000haに達し,そのうち十勝地方が約26%のシエアを占めるまでになった。大正から昭和初期に至るこの頃は,「大谷地1号」「大谷地2号」「霜不知1号」「蘭越1号」「石狩白1号」等のような純系分離育種により育成された品種が主体になった。在来種から純系分離育種により選抜し優良品種にしたものは総計で14品種(19231951年頃)を数える。長年栽培し続けた在来種の変異が拡大していた(雑多な)ことを示す証左でもあろう。

 

◆最初の交配育成品種は?

1940年代以降になると人工交配育種が主となり,総計49品種を数える。最初の交配による育成品種は「大粒裸」(1936年)であるが,当時マメシンクイガ被害が大きな課題であったことが偲ばれる。マメシンクイガの被害が少ない無毛(裸)品種は,その後も「長葉裸」(1939),「白花大粒裸」(1943),「長葉裸1号」(1943),「十勝裸」(1951)等が優良品種に認定されている。

その後,第二次世界大戦後は多収品種の「十勝長葉」,耐冷安定性の「北見白」「キタムスメ」,線虫抵抗性で白目良質の「トヨスズ」,線虫抵抗性で早中生安定品種の「トヨムスメ」「トヨコマチ」「ユキホマレ」等へと品種は変遷する。

品種開発の流れを概観すると,次代を経るにつれ,耐冷性強化,線虫や病害抵抗性の付与による収量の向上と安定,品質加工適性の向上,機械収穫など作業性の向上など大きな進展があったことに感嘆する。これも,地道な努力を続ける育種家たちの継続する力であることは間違いない。

 

◆最近の基幹品種は?

現在(2011年調べ),北海道で栽培が多いのは「ユキホマレ」(10,267ha),「トヨムスメ」(2,912ha),「トヨコマチ」(978ha),「スズマル」(3,218ha),「ユキシズカ」(2,854ha),「いわいくろ」(2,546ha)である。その他,大袖銘柄のあお豆が3品種で586ha,鶴の子銘柄の極大粒種が4品種で733ha栽培されている。

そして,今もなお新しい改良品種が次々に誕生している。

これら多くの大豆品種開発を担ってきたのは,北海道農事試験場本場(後の北農試)(後に中央農試が道央部以南の育種を担当)と十勝農試を中心とする育種家軍団であった。そして,適応性の検定や特性評価などに携わる多くの関係者が育種家たちを支え続けてきたことを忘れることは出来ない。

 

 


北海道における大豆栽培の歴史(2013加筆)

2013-11-05 10:16:05 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

1.道南から「豆の国十勝」へ,代表品種「大谷地2号」

北海道の原野に開拓の鍬が下ろされてから,140年余が経過した。この間,先人達の弛まぬ努力により厳しい気象や劣悪な土壌条件が克服され,北海道農業は今や,地域経済を支える重要な産業として発展し,生産性の高い専業的な経営を実現するまでに至った。大豆生産もまた,度重なる冷害や病虫害と闘い,環境や社会情勢の変化により大きく変動しながら,収量を開拓当初の2倍に高めるなど技術水準の向上を続け,現在に至っている。

北海道における大豆栽培は,主産地が形成された1907年頃から約50年間68haの作付面積で推移したが,1961年の輸入自由化後急激に減少し,その後水田転作で一時増加したものの,1994年には最低の6,700haまで減少した。なお,近年生産振興が図られ約24,000ha栽培されているが,実需者の需要を満たすに十分な生産量が確保されているとは言い難い。

 

1)北海道大豆生産の歴史と時代の特徴 

 課題を把握するために,まず北海道における栽培の歴史を振り返ってみよう。時代は大きく①導入試作期(1870-1890),②生産拡大・主産地形成期(1891-1945),③戦後回復期(1946-1960),④国際競争対応・生産奨励期(1961-)に区分されよう。それぞれの時代には,当時の技術水準や社会情勢を反映したそれぞれの課題があった。

 

(1)道南地方で始まった大豆栽培 

 北海道における大豆栽培の記録は,永禄5年(1562)に渡島国亀田郡亀田村で栽培された五穀の中に大豆が含まれていたであろうとするのが最も古い。その後日高地方で寛政12年(1800),札幌で安政4年(1857),十勝で明治4年(1871)に試作されたという記録があるが,一般農家による大豆の栽培は明治初期の1870年頃から道南で始まっている。

 

 1886年の統計資料によれば,栽培面積は全道で2,200haであり,この50%を道南の渡島および桧山で占めていた。その後本道内陸の開拓進行とともに,栽培面積は急激に増加を続け,1900年に29,000ha1910年には77,000haに達した。栽培の中心は道南から道央を経て,道東の十勝地方へと移行し,1910年には十勝が全道の栽培面積の26%を占めた。以降,全道の大豆栽培は1961年の輸入自由化に至るまで約50年間,68haの大きな面積を維持するとともに十勝が生産の中心として大きな役割を果たすことになる(なお,その後1971年に米の生産調整が開始されると,空知,上川の生産量が増加して主産地も移動するが,後で触れる)。 

 

開拓の時代に大豆生産が増加した理由はいくつか考えられるが,日本豆類基金協会発行の「北海道における豆類の品種」の中で斎藤正隆氏はつぎの理由を上げている。①本道の気候風土,特に内陸的な気候にあう,②大面積経営の粗放栽培に適する,③土壌を選ばず施肥量および地力消耗が少ない,④雑草を抑制する,⑤貯蔵性と運搬性をもち商品として優れる。これらの技術的背景に加えて,大豆が味噌,醤油,豆腐,煮豆など私達の食生活や食文化に密接に結びついている点も見逃すことは出来ない。

 

一方,大豆に関する試験は,七重開墾場(渡島)で1873年に試作を行ったのを初めとして,1876年に創立された札幌農学校でも外国や府県からの導入作物の適否試験を行っている。1895年,十勝農事試作場が設置されるとともに,上川農事試作場と連携して品種比較試験を開始したが,この試験を北海道における本格的な大豆育種の始まりと見ることができよう。

