竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百八五 今週のみそひと歌を振り返る その五

2016年10月08日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百八五 今週のみそひと歌を振り返る その五

 柿本人麻呂歌に見る難訓歌を中心に振りかえってみますと、一般には次の歌が難訓歌として扱われています。
 以下に紹介します集歌133の歌では三句目の「乱友」が、集歌137の歌では五句目の「妹之雷将見」が難訓です。

集歌133 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
訓読 小竹(ささ)し葉はみ山も清(さ)やに乱(さや)げども吾は妹思(も)ふ別れ来(き)ぬれば
私訳 笹の葉は神の宿る山とともに清らかに風に揺られているが、揺れることなく私は恋人を思っています。都への出張に際し愛しい恋人と別れて来たから。
注意 三句目「乱友」には大きく「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。ここでは柿本人麻呂の人生とこの歌の長歌との歌意の関係から「さやげども」説を採用しています。

集歌137 秋山尓 落黄葉 須奭者 勿散乱曽 妹之雷将見
訓読 秋山に落(ふ)る黄葉(もみちは)し須臾(しましく)はな散り乱(まが)ひそ妹(いも)し雷(れひ)見む
私訳 秋山に散る黄葉の葉よ、しばらく間、散り乱れないでくれ、恋人が別れの礼として領巾(ひれ)を振るような、そのような稲光を見たよ。
注意 五句目「妹之雷将見」は難訓です。一般には「妹のあたり見ゆ」と訓じます。

 御承知のように集歌133の歌の三句目「乱友」には、主に「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。当然、集歌133の歌は集歌131の長歌に付けられた反歌ですから、歌の感情は集歌131の長歌と集歌132の反歌との関連性を持つ必要があります。反歌を短歌として一首単独に抜き出し、歌の鑑賞をしてはいけません。集歌133の歌は「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時謌二首并短謌」と云う標題と「反謌二首」と云う標題に拘束されます。すると、集歌133の歌で詠う「小竹之葉者三山毛清尓乱友」は集歌131の長歌での「益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而」の情景と集歌132の反歌で詠う「高角山之 木際従」の情景と整合性を持たせる必要があります。
 ここで「三山毛清尓」については、集歌131の長歌から集歌139の反歌までの歌々から「御山」の意味合いと「三山=高角山、屋上山(室上山)、打歌山」の意味合いとが暗示されているとします。そして、街道筋からしますと高角山は島根県益田市高津町の高角山、屋上山は山口県萩市弥富の白須山、打歌山は山口県阿武郡阿武町宇田の神宮山ではないかと思われますし、その山口県阿武郡阿武町宇田には平安時代までに縁起を持つ御山神社があります。およそ、人麻呂が取った旅の順路は江戸時代と同様な益田市から萩市への北浦街道筋を進んだと思われます。
そうした時、歌は奈良の都への柿本人麻呂の出立のものですから、旅立ちにあたって「みだる」と云う発声をしたかと云う問題があります。歌には言霊が宿ると信仰されていた時代、それは旅の出立で使う言葉でしょうか。
 また、この時、柿本人麻呂の旅の目的は何であったのでしょうか。公務による奈良の都への出張でしょうか、それとも職務満了による奈良の都への帰京でしょうか。出張ですと数カ月の後に戻って来ますから、残して来た「妹=妻」との再会は予定されたものです。一方、帰京ですと残して来た「妹=妻」とは今生の別れと云うことになります。集歌133の歌は確かに短歌ですが、長歌と反歌の組歌の中の一首ですから、このような情景や背景を反映したものでなければいけません。
 以上の考察から、本ブログでは都への出張の場面を詠う歌と解釈し深刻な心乱れるような別れの場面とはしませんし、また、言霊からも「乱友」は「さやげとも」と解釈します。

 次に、集歌137の歌の五句目「妹之雷将見」の訓を考えますと、一般には集歌137の歌の五句目「妹之雷将見」は難訓なため、「妹のあたり見ゆ」と云う訓じを予定して「雷」は「當」の誤記とし「妹之當将見」と校訂します。ただし、根拠は希望した誤記からの校訂となっていますから、本来ですと難訓歌として扱い、訓じ未詳とするのが良い歌です。万葉集の歌の大半は訓じられ、難訓歌とされる歌は限定されているとしますが、厳密に訓じるために任意の原歌表記の改変行為を許さないと云う縛りを与えますと、まだまだ、多くの難訓歌は存在します。
 他方、歌を原歌表記から正しく訓じなければいけないと云う立場からしますと、歌は柿本人麻呂の作品であること、作品が飛鳥浄御原宮時代の早い時期のものであることなどから、字音まで立ち返って、訓じを検討する必要があります。そうした時、「雷」の音韻は『宋本廣韻』では「luɑ̆i」ですし、「禮」の音韻は「liei」ですので、これらは近似の音韻を持ちます。古語での言葉の訛りや標準化と云うものを考慮しますと、人麻呂は字音からの言葉遊び的に歌を作歌したかも知れません。
 例えば、集歌134の歌には「木間従文」と云う表現があり、歌が木簡に表記された時代性からしますと、「木の簡に書かれた文」を「妹=妻」は見たでしょうかとも解釈が出来ます。

集歌134 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
訓読 石見なる高角山の木し間ゆもわが袖振るを妹見けむかも
私訳 石見国にある高角山の木々の間から、私が別れの袖を振るのを恋人の貴女は見ただろうか。

 ただ、この集歌134の歌は創作された歌の原歌と思われ、その推敲後の歌が次の集歌132と思われます。推敲では三句目の「木間従文」から「木際従」と変え、状況がシンプルで明確になっています。一方、五句目は「妹見監鴨」から「妹見都良武香」へと変更となっています。こちらでは「妹見都良武香」に「妹=妻は奈良の都の良き武者の姿を見たか」と云う隠れた言葉遊びがあります。

集歌132 石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
訓読 石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)し木(こ)し際(ま)より我が振る袖を妹見つらむか
私訳 石見にある高い津野の山の木々の葉の間から、私が振る袖を恋人は見ただろうか。

 歌はかように言葉遊びの姿を見せます。この姿からして、可能性で「妹之雷将見」に稲妻の雷光、また、雷は禮の言葉の響きがあるとして「妹之禮将見」からの「妹=妻による旅立ちの領巾(ひれ)振り神事があると考えます。

 今回も、非常な妄想の下、歌を解釈していますが、毎度、このようなもので申し訳ありません。
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