竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

資料編 亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)(原文、和歌、解釈付)

2016年04月19日 | 資料書庫
資料編 亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)(原文、和歌、解釈付)

 紹介する亭子院女郎花合とは宇多天皇が退位した翌年となる昌泰元年秋(898)に居を構えた朱雀院で開催された歌会での歌合集です。この亭子院女郎花合の「亭子院」とは天皇位から退位した後の宇多上皇又は宇多法皇を意味します。他方、延喜五年(905)四月の成立・奏上された古今和歌集では歌合が行われた場所の方を採用して「朱雀院女郎花合」の形で扱われており、都合、八首に「朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける」との詞書が付けられています。
 その昌泰元年秋の歌会のテーマは「をみなえし」ですが、集載する歌には「をみなえし」の花とは別に「をみなえし」と云う文字を織り込んだ歌や各句頭に「を」、「み」、「な」、「え」、「し」と云う文字を順に織り込んだ高度な折句の歌もあります。その歌が披露された歌会では宇多上皇と中宮温子とのお二方がそれぞれ左右の方人の頭(歌合での左右を応援する人々の長)を務めたと伝わっています。
 なお、この亭子院女郎花合はインターネット上ではほとんど資料が出回っておらず、非常に資料収集に苦労するものがあります。ここでは「国際日本文化研究センター和歌データベース(日文研)」から引用を行い、それに補足情報を付けています。
 歌の紹介において、次のようなスタイルを取らせて頂きます。
 原歌は「国際日本文化研究センター和歌データベース」の清音ひらがな表記に従う。
 原歌で掛け字と思われる箇所はそれ明記して採用する。
 歌人名などは「新編日本古典文学全集 古今和歌集(小学館)」に集載する「亭子院女郎花合」より参照した。
 歌番号は「国際日本文化研究センター和歌データベース」のものに従う。
 参考としてインターネットで閲覧できる古写本などとして次のようなものがあります。ただし、これらはすべて歌合十一番二十二首となっていて、五十一首を載せる「日文研」や国歌大観のものと大きく相違しています。
 肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」
 群書類聚13(和歌部)「朱雀院女郎花合」

 最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に漢字交じりひらかなの和歌とその現代語訳の解釈は自己流であり、「小学館」からの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。

参照資料:
 亭子院女郎花合 (新編日本古典文学全集 古今和歌集収蔵 小学館)
 亭子院御時女郎花合 (国際日本文化研究センター)
 亭子院御時女郎花合 (肥前松平文庫)
 朱雀院女郎花合 (群書類聚13和歌部)
 新編国歌大観 歌合編 (角川書店)

亭子院女郎花合
一番
左  
歌番号〇一 (五句目 句頭「や」は「掛け字」としています)
原歌 くさかくれ あきすきぬへき をみなへし にほひゆゑにや やまつみえぬらむ
和歌 草かくれ 秋過ぎぬべき 女郎花 匂ひゆゑにや やまづ見えぬらむ
解釈 草陰に隠れ、秋を過ごしてしまうような女郎花、それでも香しい匂いがゆえなのか、絶えず人に気付かれてしまう。
右  
歌番号〇二
原歌 あらかねの つちのしたにて あきへしは けふのうらてを まつをみなへし
和歌 あらがねの 土の下にて 秋経しは 今日の占手を まつ女郎花
解釈 荒れた地の鉱石を出だす土の下にて秋の季節を経たのは、今日の盛儀の次席である「占手」を得たのは、まず、女郎花の美しさからです。
注意 宮中相撲などの盛儀の席順で主席は「最手(ほて)」、次席を「占手」と呼びます。

二番
左  
歌番号〇三
原歌 あきののを みなへしるとも ささわけに ぬれにしそてや はなとみゆらむ
和歌 秋の野を みなへしるとも 笹わけに 濡れにし袖や 花と見ゆらむ
解釈 秋の野を皆が歩き経ていったので、露の置く笹を分けて濡れてしまった袖、その袖模様で野に咲く花のように見えるでしょう。
右  左大臣(藤原時平;この敬称は正式には昌泰二年二月以降)
歌番号〇四
原歌 をみなへし あきののかせに うちなひき こころひとつを たれによすらむ
和歌 女郎花 秋の野風に うち靡き 心ひとつを 誰れに寄すらむ
解釈 女郎花のような貴女、女郎花が秋の風に打ち靡く、貴女の誠実な一つの心を誰に寄せるのでしょうか。