 1901年には北海道農事試験場が設置され,1907年以降北見,渡島支場,および各地の試作場や分場でも品種比較試験に取り組み,品種比較試験が開始された1895年から1928年までの34年間に18の優良品種が普及に移されている。

 

(2)主産地の形成,豆の国十勝 

 大豆の栽培面積が増加し,主産地が形成されるにつれ,優良品種開発への強い期待が示されるようになる。十勝支場では,1914年から純系分離育種を,1926年から交配育種を開始した。純系分離育種で選抜された品種の中で,代表品種は「大谷地2号」であろう。  「大谷地2号」は,中生の中粒,渇目種で,耐冷性が強く,味噌,醤油,納豆など加工適性が高く,また味の良いことから枝豆にも使われ,1945年頃まで基幹品種の地位を占めた。また,交配母本としても多く使われ,その遺伝形質は後の「北見白」,「キタムスメ」などに受け継がれている。ちなみに,在来種の「大谷地」は,1892年渡島国南尻別村字大谷地(現蘭越町)の苫米地金次郎が移住の際携帯した秋田大豆から選出したもので,秋田大豆銘柄の基礎となった品種である。 

 

一方,大豆の作付けが増加するにつれ,マメシンクイガの被害が大きな問題となった。「中生裸」「早生裸」など被害の少ない無毛茸の品種が,他品種と比べ収量が劣っているにもかかわらず全道に栽培され,マメシンクイガ被害の重要性を物語っている。また,十勝支場は1926年に交配育種を開始しているが,最初の5年間の24組合せ中18組合せの片親が無毛茸品種であり,マメシンクイガ虫食率を低下させるための耐虫性が大きな育種目標であり,被害の解決が当時の大豆生産の大きな課題であったことを示している。

 

2.戦後復興期に活躍した多収品種「十勝長葉」

 

1)戦後の回復期,夢の多収品種「十勝長葉」の誕生 

 1947年育成された「十勝長葉」は中生の晩,小粒,渇目で,既存の基幹品種である「大谷地2号」に比較して大幅な多収を示すとともに,耐倒伏性が強く,またマメシンクイガの被害が著しく少なかったので,育成直後から急速に普及し,1954年まで全道の大豆栽培面積の約50%を占めた。戦後の復興期にタイミング良く発表された多収品種であるが,その育成には1932年から10年にかけて多収を目標に「本育65号」などを交配し,1935年から戦後の1946年まで交配を中止しながらも戦時下に交配材料の選抜を続けた育種家の努力を見逃す訳にはいかない。

 「十勝長葉」は,言葉のとおり小葉が長葉で,いわゆる柳葉型を呈するのが著しい特徴である。一莢粒数が多く多収であり,強茎で耐倒伏性に優れる。北海道の収量水準を飛躍的に引き上げたばかりでなく,東北地方の各県でも奨励品種に採用された。また交配母本としても広く利用され,後代に多くの優れた品種を産出している。張國棟氏によれば中国黒龍江省でもその利用例が多くみられるという。「十勝長葉」に戦後復興の夢を得た生産者は,1952年「十勝長葉育成者頌徳碑」を十勝支場に建設し,育成者の努力を讃えた(注:現在は,道総研十勝農業試験場の前庭にある)。

 

2)頻発する冷害と線虫被害への対応 

 十勝支場では,1947年以降「十勝長葉」を片親とし,「十勝長葉」の強茎,多収を維持しながら,早生化,大粒化,耐冷性向上などを目標に人工交配を再開した。これらの組合せから,「北見白」(1956),「イスズ」(1957),「カリカチ」(1959)などを育成した。「十勝長葉」は主産地の十勝では晩熟に過ぎたので,19535456年と連続した冷害の被害を受け,これら耐冷性品種へと急速に置き換わった。中でも「北見白」は,中生,中粒渇目で,強茎,多収であり,耐冷性が強く作りやすいことが評価され,1960年頃から10年間にわたり,全道大豆栽培面積の4050%を占めた。作り易いという農業総合特性を育種家に印象づけた最初の品種でもある。

 一方,主産地の十勝では長年にわたり豆類の作付けが50%以上と過作が続いたため,1950年代以降ダイズシストセンチュウの発生および被害が顕著となった。十勝支場では1953年から,「黒莢三本木」「ゲデンシラズ一号」など東北地方の品種を抵抗性母本として,ダイズシストセンチュウ抵抗性を導入する育種を開始し,1966年に抵抗性の「トヨスズ」を育成した。

 

3.輸入自由化後,大粒白目の良質で国際競争に勝った「とよまさり」ブランド

 

◇良質で国際競争に勝った 

 「トヨスズ」(1966)は短稈,耐倒伏性で作りやすく,かつ大粒白目の良質性が高く評価され,育成直後から急速に普及し,1975年以降は全道作付面積の50%以上を占めた。特に煮豆としての評価が高く,「トヨスズ」銘柄で取り引きされ,輸入自由化により作付けが著しく減少した時代の大豆生産を支えた。「下田不知系」に由来するダイズシストセンチュウ抵抗性品種は,「トヨスズ」より熟期が早く多収の「トヨムスメ」(1986),「トヨムスメ」より早生の「トヨコマチ」(1989)や「ユキホマレ」(2004)が育成され,これらは現在の基幹品種となっている。

 

◇稲作転換への対応と生産奨励

一方,稲作転換政策の中で大豆生産が奨励され,本道でも道央部の上川,石狩,空知地方での作付けが増加した。この時代,上川地方では秋冷,降雪が早いことから早生の良質品種が求められ,中粒白目の「キタコマチ」(1978),「ユキホマレ」(2004)が普及し,この地方の安定生産に貢献した。また,石狩,空知地方では多収品種の「キタホマレ」(1980)が普及し,石狩地方の平均収量が連続して300kgを超える原動力となった。さらに,この時代からダイズわい化病の発生と被害が増加し,その対策が重要な課題となっている。

 

