竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百七五 相聞と問答

2016年06月18日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百七五 相聞と問答

 今回は万葉集の相聞歌と問答歌で遊びます。
 万葉集の相聞歌は相手の状況や消息を尋ねるもので、問答歌は文字通りに歌で問答をするものです。従いまして、相聞歌は一首単独でも成立しますが、問答歌は最低二首以上の組歌となる必要がありますし、複数の人物間での問答ですから何がしらの共通するテーマが存在することになります。問答歌は歌垣で詠われた歌の発展したものと考えるのが良いようです。
 ただ、標準的な万葉集中の「相聞」と云う部立への解釈では「愛」をテーマに詠う歌と捉えることがあります。「相聞」と云う部立でくくられる歌は男女の性愛だけに限らず、男性や女性の同性間や公式行事でのものもありますから、「愛」と云うものを「性愛」に限定せず、人間愛、人類愛、自然愛などと拡大して解釈し、「愛」をテーマにしたものと説明するようです。この相聞歌が「愛」をテーマにした歌とする時、問答歌は相聞歌の中での二首組歌となる特殊なものと解釈するようです。これに対して、最初に説明しましたように、文字通りに「相聞」、「問答」を漢字表記に合わせて漢文読みしますと、全くに面白味のない回答になりますし、新たな解釈を提案した先達の研究が台無しになります。
 一方、万葉集での言葉の定義を棚置きにしますと、古今和歌集以降の競技和歌となる歌会で合わせられる左右二首は与えられたテーマに対し詠い、かつ二首一組で構成しますから万葉集の問答歌の様にも思えるかもしれません。しかしながら競技ルールからしますと左右の歌が相手の歌と関係性を持つ必要は必ずしもありません。テーマに沿った歌を歌の優劣を決める競技として持ち寄れば良いのです。そこに問答関係は成立しません。歌合の組歌二首は、ただ、テーマに沿って漢詩を詠う宴の和歌版です。
 なお、古今和歌集以降では贈歌と返歌と云う組み合わせの歌形式があり、これは万葉集の問答歌と同じものとなります。万葉集の問答歌が複数の人物間での問答をテーマにしたものであり、必ずしも男女の性愛を取り上げる必要が無いように、古今和歌集での贈歌と返歌の組み合わせも性愛だけを取り上げたものだけではありません。歌を使った質問への回答のような組み合わせもあります。さらには、ある種、花鳥の使いのような、歌問答や歌による暗号通信と云うようなものもあります。

<相聞歌 三首紹介;歌番号は連続ですが、相互に関係はありません>
万葉集巻十
春相聞
標訓 春の相聞
集歌1890 春日野 犬鶯 鳴別 春眷益間 思御吾
試訓 春日(はるひ)野し犬鶯(おほよしきり)し鳴き別れ春眷(み)ます間(ま)も思ほせわれを
試訳 春の日の輝く野で犬鶯が鳴いて飛び去るように、過ぎゆく春をしみじみ懐かしく思う、その折々にも思いだして下さい、私を。

集歌1891 冬隠 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨
訓読 冬ごもり春咲く花を手折り持ち千遍し限り恋ひ渡るかも
私訳 冬が春の日に隠れ、その春の咲く花を手で折って持って無限の思いで貴女に恋い焦がれるでしょう。

集歌1892 春山 霧惑在 鶯 我益 物念哉
訓読 春山し霧し惑へる鶯しわれにまさりて物思はめや
私訳 春山の霧に相手を求めてあちこちと飛び迷っている鶯も、私以上に相手のことを想っているでしょうか。

<問答歌 三組紹介;巻十では「右二首」のような紹介ではない>
万葉集巻十
問答
標訓 問答(もんどう)
<テーマ:言葉尻を捕えた恋歌、馬酔と不悪。神杉と神備>
集歌1926 春山之 馬酔花之 不悪 公尓波思恵也 所因友好
訓読 春山し馬酔木(あしび)し花し悪(あ)しからぬ公(きみ)にはしゑやそ因(よ)るともよし
私訳 春山の馬酔木の花の言葉の響きのような、悪しからぬ貴方には、ままよ、このように男女の仲が出来ても良い。