三番
左  
歌番号〇五
原歌 あきことに さきはくれとも をみなへし けふをまつとの なにこそありけれ
和歌 秋ごとに 咲きは来れとも 女郎花 今朝をまつとの なにこそありけれ
解釈 毎年の秋ごとに咲く季節はやって来ますが、女郎花よ、美しく花咲く今朝を待っていると、それを待っていただけのことはありました。
右  
歌番号〇六
原歌 さやかにも けさはみえすや をみなへし きりのまかきに たちかくれつつ
和歌 さやかにも 今朝は見えずや 女郎花 霧の真垣に 立ち隠れつつ
解釈 はっきりとは今朝も見えません、女郎花よ、霧が立ち込める立派な垣根の先に立ち隠れています。

四番
左  
歌番号〇七
原歌 しらつゆの おけるあしたの をみなへし はなにもはにも たまそかかれる
和歌 白露の 置ける朝の 女郎花 花にも葉にも 玉ぞかかれる
解釈 白露が置いた朝の女郎花よ、花にも葉にも美しい玉が掛かっています。
右  
歌番号〇八
原歌 をみなへし たてるのさとを うちすきて うらみむつゆに ぬれやわたらむ
和歌 女郎花 たてるの里を うち過ぎて うらみむ露に 濡れやわたらむ
解釈 女郎花の花が一面に咲き立っている里を、通り過ぎていくと、過ぎ行く秋を恨むような露に袖はすっかり濡れてしまうでしょう。

五番
左  
歌番号〇九
原歌 あさきりと のへにむれたる をみなへし あきをすくさす いひもとめなむ
和歌 朝霧と 野辺にむれたる 女郎花 秋を過さず 言ひもとめなむ
解釈 朝霧に包まれて野辺に群れている女郎花よ、秋の季節を虚しく過ごさないように、声を掛けて今に留めましょう。
注意 「小学館」では末句が「いひそとめなむ」と異同があります。
右  
歌番号一〇
原歌 あきかせの ふきそめしより をみなへし いろふかくのみ みゆるのへかな
和歌 秋風の 吹きそめしより 女郎花 色深くのみ 見ゆる野辺かな
解釈 肌寒い秋風が吹き始めた時から、女郎花よ、花色が深くなったと感じられる野辺の景色です。

六番
左  
歌番号一一
原歌 かくをしむ あきにしあはは をみなへし うつろふことは わすれやはせぬ
和歌 かく惜しむ 秋にし遭はば 女郎花 移ろふことは わすれやはせぬ
解釈 このように惜しむ秋に出会ったのだから、女郎花よ、お前は自身の花の色があせて行く、そのことを忘れないでしょうか、いや、きっと、忘れてしまうでしょう。いつまでも。
右  
歌番号一二
原歌 なかきよに たれたのめけむ をみなへし ひとまつむしの えたことになく
和歌 長き夜に 誰れ頼めけむ 女郎花 ひとまつむしの 枝ごとに鳴く
解釈 秋のこの長い夜に、一体、誰が来ることを期待するのだろうか、女郎花よ、人を待つ、その言葉の響きではないが、松虫が枝ごとに鳴いています。

七番
左  壬生忠岑
歌番号一三
原歌 ひとのみる ことやくるしき をみなへし あききりにのみ たちかくるらむ
和歌 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ
解釈 あの人に見つめられることが嫌なのだろうか、女郎花よ、秋の霧の中に、その立ち姿を隠します。
右  
歌番号一四
原歌 とりてみは はかなからむや をみなへし そてにつつめる しらつゆのたま
和歌 取りて見は はかなからむや 女郎花 袖につつめる 白露の玉
解釈 美しいと手に取って眺めれば儚く消えてしまうでしょう、女郎花の葉の袖に大切に包んでいる白露の玉は。