◇競争力強化が求められる

農家戸数の減少,高齢化が進み,また畑作経営の中に野菜や花きなど高収益な園芸作物が導入されるにつれ,農業労働力の不足が深刻化し,一層の省力化が求められる情勢となった。大豆作の機械化は必須の条件となり,収穫作業の機械化が要望されていた。十勝農試での一連の研究から1991年には初めて機械化適性品種の「カリユタカ」が開発された。その後,「ハヤヒカリ」(1998),「ユキホマレ」(2001),「トヨハルカ」(2005)など機械収穫に適した品種開発が進み,コンバインの改良もなされた結果,大豆収穫体系はほぼ確立したと言えるまでになった。

 

◇残された課題

耐冷,多収育種は「十勝長葉」の早生化,耐冷性向上に始まり,「北見白」「カリカチ」を経由して「キタムスメ」および「キタホマレ」へと発展し,さらに最近は「ユキホマレ」など白目品種の耐冷性も一段と向上している。線虫抵抗性育種は,「下田不知系」の抵抗性を導入した「トヨスズ」の育成と普及により大きな成果を上げ,さらに多収化した「トヨムスメ」,早生化した「トヨコマチ」「ユキホマレ」,線虫レース13に抵抗性の「ユキホマレR」などが開発された。この育種では,単に線虫抵抗性の導入だけでなく,大粒白目の兼備により道産大豆の品質向上に大きく貢献した。ダイズわい化病抵抗性育種は,不完全な抵抗性ではあるが中国産母本を用いて「ツルコガネ」「ツルムスメ」を育成した。またアメリカ産品種の難裂莢性を導入した機械化栽培向き品種第1号の「カリユタカ」を育成し,その後も品種開発は成果を上げている。以上のように,戦後70年北海道のダイズ育種は着実な進歩を果たし,またダイズシストセンチュウやダイズわい化病など防除技術の確立,さらには施肥技術の改善や機械の改良など大豆生産技術の進歩は大きい。

また最近,DNAマーカーを利用した選抜も効果を上げているが,現状の大豆生産環境を見るとき,重要特性を総合的に兼備する品種の育成や省力化に向けた栽培面での取り組みなど,まだまだやることがあると言わざるをえない。

 

4.納豆,枝豆用品種の開発が地域を支える

国産大豆は豆腐や煮豆など主として食用に供されるが,納豆,枝豆,きなこ,もやし等への活用もある。ここでは,納豆,枝豆,黒豆,極大粒種について触れよう。

 

1)納豆

納豆の由来として「源義家が後三年の役(1083)で奥州に向かう途中,馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができた」という伝説で語られるように,我が国では「水戸納豆」が有名である。その特徴は,品種「地塚」のように極小粒である。極小粒種は粒の表面積が大きいため,納豆菌の着きが良く美味しい納豆ができる,ご飯と一緒に食べて口触りが良いなどのメリットがある。

ただ,極小粒種が納豆に使われたのは,この地方の土壌と気象条件が大粒種の生産に適さず,小粒の「生娘」「小娘」「地塚」等の種類を栽培せざるを得なかったこと,これらの極小粒の大豆は,豆腐,味噌等の製造には不適当で,納豆用にしか適用できず,貧しい農民がやむにやまれぬ状況の元に改良した大豆が,今日の茨城の小粒大豆であるという。

北海道では,秋田大豆銘柄(中粒褐目)の品種が,味が良いとの理由で,納豆に使われることが多かった。茨城県での大豆栽培が減少する中で,「納豆小粒のような品種が,北海道にないのか」と実需者からの声が大きくなった。

 

これに応えて,北海道立十勝農業試験場では「スズヒメ」(1980育成,PI84751×コガネジロ)を世に出した。この品種は,ダイズシスト線虫強度抵抗性を保持していたこともあり,帯広市川西農協,幕別農協でその後20年間生産された。また,北海道立中央農業試験場が育成した「スズマル」(1988育成,十育153号×納豆小粒)は,道央の空知,石狩地方を中心に今なお2,000haを超える作付けが見られる。ちなみに,現在の水戸納豆には,北海道の「スズマル」も利用されている。

その後,十勝農試では,納豆加工適性の高い「ユキシズカ」(2002,吉林15号×スズヒメ)を開発した。この品種は,「スズヒメ」に替わって生産が順調に増えている。また,黒豆や青豆を使って納豆を製造販売する業者も現れている。

 

2)枝豆

枝豆用品種の開発は主として種苗会社(北海道でも雪印種苗など)が担っている。これまで,公的機関が育種目標に設定した歴史はないが,煮豆や菓子用に開発した品種が枝豆として使われている場面は多い。古くは,「鶴の子」(1905),「大谷地2号」(1914),「奥原1号」(1939),「早生緑」(1954)やその系列品種が,枝豆に使用されていた。冷凍技術が発展するにつれ,枝豆が保持しなければならない特性として,本来の味の良さに加え,冷凍さやの色や毛色(白毛望ましい)が重要だと指摘されている。

十勝農試が開発した「大袖の舞」(1992,十育186号×トヨスズ)が,枝豆用として注目されている。JA中札内村では,フランス製の大型コンバイン3台をフル活動させ,「畑から調理加工まで4時間」のスローガンで,液体窒素を利用した瞬間冷凍技術により品質の良い製品を製造し,高い評価を得ている。これまで,色々な品種を試みてきたが,今では「大袖の舞」に絞ったという。

「なぜ大袖の舞ですか」

「味も良いが,何より冷凍した時のさやの色が良い。それと,北海道の優良品種であるため,種子生産が安定しているし,コスト面でも安価である」

1品種で対応できるのか」

4月から6月まで播種期をかえる。畑も地域ブロック制でコントロールしている」

平成20年実績で,作付面積350ha,生産額34千万円。

この農協の強みは,組合長が率先して職員の意識改革に努め,製品開発と販売戦略を重視していることにある。十勝地方の,小さな村の小さな農協がいま輝いている。「大袖の舞」育成者の一人として,この現場もうれしいスポットである。

 

3)黒豆

黒豆はお節料理の煮豆として使われる。「丹波黒」と北海道の「光黒」が双璧で,「光黒」は種皮に光沢があるのが特徴である。「中生光黒」(1933)と「晩生光黒」(1933)は長く栽培されていたが,北海道では晩生のため,しばしば冷害に遭い,生産が不安定のため投機的に栽培されることが多かった。十勝農試では早生化を目指し「トカチクロ」(1985)を開発,中央農試も「いわいくろ」(1998)を育成した。現在はこれら2品種が主に栽培されている。