集歌1927 石上 振乃神杉 神備而 吾八更々 戀尓相尓家留
訓読 石上(いそのかみ)布留(ふる)の神(かむ)杉(すぎ)神(かむ)さびて吾(われ)やさらさら恋にあひにける
私訳 石上の布留にある神杉のように時代が経ち年老いた私です。そんな私に、今さらに恋愛に出会ったようです。
右一首、不有春謌、而猶以和、故載於茲次。
注訓 右の一首は、春の歌にあらねども、猶(なほ)、和(こた)へるを以(もち)て、故にこの次(しだひ)に載す。

<テーマ:狭野方と実の言葉>
集歌1928 狭野方波 實尓雖不成 花耳 開而所見社 戀之名草尓
訓読 狭野(さの)方(かた)は実に成らずも花のみし咲きて見えこそ恋しなぐさに
意訳 狭野方は実にならなくてもせめて花だけでも咲いて見せてくれ。恋の慰めに。
(万葉集の成り立ち推定から次のような試訓を行っています)
試訓 背の方は実に成らずも花のみに咲きて見えこそ恋のなぐさに
試訳 尊敬する貴方の万葉集後編「宇梅之波奈」が完成しなくても、その和歌の歌々を見せてほしい、和歌への渇望の慰めに。

集歌1929 狭野方波 實尓成西乎 今更 春雨零而 花将咲八方
訓読 狭野(さの)方(かた)は実に成りにしを今さらし春雨降りて花咲かめやも
意訳 狭野方はもう実になったのに、今更に春雨が降って花が咲いたりするでしょうか。
(万葉集の成り立ち推定から次のような試訓を行っています)
試訓 背の方は実に成りにしを今さらに春雨降りて花咲かめやも
試訳 尊敬する貴方の万葉集後編「宇梅之波奈」が完成しましたが、今後に春雨が降って花が開くように和歌の花が開くことはあるのでしょうか。

<テーマ:藻>
集歌1930 梓弓 引津邊有 莫告藻之 花咲及二 不會君毳
訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)引津(ひきつ)し辺(へ)なる名告藻(なのりそ)し花咲くまでに逢はぬ君かも
私訳 梓弓を引く、その引津のあたりにある、花が咲くことのない、その名告藻の花が咲くまでには、逢ってはくださらない貴女なのですね。

集歌1931 川上之 伊都藻之花乃 何時々々 来座吾背子 時自異目八方
訓読 川し上(へ)しいつ藻し花のいついつも来(き)ませ吾(あ)が背子時じけめやも
私訳 川の水面の清らかな厳藻の花の名のように、いつもいつもやって来てください。私の愛しい貴方。貴方が訪ねて来るのに都合の悪い時があるでしょうか。

<問答歌 二組紹介;ここでは「右二首」と組歌として紹介>
万葉集巻十二
問答
標訓 問答(もんどう)
<テーマ:八十梶懸>
集歌3211 玉緒乃 徒心哉 八十梶懸 水手出牟船尓 後而将居
訓読 玉し緒の徒(いた)し心や八十(やそ)梶(か)懸(か)け水手(かこ)出(で)む船に後れて居(を)らむ
私訳 玉を貫く緒が垂れるように、むなしい気持ちです。たくさんの梶を艫に下げ水夫が立ち働く船に、私は後に残されて、ここに居るのでしょう。

集歌3212 八十梶懸 嶋隠去者 吾妹兒之 留登将振 袖不所見可聞
訓読 八十(やそ)梶(か)懸(か)け島(しま)隠(かく)りなば吾妹子し留(と)まれと振らむ袖見えじかも
私訳 たくさんの梶を艫に下げて船が出て行き島に隠れてしまうと、私の愛しい貴女がここに居て下さいと魂を呼び戻す振る袖が見えなくなるでしょう。
右二首