八番
左  凡河内躬恒
歌番号一五
原歌 をみなへし ふきすきてくる あきかせは めにはみえねと かこそしるけれ
和歌 女郎花 吹き過きて来る 秋風は 目には見えねと 香こぞ知るけれ
解釈 女郎花よ、ほのかに吹き過ぎて来る秋風は目には見えませんが、花の香りでそれに気づかされます。
右  
歌番号一六
原歌 ひさかたの つきひとをとこ をみなへし あまたあるのへを すきかてにする
和歌 ひさかたの 月人壮士 女郎花 あまたある野辺を 過ぎがてにする
解釈 遥か彼方の月に棲む壮士は、美しい女郎花がたくさんに咲く野辺を通り過ぎ難そうな振る舞いです。

九番
左  藤原興風
歌番号一七  
原歌 あきののの つゆにおかるる をみなへし はらふひとなみ ぬれつつやふる
和歌 秋の野の 露に置かるる 女郎花 払ふひとなみ 濡れつつやふる
解釈 秋の野に露に置き懸かる女郎花よ、それを払う人もいなくて、いつまでも濡れたままで時が過ぎるのでしょう。
右  
歌番号一八
原歌 あたなりと なにそたちぬる をみなへし なとあきののに おひそめにけむ
和歌 仇なりと 名にぞ立ちぬる 女郎花 など秋の野に 思ひ染めにけむ
解釈 浮気な人と噂話に名が立ちました、その女郎花よ、どうして秋の野、飽きの野(浮気な男)に恋の思いを染めたのか。

十番
左  
歌番号一九
原歌 をみなへし うつろふあきの ほとをなみ ねさへうつして をしむけふかな
和歌 女郎花 移ろふ秋の 程をなみ ねさへ移して 惜しむ今日かな
解釈 女郎花、花色も褪せ枯れていく秋の季節なので、私の屋敷へと根さえも掘り移して、過ぎ行く季節を惜しむ、今日であります。
右  
歌番号二〇
原歌 うつらすは ふゆともわかし をみなへし ときはのえたに さきかへるらむ
和歌 移らすは 冬ともわかし 女郎花 常盤の枝に 咲きかへるらむ
解釈 花色が褪せて枯れて行かなければ冬の季節とも気が付かなかった、女郎花よ、いつまでも美しい常盤の枝に咲き返らないものでしょうか。

十一番
左  御製(宇多上皇)
歌番号二一  
原歌 をみなへし このあきまてそ まさるへき つよをもぬきて たまにまとはせ
和歌 女郎花 この秋までぞ 勝るべき 勁(つよ)をも貫きて 玉に纏はせ
解釈 女郎花よ、この秋が終わるまで美しくいなさい、立派に花を糸に貫いて美しい玉として身に纏わせましょう。
異同 女郎花 この秋までぞ まばるべき 露をも貫きて 玉にまどはせ(「小学館」)
右  后宮(中宮温子)
歌番号二二  
原歌 きみにより のへをはなれし をみなへし おなしこころに あきをととめよ
和歌 君により 野辺をはなれし 女郎花 おなじ心に 秋をとどめよ
解釈 上皇の御手により花飾りとして野辺を離れた女郎花の花よ、野に居た時と同じ気持ちで、秋の風情を花飾りに留めなさい。

これ以下の歌は伝本によっては集載がありません。インターネットで参照が容易な次のものでは先の十一番の歌組までです。
 群書類聚13(和歌部):「朱雀院女郎花合」
 肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」


これは、合わせぬ歌ども
をみなへしといふ言を句の上下にてよめる

歌番号二三 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をるはなを むなしくなさむ なををしな てふにもなして しひやとめまし
和歌 折る花を 虚しくなさむ 名を惜しな てふにもなして 強ひや止めまし
解釈 手折った花をこのままに枯らし虚しくすることは、女郎花の名が惜しいです、秋が過ぎ行く今日であっても無理にでも枯れ行くのを引き留めましょう。
注意 「小学館」は四句目「てふにもなして」を「蝶にもなして」と解釈し、他は折句の「てふ」を「けふ」と解釈します。

歌番号二四 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をるひとを みなうらめしみ なけくかな てるひにあてて しもにおかせし
和歌 折る人を みな恨めしみ 嘆くかな 照る日にあてて 霜に置かせし
解釈 花を手折る人を皆が恨み嘆いています、女郎花は野の照る日に当てて、霜を置かさないで、(いつまでも美しくいて欲しい。)