2012年には,黒豆としては最初のダイズシストセンチュウ抵抗性(レース3)を有する「つぶらくろ」が開発された。

 

4)極大粒種

北海道には,古くから「鶴の子」銘柄で取引される晩生の白目極大粒種がある。主として道南地方で栽培され,煮豆や大粒納豆として利用されている特産品種である。

現在は,僅かに栽培が残る「白鶴の子」(1934)のほか,「ツルムスメ」(1990)及び「ユウヅル」(1971)が主として栽培されている。近年さらに極大粒(百粒重が60gを超える)の「タマフクラ」(2007),ダイズシストセンチュウ抵抗性(レース3)を付与した「ゆめのつる」(2011)が開発され,普及に移された。

 

参照-土屋武彦1998「北海道における大豆生産の現状と展望」豆類時報10、加筆(2011)、加筆(2013

 

 Web


枝豆(えだまめ)の歴史,美味しい北海道産でしょ!

2013-08-07 17:14:47 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

枝豆の季節がやって来た

小学館デジタル大辞典には,「枝豆,大豆を未熟なうちに茎ごと取ったもの。莢のままゆでて食べる。月見豆。枝豆の真白き塩に愁眉ひらく/三鬼」。また,講談社の「日本語大辞典」には,「ダイズを完熟前に枝ごと収穫したもの。さやのままゆで,中の種子を食べる。たんぱく質に富み,栄養価が高い」とある。枝豆の塩ゆでは,今やビールのつまみとして定番になっている。

 

◇いつ頃から?

奈良・平安時代には食べられていたとするのが定説のようだ(Wikipedia)。しかし,わが国への大豆伝播が縄文後期とされることを考えると,若莢を「えだまめ」として食べ始めたのはもっと古い時代かもしれないが定かでない。鎌倉時代の日蓮が寄進信徒に出した礼状に「枝大豆」と記載されたものがあり(未確認),これが最初の記録だろうか。その後,江戸時代になって「枝豆」と言う言葉が定着したようだ。

 

興津要は「食辞林」(ふたばらいふ新書1997)の中で,秋の味を代表する食品の一つとして「枝豆」を取り上げ,4句を紹介している。

・・・枝豆や莢噛んで豆ほのかなる(松根東洋城)

   枝豆もはじけるころは初月見(柳多留86

   枝豆と兎は月を見てはねる(柳多留76

   文使い枝豆売りとすりちがい(川傍柳1)・・・

 

最初の句は,未熟莢を茹でて食べたとき(枝豆),ほのかな香りを感じる様子を読んでいる。また柳多留の二句は,枝豆を八月十五夜に供える風習が当時あり,月見豆とも称したことが伺い知れる(今ではこの風習も薄れているが)。四番目の句は,興津によれば「十五夜の晩に客に来てほしい誘う遊女からの文使いと,十五夜に供える豆を売る枝豆売りとがすれちがった吉原遊郭の光景」であるという。

 

江戸の枝豆売りの始まりは明和年間(1764-72)のことで,東京日本橋中洲の埋め立て工事のさい,作業員が昼休みに枝豆を茹でて売って好評だったことが,枝豆売りの語源になったという。江戸時代の雑記「江戸見草」には・・・六月初めより,「枝豆や,ゆでまめ」と,町々,武士小路売り歩く。はじめより八月,九月になりても,一把四文ずつなり・・・とある(参照,興津要「食辞林」)。

 

大豆若莢の食習慣は,日本・中国などに限られていた。ヨーロッパやアメリカで「えだまめ edamame, green soybeans」が食べられるようになったのは2000年ごろ,海外で日本食ブームが起きてからではないだろうか。

 

◇どこが主産地?

農林水産省の統計データ(2011)によると,国内栽培面積は12,800ヘクタール,年間出荷量は47,400トン(生産量は66,100トン),主な産地は千葉県14%,北海道11%,埼玉県9%,群馬県9%,山形県7%,新潟県6%,秋田県6%などである。生鮮枝豆の出荷は5月の千葉県産の出荷に始まり,需要が拡大ずる78月にかけて多くの産地から出荷されている。

 

生鮮枝豆の輸入は少なく700800トンである(輸入元は台湾が90%を超える)が,冷凍枝豆の輸入は約67万トンに達する。輸入元は台湾3040%,中国3040%,タイ1020%,インドネシア5%などである。20年前は台湾からの輸入が殆どであったが,その後中国・タイでの生産が増加し,近年はタイやインドネシア産が増加傾向にある。

 

一方,最近になって日本産が香港や中国などへ輸出される事例がみられる。彼の地の消費者に高級・安全志向が生まれたのかも知れない。

 

◇美味しい品種?

枝豆の種類(品種)は多い。公的機関の育成品種もあるが,多くは種苗会社が品種改良し種子を販売している。市販されている主な品種は,白毛種群(一般的に枝豆と称されるもの,黄豆系統とあお豆系統がある)と特徴を活かした茶豆群,黒豆群に大別される。

白毛種群には「サッポロミドリ」「湯あがり娘」「大袖の舞」「サヤムスメ」など,茶豆群には香りがよく甘みが強い「だだちゃまめ」「越後ハニー」などが栽培され,黒豆群には甘みが強く風味豊かな「丹波黒」「紫ずきん」などがある。

 

◇北海道の枝豆

北海道における大豆栽培の記録は,永禄五年(1562)に渡島国亀田郡亀田村で栽培された五穀の中に大豆が含まれていたとするのが最も古い。その後明治に入ると各地で試作されるようになり,大豆栽培は北海道開拓と共に広まった。入植者は味噌や醤油を作る目的で大豆を播種したが,若莢を枝豆として供することもあったろう。そのような中で,「枝豆として食べて美味しい」品種が語り継がれ,現在に至っている。

 

◇往年の枝豆品種「秋田」系大豆(明治25年~昭和40年頃)

渡島の国大谷地の苫米地金次郎が移住の際携帯した秋田大豆から選出した「大谷地」に由来する品種群。開拓と共に道南から道央・道東まで広まった。「大谷地2号」「キタムスメ」に代表される暗褐目の中粒種(秋田銘柄)で,糖含有率が高く,味噌,納豆,枝豆用として味が良いと評価が高かった。