<テーマ:十月の雨>
集歌3213 十月 鍾礼乃雨丹 沾乍哉 君之行疑 宿可借疑
訓読 十月(かむなつき)時雨(しぐれ)の雨に濡れつつか君し行くらむ宿(やど)か借(か)るらむ
私訳 神無月の時雨の雨に濡れながら愛しい貴方は、ここから帰って行くのでしょうか。途中で雨宿りの宿を借りることがあるのでしょうか。

集歌3214 十月雨 〃間毛不置 零尓西者 誰里之間 宿可借益
訓読 十月(そつき)雨(あめ)雨(あま)間(ま)も置かず降りにせば誰(た)が里し間(ま)し宿(やど)か借らまし
私訳 突然の神無月の時雨の雨があちらこちらで間も置かずに降ったならば、だれの郷の所(他の女性の家の意味)で雨宿りの宿を借りましょうか。
右二首

 以上、紹介しました。これが万葉集での相聞歌と問答歌との相違です。繰り返しになりますが、部立標題の「相聞」や「問答」は漢語であり、和語ではありません。つまり、「相聞」は相手に消息や状況を尋ねるものですし、「問答」は複数の人が歌で対話を行うことです。伊藤博氏が唱えるような、もっぱら「愛」をテーマにした歌ではありません。ただ、男同士や女同士よりも男女間での相聞歌の比率が高いために、必然、恋愛関係下での相手の消息や状況を尋ねるものの比率が高くなっただけです。
 つぎに対比参考として古今和歌集に載る贈歌と返しとで構成する二首組歌を紹介します。なお、紹介するものは恣意的に在原業平に関係する恋愛をテーマにしたものだけを選抜しています。地名や物名のようなモノに対した問答歌は取り上げていません。個人の歌に対する好みとして了解を願います。

<古今和歌集 贈歌と返しの二首組歌>
桜の花の盛りに久しくと訪はざりける人の来たりける時によみける よみ人しらず
歌番号0062 
解釈 あだなりと名にこそ立てれ桜花年に稀なる人も待ちけり
意訳 「貴方に恨みがある」と、私の貴方への評価はきっと下るでしょう。桜の花が年に一度の希なように、まれにしかやって来ない貴方を私は待っています。
返し 業平朝臣
歌番号0063 
解釈 今日来ずは明日はゆきとぞふりなまし消えずはありとも花と見ましや
意訳 今日逢いに行かなくても明日は逢いに行くでしょう。私が貴女を素気無くしたのではありません。私が貴女に信頼を寄せることはあっても。だから咲く桜を私が逢いに行く兆しと思いましたか。


右近の馬場の日折の日、向ひに立てたりける車の下簾より女の顔のほのかに見えければ、よむでつかはしける 在原業平朝臣
歌番号0476 
解釈 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ
意訳 見たとも言えず、見ないとも言えない人が恋しくて、今日はただ、訳もわからないまま物思いをして過ごそうかと思います
返し よみ人しらず
歌番号0477 
解釈 知る知らぬ何かあやなく分きて言はむ思ひのみこそしるべなりけれ
意訳 知っているとか知らないとか、無駄なのはそうして考えていることであって、もし恋しい気持ちがあるならそれが案内となるでしょうに


業平朝臣の家にはべりける女のもとによみてつかはしける 敏行朝臣
歌番号0617 
解釈 つれづれのながめにまさる涙河袖のみ濡れて逢ふよしもなし
意訳 どうにもやるせなく眺める、この長雨の、その雨にもまさる憂いの涙河のため、ただ袖だけが濡れて、貴女からの承諾の返事もないので逢いに行く手だてがありません。
かの女に代はりて返しによめる 業平朝臣
歌番号0618 
解釈 浅みこそ袖はひつらめ涙河身さへ流ると聞かば頼まむ
意訳 流す涙が為す涙河の瀬は浅いから袖だけが濡れるのでしょう、その涙が作る涙川の激流で体が流れるほどだと言うなら、貴方を私の背の君として頼みにしようと思いましょう。