歌番号二五 (初句の四字は欠字、各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をXXXX むつれなつれむ なそもあやな てにとりつみて しはしかくさし
和歌 をXXXX 睦れな連れむ なぞもあやな 手に取り摘みて しばし隠さじ
解釈 (参考:小田深山)、そこへ皆で睦ましく連れ立って行こう、さてどうして理由もないのに、女郎花の花を手に取り摘み持ち、しばし、人目から隠さないでしょうか、いや、これは自分だけと隠してしまいます。

これは上のかぎりにすゑたり

歌番号二六 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をののえは みなくちにけり なにもせて へしほとをたに しらすさりける
和歌 小野の江は 水口にけり なにもせで 経しほどをだに 知らずざりける
解釈 小野の入り江は川の河口です、まったく気が付かないで通り過ぎたのですが、小野の入り江が河口だとは知りませんでした。
別案 斧の柄は みな朽ちにけり なにもせで 経しほどをだに 知らずざりける(小学館)
解釈 ふと我に帰ったときには斧の柄が、皆、朽ちてしまっていました、私は何もしていないのに、その過ぎ去った時間に気が付きませんでした。

歌番号二七 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をせきやま みちふみまかひ なかそらに へむやそのあきの しらぬやまへに
和歌 をせき山 路踏みまがひ なか空に 経むやその秋の 知らぬ山辺に
解釈 小関山、その山路を踏み入り迷い、落ち着かない気持ちで時を過ごすのか、その秋の道を知らない山辺に居て。

歌番号二八 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をりもちて みしはなゆゑに なこりなく てまさへまかひ しみつきにけり
和歌 折り持ちて 見し花ゆゑに なごりなく てまさへまがひ しみつきにけり
解釈 手折って手に持ち眺めた花のために、しみじみと花を眺める余裕もなく、花を持つ手の間にも花びらが散り交がい、私の手にその花の香りが染みついてしまいました。

これは、その日、みな人々によませ給ふ

歌番号二九  源のつらなり(源連)
原歌 わかやとを みなへしひとの すきゆかは あきのくさはは しくれさらまし
和歌 我が宿を 見なへし人の すきゆかば 秋の草葉は 時雨ざらまし
解釈 私の屋敷に咲く女郎花の花を眺めた人が通り過ぎていくのですから、その時は秋の草葉は時雨に降れることもないでしょう。

歌番号三〇  致行(源宗于)
原歌 をしめとも えたにとまらぬ もみちはを みなへしおきて あきののちみむ
和歌 惜しめども 枝に留まらぬ 紅葉を みなへし置きて 秋ののち見む
解釈 いくら残念に思っても、枝に留まらない紅葉を、皆、押し葉に留めて置いて、秋が過ぎ去ってから見返しましょう。

歌番号三一  のちかた
原歌 いまよりは なてておほさむ をみなへし ときあるあきに あふとおもへは
和歌 今よりは なてておほさむ 女郎花 ときある秋に 逢ふと思へば
解釈 今からは大切に撫でるように育てましょう、女郎花よ、眺める時が来る秋に、その花の盛りに逢うでしょうと思うと。

歌番号三二  すすく(源漑)
原歌 あききりに ゆくへやまとふ をみなへし はかなくのへに ひとりほのめく
和歌 秋霧に ゆくへやまとふ 女郎花 はかなく野辺に ひとりほのめく
解釈 秋の霧に行き先を迷ったのか、女郎花よ、心細そうに野辺の中で、一群れが霧の中でぼうっと見える。

歌番号三三  もとより
原歌 たつたやま あきをみなへし すくさねは おくるぬさこそ もみちなりけれ
和歌 龍田山 秋をみなへし すぐさねば おくる幣こそ 紅葉なりけれ
解釈 龍田山、その秋の木々のみなが時を過ごし終えていないので、龍田の神に贈る幣こそが、真っ赤に色付いた紅葉だったのです。

歌番号三四  好風(藤原好風)
原歌 あききりを みなへしなひく ふくかせを このひともとに はなはちるらし
和歌 秋霧を みなへし靡く 吹く風を このひともとに 花は散るらし
解釈 秋の霧の中を女郎花の皆が押し伏せて靡く、その吹く風を恨んで、この一本の女郎花の花は散るでしょう。