 

類似の特性を有する早生品種「奥原1号」は,早期出荷用の品種として関東で栽培された実績があり(北海道は種場としての生産が継続された),民間枝豆品種の親としても利用された。

 

昭和40年代に冷凍枝豆の生産が始まると,褐毛の毛茸は汚れと間違われるため冷凍用には向かないとされた。

 

◇枝豆は,何と言っても「大袖振」系でしょう

北海道には,「大袖振」と呼ばれる(銘柄)の品種群がある。種皮色が黄色地に緑色が腹部から鞍掛け状に覆う黄緑色の種類である。古くは,「吉岡大粒」「吉岡中粒」などが栽培され,特に「吉岡中粒」は「早生袖振枝豆」の名前で呼ばれることもあり,主として枝豆用に供された。

昭和30年以降は,「早生緑(昭29)」「アサミドリ(昭37)」「音更大袖」が選抜育成され,栽培の主体もこれら新品種に替わり,枝豆,製菓用品種として人気を保っている。これら品種群は褐毛,黒目(音更大袖は褐)であるが,糖含量が高く味が良いとの評価が高い。

 

◇冷凍枝豆には「白毛」大豆(昭和40年~)

昭和40年代になると冷凍技術が進み(供給の安定化が求められたこともあり),冷凍枝豆の生産が行われるようになった。冷凍製品の品質としてブランチ後の莢色などが需要視されるようになり,白毛品種の「トヨスズ」が使用され,その後も白目中大粒の「とよまさり」銘柄品種が使われてきた。

一方,「大袖振」大豆の枝豆適性(うまみ)を導入した白毛品種開発の努力がなされ,「サッポロミドリ」「大袖の舞(平4)」などに代表される白毛大袖振系統群が誕生した。そして今,これらの系統群が主流をなしている。

北海道では他にも,白目極大粒の「鶴の子」大豆を枝豆に供してきた流れがある。

「茶豆」「黒豆」など多様化の時代がきた

北海道における茶豆の栽培は緑肥用の「茶小粒」だけで,枝豆用の品種はなかった。山形県の「だだちゃまめ」,新潟県の「越後ハニー」などの良食味品種が脚光を浴びると,これに繋がる茶豆品種を枝豆用に庭先栽培する人が出てきている。

黒豆については,北海道産「光黒」が西の「丹波黒」に対峙して生産されてきた歴史がある。黒豆は湯煮後の莢の色が黒ずむので,最近まで商品化の試みは無かったが,「枝豆は黒豆に限る」と通を意識する人々は昔から黒豆に執着していた。近年,「紫ずきん」など「丹波黒」系の枝豆用黒豆が開発され注目されているが,北海道でも「光黒」系の黒豆品種を枝豆に供する事例が見られるようになった。

この他,北海道では極早生の枝豆用品種として「坂本早生」が栽培された歴史がある。「吉岡中粒」や「奥原1号」より早生で,種皮色が淡緑色の地に黒色が腹部から鞍掛け状に覆う中粒種である。大袖振系よりはっきりした文様で「鞍掛大豆」と呼ばれる。これも美味。

さあ,もぎ立ての枝豆をつまみにビールで乾杯!

  


文明を変えた作物「大豆」,新大陸の開拓者

2013-07-12 10:44:06 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

アメリカ大陸を発見したのは?

コロンブス

子供の頃,確かにそう教わった。

水平線の彼方がどうなっているか分からない時代に,コロンブスはアンダルシア州のパロス港(Palos de la Frontera)から西に向かって出航し,遂にサン・サルバドル島に到達した。1492年のことである。「コロンブスの卵」の逸話と共に,彼の名前は子供の頭にすり込まれた。

だが,良く考えてみれば「新大陸発見」と言うのは正しくない。何故なら4万年前アフリカで誕生したホモ・サピエンスは,15千年前にベーリング海峡を越え,12千年前には南米大陸の南端にまで到達していたのである。彼らモンゴロイドの末裔は新大陸でマヤ文明を築き,アステカ帝国,インカ帝国が隆盛を極めていた。古代ポリネシア人も渡航した可能性が否定できない。

更に近年,コロンブスが到達する500年前にはカナダ東海岸(Newfoundland島)にノース人(古代スカンジナビア人)が暮らした証拠が発見されたと言う。だとすれば,コロンブスの「新大陸発見」は「大西洋航路の発見」(“遭遇”だと言う人もいるが)と言う方が妥当である。

コロンブスの遠征に始まる「大航海時代」に,スペイン等の征服者が先住民インデイオに行った行為は極めて残虐なものであった。黄金とスパイスを求めて侵攻するヨーロッパ白人側の論理からすれば,先住民を殺し奴隷として取引するのも許される時代であったのだろう。もちろん,残虐行為に警鐘を鳴らす宣教師もいたが・・・。

イタリアや新大陸のあちこちにコロンブスのモニュメントがあり(ブエノス・アイレスのコロン広場?でもみた),紙幣にも描かれているのだから,英雄と言っても良い。

「新大陸の発見者ではないの?」

「発見者として名を留めなくとも,彼には余りある貢献がある。それは,コロンブス以降の大航海が,中米及びアンデス原産のジャガイモ,トウモロコシ,トウガラシ,トマト,カボチャ等の植物をヨーロッパにもたらしたことだ」

ジャガイモは「貧者のパン」と呼ばれ,アイルランド,ドイツを初め世界の国々で,大飢饉の村々を救済した。トウモロコシはアフリカ大陸の主要穀物になっただけでなく,今や肉食文化を支える主要な飼料作物でもある。

酒井伸雄氏は,新大陸原産の「ジャガイモ」「ゴム」「カカオ」「トウガラシ」「タバコ」「トウモロコシ」を「文明を変えた植物」と称して,コロンブスが遺した種子は世界の文明に変革をもたらしたと述べている(酒井伸雄「文明を変えた植物たち」NNK出版2011)。