業平朝臣の伊勢国にまかりたりける時、斎宮なりける人にいと密かに逢ひて、又の朝に人やるすべなくて思ひをりける間に、女のもとよりおこせたりける よみ人しらず
歌番号0645 
解釈 君や来し我や行きけん思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか
意訳 昨夜、貴方が私の体で果てたのでしょうか、それとも私が貴方によって気がいったのでしょうか。そのことは夢だったのでしょうか、それとも本当のことだったのでしょうか。
返し 業平朝臣
歌番号0646 
解釈 かき暮らす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ
意訳 貴女を欠いて日を暮らす、その言葉の響きではありませんが、火を欠き暗くするような真っ暗な心のような、その闇の中で惑うばかりで確かなことは言えません。夢だったのか、本当のことだったのか、それは世の人の噂話に任せましょう。


ある女の、「業平朝臣を所定めず歩きす」と思ひてよみてつかはしける よみ人しらず
歌番号0706 
解釈 大幣の引くてあまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ
意訳 大幣のように引く手あまたの貴方ですから、愛しいとは思うけれど、だからこそ貴方を背の君として頼みすることをしないのです。
返し
業平朝臣
歌番号0707 
解釈 大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを
意訳 貴女はこの私を道饗の大幣のようだと評判しているが、その引手あまたの大幣が祭り終わりに川へと流れても、六月晦日の道饗の大幣がそうであるように、やがて最後にたどりつく瀬(背)はあるではありませんか。


 ここで紹介しました古今和歌集の贈歌と返しの二首組歌はその歌に付けられた詞書との組み合わせにより、やがて、歌物語への進化する初期の段階のものです。万葉集の問答歌では歌から問答がされている場面や人間関係など、全てを理解する必要があります。
 例えば、十月の雨をテーマにした二首組歌では「君之行疑 宿可借疑」の表記から「好いた男があちらこちらの女の許に遊びに行くのか」と云う女の疑惑が想像されます。一方、応歌では「誰里之間 宿可借益」から「貴女が心配するような、どこかの途中の屋敷で、長雨を言い訳に逗留をしましょうか」とからかうようなものとなります。十月の時雨季節、雨を理由にやって来ない男、それを待ち、到来を催促する女、それに対して、途中で降られるだろう時雨を理由に「途中で他に泊まっても良いの」と言い訳する男。このような関係を二首の内に見る必要があります。
 それが伊勢物語や古今和歌集の時代になりますと、詞書を充実させることで歌の受け手の解釈への負担が軽減されます。さらに発展形として、最後に紹介しました「大幣」の二首の詞書に、六月の夏越の祓の後に行われる災いを追い返すと云う道饗祭での大幣神事を解説し、さらにその準備や当日の女性たちの衣装を創作・紹介しますと、それはもう源氏物語の世界となります。

 相聞は個人の作業ですが、そこに複数の人間を参加させ、歌を問答へと成長させ、さらに、問答に詞書で状況を加えることで歌物語へと進化します。ただ、その問答は歌垣の歌からの発展もあったのでしょう。万葉集巻十の問答歌は、内容よりも同じ言葉や言葉尻の発声から歌を継いだような様相を見せます。それが奈良時代初期には巻十二に載る二首組歌のように内容と表現とが組み合った高度なものへと進化しています。そうした時、万葉集では歌は漢語と万葉仮名と云う表語文字である漢字から、その選字された文字を駆使することで前置漢文や標題に頼らずに歌だけで場面や人物の解説が可能でした。ところが、古今和歌集の時代の和歌は表語文字と云う漢字の力を否定したものですから、歌を表記する漢字文字に場面や人物を説明させることは出来ません。そのため歌で詠われる場を紹介する詞書と云うものが重要になります。そして、詞書に場面や人物を語らせ、歌と一体化することで歌物語が誕生しました。さらに、その歌物語は詞書を詳細・長文化することで物語へと発展を遂げて行きます。
 個人として歌の進化をこのように解釈していますが、さてはて、無知からの酔論でしょうか、暴論でしょうか。
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