歌番号三五  やすき
原歌 をみなへし あきののをわけ をりつれは やとあれぬとて まつむしそなく
和歌 女郎花 秋の野を分け 折りつれば 宿あれぬとて まつ蟲ぞなく
解釈 女郎花、秋の野を押し分けてそれを手折れば、私の住む宿が人の手で荒れてしまったと、松虫が悲し気に泣いています。

歌番号三六  あまね
原歌 むしのねに なきまとはせる をみなへし をれはたもとに きりのこりゐる
和歌 蟲の音に 鳴きまとはせる 女郎花 折れば袂に きりのこりゐる
解釈 人がやって来ると虫の音に鳴き惑わされている女郎花、その女郎花を手折れば、袂は虫の涙のような僅かな霧が懸かり残ったように濡れている。

歌番号三七  希世(平希世)
原歌 なにしおへは あはれとおもふを をみなへし たれをうしとか またきうつろふ
和歌 なにしおへば あはれと思ふを 女郎花 誰れを憂しとか またき移ろふ
解釈 文字で書けば女郎花と言う名前を背負えば、優雅だと思う、その女郎花の花よ、それなのに、誰の誘いを嫌ってか、早くも花の命を終えようとする。

歌番号三八  もとゆき
原歌 ちるはなを みなへしはなの あはかせの ふかむことをは くるしからしな
和歌 散る花を みなへし花の 遭は風の 吹かむことをば 苦しからしな
解釈 散ってしまうべき花を、皆、終わらせてしまった女郎花の花は、秋に遭うべき風が吹くだろうことを辛いこととは思わないでしょう。

歌番号三九
原歌 ときのまも あきのいろをや をみなへし なかきあたなに いはれはてなむ
和歌 ときの間も 秋の色をや 女郎花 長きあだなに いはれ果てなむ
解釈 秋と言う季節の間も、秋を代表する花の色として、女郎花よ、長い間を美しいと評判であった、その評判のいわれを最後まで果たして咲いていて欲しい。

歌番号四〇
原歌 あきののの くさをみなへし しらぬみは はなのなにこそ おとろかれぬれ
和歌 秋の野の 草をみなへし しらぬみは 花の名にこそ 驚かれぬれ
解釈 秋の野の草の名を、皆、一通りほどは知らない私は、これが女郎花と知らされた、その花の名にこそ、これがそれなのかとばかり、驚いてしまいました。

歌番号四一 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をとこやま みねふみわけて なくしかは へしとやおもふ しひてあきには
和歌 をとこ山 峰踏み分けて 鳴く鹿は 経しとや思ふ しひて秋には
解釈 男山、その峯を踏み分けて鳴く鹿が、このままに通り過ぎたくないと思う、無性に、この秋の景色に。

歌番号四二 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をくらやま みねのもみちは なにをいとに へてかおりけむ しるやしらすや
和歌 をぐら山 峰の紅葉は なにをいとに 綜てかおりけむ 知るや知らすや
解釈 小倉山、その峯の紅葉は何を縦糸にしてあのような彩りの布を織ったのでしょうか、それは誰にも判らないことらしい。

歌番号四三
原歌 ありへても くちしはてねは をみなへし ひとさかりゆく あきもありけり
和歌 ありへても くちしはてねは 女郎花 ひとさかりゆく 秋もありけり
解釈 このままに時を経ても、やがては朽ち果てねばならない、女郎花よ、一つの花盛りがあって散り逝く、そのような秋があってもいいでしょう。

歌番号四四
原歌 おほよそに なへてをらるな をみなへし のちうきものそ ひとのこころは
和歌 おほよそに なべて折らるな 女郎花 のち憂きものぞ 人の心は
解釈 雰囲気に任せてすっかりその気で手折られるな、女郎花よ、簡単に手折られてしまったその後は辛いものですよ、あなたを手折ったその人の心持ちからは。

歌番号四五
原歌 をみなへし やまののくさと ふりしかと さかゆくときも ありけむものを
和歌 女郎花 山の野草と 経りしかど 栄ゆくときも ありけむものを
解釈 女郎花と、今では一つの山の野の草と時を経てなってしまったが、花の盛りの時もあったのですが。