「氏の言葉を借りて,文明を変えた植物といえばダイズもそうだネ」

「アンデス原産ではなく,逆に新大陸へ渡った作物だが・・・」

東アジアを原産地とする大豆(4,000年前)が,新大陸へ渡ったのは19世紀のことだ。合衆国への最初の導入記録は,「ペリー艦隊が持ち帰った二つの大豆」「中国から帆船のバラス荷としてアメリカへ」など諸説ある。アメリカが大豆の本格栽培に着手したのは19151930年頃で,最初は家畜の餌としての認識であった。中国や日本で食料としての多様な利用法があったのに比べれば,つい最近のことと言っても良い。

大豆が南米で栽培されるようになるのは更に遅く,第二次世界大戦の頃である。各国政府は栄養補給の面から大豆を奨励するが定着せず,栽培が拡大するのは1960年頃のことである。南米大豆栽培の始まりは,「日系移民が種子を携えて新大陸に渡り,味噌や醤油を造るために栽培を開始した」ことによる。その後,日系移民の努力によって栽培は拡大する。今や,ブラジル,アルゼンチン,パラグアイなど南米諸国の大豆生産はアメリカ合衆国の生産を凌駕し,新大陸の大豆生産は世界生産量の85%を超えるまでになった。アルゼンチンやパラグアイでは大豆が輸出総額の60%を超え,まさに国家経済を支えている。「日本人裏庭の作物が奇跡を生んだ」と言われる所以である。

大豆は,コロンブスが遺した種子とは逆にアメリカ大陸へ導入され,アメリカ文化を変えたと言っても良い

一方,大豆の栄養性,蛋白生産性に注目した発展途上国の取り組みも注目されてよい。インドの生産量は著しく増大している。アフリカでも栽培の試みがある。

まさに,大豆は「文明を変えた作物」「新大陸の開拓者」と言えよう


歴史に名を残せるか?「私の大豆品種たち」

2013-06-05 10:57:41 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

農業試験場に入ってからの二十数年間は専ら大豆新品種開発の仕事をしていた。いわゆる「育種屋」と呼ばれる仕事柄,研究職と言っても終日圃場に出て大豆の栽培管理をしながら,多くの育種材料を観察,調査,選抜淘汰するのが日課であった。また,冬には収穫した大豆の脱穀作業や子実の分析評価を行い,1月の試験成績会議や3月の設計会議に向けた資料作りに追われる日々であった。

振り返ってみると,幸運なことに21品種の育成者として名を連ねている。

この中には,交配から選抜評価を一貫して担当した「ヒメユタカ」「キタコマチ」「キタホマレ」「トヨムスメ」「トヨコマチ」「カリユタカ」「大袖の舞」のような品種,グループとして一部分の選抜に関わった品種,アルゼンチンとパラグアイで行った技術協力の一環として育成された品種が含まれ,関与の度合いはそれぞれ異なる。だが,どの品種もその姿(特性)や選抜途中のエピソードが目に浮かんで来るほど懐かしいものばかりだ。

 

もちろん,新品種は育種家グループや関係者の総合力によって誕生するもので,個人の成果品ではないが,育成の苦労を偲ぶ権利は個々人に残されていよう。

 

01 大豆「キタムスメ」(1968):耐冷性,褐目中粒

02 大豆「ヒメユタカ」(1976):白目大粒,良質

03 大豆「キタコマチ」(1978):早生,白目中粒

04 大豆「キタホマレ」(1980):耐冷性,多収,褐目大粒

05 大豆「スズヒメ」(1980):極小粒納豆用,線虫抵抗性極強

06 大豆「Carcaraña INTA」(1980):良質多収,アルゼンチン初の国産登録品種

07 大豆「トカチクロ」(1984):中生,光黒大豆

08 大豆「トヨムスメ」(1985):白目大粒,良質多収,線虫抵抗性強

09 大豆「トヨコマチ」(1988):中生の早,白目中粒,線虫抵抗性強

10 大豆「カリユタカ」(1991):難裂莢性,コンバイン収穫向き,白目中粒

11 大豆「大袖の舞」(1992):白目大粒あお豆,線虫抵抗性

12 小豆「アケノワセ」(1992):早生,初の落葉病・茎疫病抵抗性

13 大豆「トヨホマレ」(1994):耐冷性,白目中粒

14 大豆「ハヤヒカリ」(1998):耐冷性,コンバイン収穫向き,褐目中粒

15 大豆「ユキホマレ」(2001):早生,耐冷性,線虫抵抗性,コンバイン収穫向き,白目中粒

16 大豆「CRIA-2 Don Rufo」(2002):早生,カンクロ病抵抗性,多収,パラグアイ登録品種

17 大豆「CRIA-3 Pua-e」(2002):早生,カンクロ病抵抗性,多収,パラグアイ登録品種

18 大豆「ユキシズカ」(2003):極小粒納豆用,線虫抵抗性強,難裂莢性

19 大豆「CRIA-4 Guaraní」(2005):早生,カンクロ病抵抗性,密植適応性大,パラグアイ登録品種

20 大豆「CRIA-5 Marangatú」(2005):早生,カンクロ病抵抗性,多収,早播適応性大,パラグアイ登録品種

21 大豆「CRIA-6 Yjhovy」(2008):中生の早,同国初のシスト線虫(レース3)抵抗性,パラグアイ登録品種

 

ところで,品種の評価は生産現場でどれだけ活躍したかで決まる。活躍の尺度は,一般には普及面積で測られるが,新規性である場合もある。

上記育成品種について直近40年間の普及面積を別添の表に示した(添付:「育成品種と普及面積)ので,ご覧いただきたい。

北海道全体の大豆作付面積は,この間6,70026,000haの範囲で推移しているが,「キタムスメ」「キタコマチ」「トヨムスメ」「トヨコマチ」「ユキホマレ」は基幹品種となり,いずれも5,000haを超えて作付けされた。中でも,「キタムスメ」「トヨムスメ」「トヨコマチ」は息長く栽培されている。さらに最近は,「ユキホマレ」「ユキシズカ」の人気が高まっている。

 

大豆は,大粒白目,中粒白目,中粒褐目,納豆小粒,黒大豆,あお大豆に分類され流通し,それぞれの特性にあった製品加工がなされる(中小業者が多数存在する)。また,大豆は気温や日長など気象条件に敏感であるため栽培適地が限定され,品種は他の畑作物より多数必要になる。したがって,品種ごとの普及シエアが北海道全体の50%を超えることは滅多にない。そう考えると,基幹品種になった上記の品種たちは良く頑張ったと言えるのではあるまいか。

 

ここで,北海道大豆の代表選手,時代を背負った品種を整理しておこう。

「十勝長葉」時代(1949-1954)→「北見白」時代(1960-1970)→「トヨスズ」時代(1970-1981)→「キタムスメ」「キタコマチ」時代(1980-1987)→「トヨムスメ」「トヨコマチ」時代(1988-2005)→「ユキホマレ」時代(2006-現在)と言えようか。

 

一方,先駆けとなったことに意味を持つ品種もある。

例えば,「カリユタカ」はわが国最初のコンバイン収穫向き品種,「大袖の舞」は初めての線虫抵抗性あお豆,「Carcaraña INTA」はアルゼンチン初の国産登録品種・・・等々である。これらも育種上の意義は大きい。

 

なお,海外では品種ごとのデータがないので普及面積を示さなかった。技術協力が終了した後も育種事業は自主推進され,多くの新品種が誕生したとの情報がある。喜ばしいことだ。

しかし,海外の国々では最近とみに遺伝子組換え品種が拡大して,当時の品種は消えつつあるという・・・。

 

 

 


北海道の「長葉大豆」,品種の変遷

2013-01-20 16:58:09 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

大豆の小葉の形には円葉(Ln/Lnbroadまたはovate)と長葉(ln/lnnarrow)があり,F1は中間型(Ln/ln)を示す。世界の大豆を概観すると円葉品種の栽培が優勢にみえるが,長葉品種もそれなりの存在を示している。これは,長葉大豆は一莢内粒数が多く(4粒莢率が高い)小粒である,群落の透光率が高く密植栽培に適するなどの特性を有するためで,その性質を活かした栽培である場合が多い。

 

北海道で栽培された「長葉大豆」

これまでに北海道優良品種に認定された長葉大豆は13品種ある(全体の1015%)。

添付「北海道の長葉大豆一覧

 

13品種は,その特性・用途,時代から4群に大別できる。

 

A群は,無毛品種(裸大豆)でマメシンクイガ抵抗性を目標に育成された品種群(長葉裸,長葉裸1号,ホッカイハダカ)である。これら品種が優良品種になった時代(昭和1433年)は,マメシンクイガ被害対策が第一の課題であった状況を反映している。その後,裸大豆は耐冷性が弱かったこと,農薬の普及が進んだため,昭和30年代で姿を消した。

 

B群は,褐目小粒種群で多収・耐冷性を目標に育成された。「十勝長葉」「北見長葉」は耐倒伏性に優れ多収であったことから急激に栽培が拡大し,十勝管内の普及率は50%を越えた。しかし,晩熟であったことから度重なる冷害の被害を受け,耐冷安定性の「鈴成」「イスズ」「北見白」などに置き換えられた。「イスズ」は早熟で作り易かったことから十勝山麓・沿海地方に定着した。後年,在来種として収集された「ごんじろう大豆」「宮崎大豆」「足寄太長葉」などは,篤農家が「イスズ」から選出したものではないか考えられる。

 

C群は,中国品種を片親に高脂肪多収を目標に育成された白目小粒種である。小粒ではあるが,白目で品質が良く,大豆の輸入自由化(昭和36年)に対応するタイミングで公表された。「コガネジロ」は十勝地方で白目大豆として本格的に普及を始めたが,昭和39年の大冷害で着莢障害,菌核病被害が著しく栽培は頓挫した。「ナガハジロ」は脂肪含量が高く,「ワセコガネ」は機械化栽培適応性が高いことから優良品種に決定したが,安い輸入大豆におされて栽培は拡大しなかった。

 

D群は小粒納豆用の品種群である。昭和50年代から,国産納豆原料需要の高まりを受け,「スズヒメ」「スズマル」「ユキシズカ」が順次開発された。生産地の形成,納豆製造業者との連携,消費者からの高い支持を受け,生産は順調である。現在,北海道の畑で長葉大豆を見かけたら納豆用大豆だと言ってよい。

 

品種の変遷には,時代の背景がみえて面白い。輸入大豆との競争の中で,国産大豆は中・大粒,良質というメリットを活かして残ってきたため,極小粒の納豆用は別にして円葉品種が主体となっている。春先の低温が続く北海道では,長葉は円葉に比較し初期生育が劣るため不利であることも,丸葉優位の原因であろう。

 

しかし世界では,長葉大豆で密植栽培を指向する動きが続いている。

 

長葉のルーツは「本育65号」

北海道における長葉大豆のルーツは全て「本育65号」に辿りつく。

添付「北海道における長葉大豆の系譜」

 

「本育65号」は,北海道農事試験場本場が十勝支場から取り寄せた「大谷地」から選出されたものとされる。その根拠は,本場の種苗台帳の記載である。それには,「番号(本育65号),種類(大豆),仮名称(大谷地選出“四粒黄目白大粒”),記事(1922年十勝支場ヨリ輸入セル大谷地中1株長葉ニシテ目白粒ノモノ発見(自然雑交)分離固定セイシメタルモノナリ)・・・」とある。

 

ところで,「大谷地」は円葉,褐毛,種皮色は黄白,臍色は暗褐であるのに対し,「本育65号」は長葉,白毛,種皮色はややくすんだ黄色,臍色は黄~極淡褐である。熟期も中生と晩生であり,特性は大きく異なる。「大谷地」中の1株が自然交雑によるF1だとすれば,葉形は中間葉,褐毛であったろうし(くすみ粒は納得できるが),3年後に品種比較試験を実施するほど固定したのだろうか?

 

一方,先の種苗台帳にある似通った表現の中国東北地方在来種「四粒黄」との関係はどうだろうか? 道内に保存される「四粒黄」と比較すると,種皮色,臍色,粒大などの特性で差異が認められる。

 

北海道における長葉大豆のルーツ「本育65号」の来歴は,今なお理解できていない・・・。

 

 

 

 


帆船のバランス(底荷)としてアメリカへ渡った「大豆」

2012-11-29 18:10:58 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

今はアスファルトに替わってしまったが,最初に訪れた頃(35年前)のブエノス・アイレスは多くが石畳の通りであった。両側の建築物は古いヨーロッパそのもので,雨に濡れた街路樹と石畳が街の灯りに映る風情は,まさに「南米のパリ」であった。

タクシーやバスで走ると小刻みな振動が伝わり,「馬車が行き来したら,どんな響きを奏でるだろう?」と,昔を偲ばせるものだった。

 

「この敷石はヨーロッパから運んできたものです。アルゼンチンから小麦を輸出し,帰りの船で運ぶものがないから,石を積んできたのです」と,案内の書記官から聞かされた。

「船のバランスという訳ですか」と応えたものの,「そんなことって,あるのだろうか?」と半信半疑であった。その後,湿潤パンパの中心部で暮らすことになったが,パンパ平原は「さも,ありなん」と思わせるものであった。

船のバランス(底荷)という言葉が脳裏に刻まれ,その後も何回かこの会話を思い出すことになった。

 

一つは,アメリカ合衆国への大豆導入経緯を整理していた時のことである。現在世界の最大生産国となっている合衆国の大豆は,ペリーが持ち帰った(1854),Morse博士が中国など東アジアから大量の大豆種子を収集した(1929)のが基礎となり,生産が始まったとされている。が,それより半世紀前に,中国を出る帆船が安価なバランス(底荷)として大豆を積み込み運んだことが合衆国における大豆導入の最初だという。1804年のことだ。Mease J.Willichis domestic encyclopedia」の大豆に関する項目が, アメリカ合衆国における大豆に関する最初の記述とされている。

 

別添「アメリカ合衆国への大豆導入の経緯」を整理した。

アメリカ合衆国における大豆生産拡大の要因はいくつかあるが,第二次世界大戦が大きな転機となっている。すなわち,戦争で油脂類の供給が停滞したため,大豆油の国内生産を推進したことから増大し,その後は世界一の生産国なっている。ちなみに南米では,世界大戦時の栄養補給の面から大豆が注目され,栽培が始まっている。 

 

二つ目は,士別にいた頃のことである。

「火山灰を融雪剤に使用できないか,試験をしてくれ」と言う。よく聞いてみると,

「北海道から農畜産物を九州まで運ぶが,帰りの積荷がない。そこで,桜島の火山灰を積んで来て融雪剤に使う」と言う。厄介者の火山灰を,船のバランス積荷として運び,融雪剤に使えば一石二鳥ではないかというのである。

融雪剤の可能性は確認されたが,実現には及ばなかった。

 

アメリカで生産される大豆は,時を経て,船底を満載にする商品として世界に輸出されている。

 

 

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子葉緑(種子の中まで緑)の「大豆」

2012-06-19 14:02:06 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

大豆と言えば,種皮が黄~黄白色の「豆」を思い出すだろう。これらは通称「黄大豆」と呼ばれる。その他に,種皮が黒色の「黒大豆」や黄緑~緑色の「青豆」,変わりものでは種皮が茶色の「茶豆」等がある。

大豆の種皮(種子の表面の皮)を剥くと,2枚の子葉(発芽後に子葉として展開する)が合わさった形の子実が現れる。種皮の色は異なっても子葉色は「黄色」である場合が多いが,稀にクロロフィルを含む「緑色」の品種がある。

 

北海道で最近,幻の大豆と称して栽培されている「黒千石大豆」も,種皮色黒で子葉が緑色で,この特性が評価されている(日本食品分析センターの分析結果で,他の黒大豆よりイソフラボン,ポリフェノールの値が高い。また,北海道大学遺伝子病制御研究所西村孝司教授らによりインターフェロンγの生成を促す物質が発見された)。

 

ちなみに,この子葉色緑の遺伝は2対の劣性遺伝子と一つの細胞質遺伝子に支配されているB.E.CardwellSoybeans,三分一敬監修,土屋武彦・佐々木宏編集:北海道における作物育種)。

 

北海道には,「青豆」「緑豆」「青」「黄粉豆」などと呼ばれて古くから栽培されている子葉緑の在来種がいくつかある。これらは,異名同種,同名異種である場合が多い。北海道立十勝農業試験場は1957年(昭32)に地方栽培品種を広範囲から約1,200点集め,特性の優れた「青大豆」(青-1,芽室町の農家から収集)を育種材料として保存している。その特性は,小葉は円葉,毛茸は褐色,花は赤紫色,熟莢は褐色,百粒重は約35g,種皮は緑色,臍は褐色,子葉は緑色,主茎長は約65cm,伸育型は有限,十勝における成熟期は10月上旬である(北海道における豆類品種,日本豆類基金協会)。収集当時,この品種は煮豆や黄粉豆として使われていた。

 

北海道植物遺伝資源データベース(同総研農業研究本部)には,「子葉色緑」の品種系統が収集場所の異なる75種登録されている。異名同種,同名異種も多いと思われる。種皮色は緑色(くすんだ緑)が多く,他に黒色。臍色は暗褐色~黒色。粒大は大粒(百粒重35g程度)と小粒(15g程度)に分かれ,二つの異なる品種から派生した品種群(?)と推測される。晩生のため北海道では未成熟に終わる品種が多く,東北地方など府県から導入され定着した在来種だろう。

 

農業生物資源ジーンバンク(農業生物資源研究所)を検索してみると,「子葉色緑」の品種系統が445件ヒットした。原産地は東北や中部地方を筆頭に全国にわたり,韓国や中国から収集した品種も保存されている。「あおまめ」「ひたしまめ」「きなこまめ」「ゆきのした」等々,品種名が雑多にあり,これらの品種系統が「在来種」であることを物語っている。

 

子葉が緑の「青大豆」は,北海道でも地域に限定された(本別,美幌など)栽培がみられる。それぞれ地元で加工消費されていて生産量は多くない。現在,北海道で登録された優良品種はないが,差別化素材として地域振興のタネになるかも知れない。

 

 

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