竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三四六 今週のみそひと歌を振り返る その一六六

2019年11月23日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三四六 今週のみそひと歌を振り返る その一六六

 今週も防人の歌です。歌は信州方面の防人の歌を中心に載せます。先週に続き、地域ごとに歌を紹介しますので、方言について考えてみてください。

集歌4385 由古作枳尓 奈美奈等恵良比 志流敝尓波 古乎等都麻乎等 於枳弖等母枳奴
訓読 行(ゆ)こ先に波なとゑらひ後方(しりへ)には児をと妻をと置きてとも来ぬ
私訳 旅行く先に、波よ、決して立つな、後には児と妻とを置いて、そのままやって来た。
左注 右一首、葛餝郡私部石嶋
注訓 右の一首は、葛餝(かつしかの)郡(こほり)の私部(きさきべの)石嶋(いそしま)
注意 「葛餝郡」は東京、千葉、埼玉の接続する一帯です。

集歌4389 志保不尼乃 敞古祖志良奈美 尓波志久母 於不世他麻保加 於母波弊奈久尓
訓読 潮船(しほふね)の舳(へ)越そ白波にはしくも負ふせたまほか思はへなくに
私訳 潮路を行く船の舳先を越す白波のように、にわかに御命令なされたことよ、思っても見なかったのに。
左注 右一首、印波郡丈部直大麿
注訓 右の一首は、印波(いにはの)郡(こほり)の丈部(はせつかべの)直(あたひ)大麿(おほまろ)
注意 「印波郡」は千葉県印西市から成田市付近です。

集歌4390 牟浪他麻乃 久留尓久枳作之 加多米等之 以母加去々里波 阿用久奈米加母
訓読 群玉(むらたま)の樞(くる)に釘さし堅めとし妹が心は揺(あよ)くなめかも
私訳 たくさんの玉のように、樞戸(くるるど)に釘を打ち挿して固めたような愛しい貴女の固まった気持ちは、揺れ動いているだろう。
左注 右一首、猨島郡刑部志可麿
注訓 右の一首は、猨島(さしまの)郡(こほり)の刑部(おさかべの)志可麿(しかまろ)
注意 「猨島郡」は茨城県古河市です。

集歌4392 阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟
訓読 天地のいづれの神を祈らばか愛(うつく)し母にまた言(こと)問(と)はむ
私訳 天と地と、どの神に祈ったら、愛しい母に、また、話が出来るでしょうか。
左注 右一首、埴生郡大伴部麻与佐
注訓 右の一首は、埴生(はにふの)郡(こほり)の大伴部(おおともべの)麻与佐(まよさ)
注意 「埴生郡」は千葉県佐倉市から成田市付近です。

集歌4394 於保伎美能 美己等加之古美 由美乃美仁 佐尼加和多良牟 奈賀氣己乃用乎
訓読 大王(おほきみ)の御言(みこと)畏(かしこ)み弓の身にさ寝か渡らむ長(なが)きこの夜を
私訳 大王のご命令を畏み、弓の身と共に寝つづけるのだろうか、長いこの夜を。
左注 右一首、相馬郡大伴子羊
注訓 右の一首は、相馬(そうまの)郡(こほり)の大伴(おおともの)子羊(こひつじ)
注意 「相馬郡」は茨城県相馬郡飯館村付近です。

集歌4401 可良己呂茂 須曾尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎奴也 意母奈之尓志弖
訓読 韓衣裾に取り付き泣く児らを置きてぞ来のや母なしにして
私訳 韓衣の裾に取り付いて泣く子供たちを残してやって来たことだ、母親もいないのに。
左注 右一首、國造小縣郡他田舎人大嶋
注訓 右の一首は、國造(くにのみやつこ)小縣(ちひさがたの)郡(こほり)の他田(をさだの)舎人(とねり)大嶋(おおしま)
注意 「小縣郡」は長野県上田市付近です。

集歌4402 知波夜布留 賀美乃美佐賀尓 奴佐麻都里 伊波負伊能知波 意毛知々我多米
訓読 ちはやぶる神の御坂に幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ふ命(いのち)は母父がため
私訳 神の岩戸を開ける神の宿る御坂に幣を奉献し無事を祈る私の命は、母父のためです。
左注 右一首、主帳埴科郡神人部子忍男
注訓 右の一首は、主帳(しゆちやう)埴科(はにしなの)郡(こほり)の神人部(かむとべの)子忍男(こおしを)
注意 「埴科郡」は長野県埴科市付近です。

集歌4413 麻久良多之 己志尓等里波伎 麻可奈之伎 西呂我馬伎己無 都久乃之良奈久
訓読 真黒(まく)ら太刀(たち)腰に取り佩き真(ま)愛(かな)しき背ろが罷(ま)き来む月の知らなく
私訳 真っ黒な立派な太刀を腰に取り佩き、いとしい私の夫が役務から免除されて帰って来る月は、何時とは知らない。
左注 右一首、上丁那珂郡桧前舎人石前之妻大伴真足女
注訓 右の一首は、上丁(かみつよぼろ)那珂(なかの)郡(こほり)の桧前(ひのくまの)舎人(とねり)石前(いはまえ)の妻大伴(おおともの)真足女(またりめ)
注意 「那珂郡」は埼玉県本庄市付近です。

 非常に馬鹿々々しい話ですが、奈良時代の大和朝廷に属する人たちで、関東平野では多くの百済・伽耶・高句麗系の移民が移り住んでいますが、この人たちは半島での貴族階級や技能階級ではなく農民階級です。貴族階級や技能階級は畿内に留め置かれ中級官僚や官営工房の技官・職人に任命されています。従いまして、場合により百済・伽耶・高句麗系の移民なのですが、東国に居住する渡来人は本来の半島原住の下級階層の人たちかもしれません。その場合、万葉集の東国の方言とは失われたとされる半島の原始朝鮮語と大和言葉とが混ざり合ったものかもしれません。
 一方、防人歌に方言がほとんど見られないのは、和歌による標準語学習成果だけでなく、もともと、大和言葉を使う人たちが渡来人の管理の為に移住させられ、その地の指導者とされたせいかも知れません。

 今週も防人歌にほとんど方言が見られないことからくる全くの与太です。
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