歌番号四六
原歌 をみなへし さけるやまへの あきかせは ふくゆふかけを たれかかたらむ
和歌 女郎花 咲ける山辺の 秋風は 吹く夕影を 誰か語らむ
解釈 女郎花が咲いている山の辺に秋風が吹く、その風が吹く夕暮れの赤き日の光の野辺の様を、さて、誰が私と語り合うのでしょうか。ねぇ、貴女。

歌番号四七
原歌 をみなへし なとかあきしも にほふらむ はなのこころを ひともしれとか
和歌 女郎花 などか秋しも 匂ふらむ 花の心を 人も知れとか
解釈 女郎花(のような貴女)よ、どうしてこの秋の季節に咲き誇るのでしょう、その盛りとなった花の心を、あの人にも知って欲しいと言う訳なのでしょうか。

歌番号四八
原歌 てをとらは ひとやとかめむ をみなへし にほへるのへに やとやからまし
和歌 手を取らば 人やとがめむ 女郎花 匂ほへる野辺に 宿や借らまし
解釈 (貴女と言う花を)手に手折って取れば、人はきっと怪しむでしょう、その女郎花(のような貴女)よ。それならば、その女郎花が咲き誇る野辺に今宵の宿を借りましょう。

歌番号四九
原歌 やほとめの そてかとそみる をみなへし きみをいはひて なてはしめてき
和歌 やほとめの 袖かとぞ見る 女郎花 君を祝ひて なてはじめてき
解釈 八人の乙女の袖かと思いました、その女郎花の花は、貴方の長寿を祝って、永遠の時のために岩を撫で始めたのでしょう。
注意 天女が袖で岩を撫でて、その岩が擦れ失せるまでの、永遠の時間の説話が題材です。

歌番号五〇
原歌 うゑなから かつはたのます をみなへし うつろふあきの ほとしなけれは
和歌 植ゑながら かつは頼のます 女郎花 移ろふ秋の ほとしなければ
解釈 わざわざと女郎花を植え替えながら、それでも美しく咲き誇ることを大きくは期待はしない、その女郎花、だって、過ぎ行く秋の時間はそれほど長くはないのだから。

歌番号五一  伊勢
原歌 のへことに たちかくれつつ をみなへし ふくあきかせの みえすもあらなむ
和歌 野辺ごとに 立ち隠れつつ 女郎花 吹く秋風の 見えずもあらなむ
解釈 野辺ごとに美しく立ち咲いてはいても物陰に隠れている女郎花、花を散らす吹く秋風にその女郎花を見つけられないでいて欲しいものです。

以上、紹介をしました。

補足資料:古今和歌集に載る亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)の歌八首
古今和歌集では「朱雀院女郎花合」の名称の詞書を与えた上で歌を採歌しています。およそ、古今和歌集では「朱雀院女郎花合」と云う別な名称の歌合集から採歌したことになっていますが、群書類聚13(和歌部)「朱雀院女郎花合」や肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」を参照しますと、同じ歌を載せた歌合集です。そうした時、古今和歌集に載る亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)の歌八首を確認しますと、八首中三首だけが亭子院女郎花合に確認できるだけです。従いまして、残り五首の状況からしますと伝存する亭子院女郎花合と紀貫之の時代のものとでは相違している可能性があります。

一  
古今歌番号二三〇  左大臣(藤原時平)
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 をみなへし あきののかせに うちなひき こころひとつを たれによすらむ
和歌 女郎花 秋の野風に うちなびき 心ひとつを 誰によすらむ
解釈 女郎花のような愛しい貴女、秋の野に吹く風に女郎花が打ち靡くように、その貴女のたった一つの心を誰に寄せるのだろうか。

二  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三一  藤原定方
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 あきならて あふことかたき をみなへし あまのかはらに おひぬものゆゑ
和歌 秋ならで あふことかたき 女郎花 天の河原に おひぬものゆゑ
解釈 秋でなくては逢うことが難しい女郎花よ、お前はあの七夕の天の河原に生えている訳でもないのに。

三  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三二  紀貫之
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 たかあきに あらぬものゆゑ をみなへし なそいろにいてて またきうつろふ
和歌 たが秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色にいでて まだきうつろふ
解釈 誰に限った秋にでもないものだからか、女郎花よ、どうして、すぐに花色を現わして、まだその時期でもないのに、早くも色褪せてしまうのか。

四  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三三  凡河内躬恒
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 つまこふる しかそなくなる をみなへし おのかすむのの はなとしらすや
和歌 つま恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花 おのがすむ野の 花と知らずや
解釈 妻を求めて鹿が鳴いている。その野に咲く女郎花は自分の住んでいる野の花だと知らないのだろうか。

五  
古今歌番号二三四  凡河内躬恒
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 をみなへし ふきすきてくる あきかせは めにはみへねと かこそしるけれ
和歌 女郎花 吹きすぎてくる 秋風は 目には見へねど 香こそしるけれ
解釈 女郎花よ、吹き過ぎて来る秋風は目には見えないが、女郎花の花の香りで気づかされます。

六  
古今歌番号二三五  壬生忠岑
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 ひとのみる ことやくるしき をみなへし あききりにのみ たちかくるらむ
和歌 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ
解釈 人がじろじろと見ることが嫌なのか、女郎花は秋霧にだけ己が身を立ち隠れるようです。

七  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三六  壬生忠岑
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 ひとりのみ なかむるよりは をみなへし わかすむやとに うゑてみましを
和歌 ひとりのみ ながむるよりは 女郎花 我が住む宿に 植ゑて見ましを
解釈 私ただ独りで眺めているよりも、女郎花は、私が住む屋敷に移し植えて、友を呼び眺めたいものです。

八  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号四三九  紀貫之
詞書 朱雀院の女郎花あはせの時に、女郎花といふ五文字を句のかしらにおきてよめる
原歌 をくらやま みねたちならし なくしかの へにけむあきを しるひとそなき
和歌 をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき
解釈 小倉山の、その峰に立ち馴れて鳴く鹿が過ごしてきただろう秋の様子を知る人はいません。

 私が紹介する亭子院女郎花合、是貞親王家歌合、寛平御時后宮歌合、亭子院歌合などを参照すると、平安時代初期での歌合は事前に歌会を仕切る講師が歌を収集し、その中から秀歌を選別した上で左右の対となる歌番組を編成し、宴の当日に講師が歌番組を披露し、歌への講評と優劣及びその理由を紹介したと思われます。
 風流士のたしなみとして歌会の宴で即興から歌を作り詠うことがあっても、歌合の歌は事前に準備され、主催者側での秀歌選別を経たものだったと考えられます。このような状況を踏まえますと、歌合集には載らないが古今和歌集や後撰和歌集などに歌合集の歌と紹介されるのは、ときにそれは落選歌であったかもしれません。
 一方、古今和歌集などでの歌に付けられた「秋の歌合せしける時によめる(巻五歌番号二五一)」のような詞書から歌が創作された時期の推定は可能ですが、亭子院女郎花合の歌番号二九以下の歌に「これは、その日、みな人々によませ給ふ」との注記が付けられるように歌合集に載る歌であるから、それらはすべて歌合の宴の招集が呼びかけられたときに創作されたとすることは疑問です。作品の創作時期と披露では歌人が四十代以上の人物ですと、可能性として二十年以上前に創作された歌である可能性も残ります。万葉集に例を取りますと次のような山上憶良が詠う歌があり、その作品の構想・着手時期(神亀二年:725)と披露の時期(天平五年:734)とでは大きく違います。

万葉集歌番号九〇三
原文 倭父手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母可等 意母保由留加母
訓読 倭文(しつ)手纒き数にも在(あ)らぬ身には在れど千歳(ちとせ)にもがと思ほゆるかも
左注として付けられた説明文
原文 去神龜二年作之 但以故更載於茲。天平五年六月丙申朔三日戊戌作
訓読 去る神龜二年に之を作れり。但し、以つて故に更(さら)に茲(ここ)に載す。天平五年六月丙申の朔(ついたち)にして三日戊戌の日に作れり。

 このように平安初期の歌合でのルールからすると、標準的な研究者が漠然と歌合歌はその歌合で創作されたものと云う仮定の設定は非常に危ういものになりますし、そこらから古今和歌集の再編纂時期を推定することはさらに危ういことになります。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする