竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 五十九 雪を楽しむ

2013年12月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 五十九 雪を楽しむ

 『万葉集』の中に雪を詠う歌を多く見ることが出来ます。ここでは恋歌以外のものを中心に個人の好みで雪の歌を集めてみました。
 最初に紹介する三首は官庁で行われる新年の賀詞交換の宴で詠われた定型の寿歌です。今日、紹介しますと、数日ほど年の内となり、タイムリーではありませんが、ご勘弁のほどを。なお、大伴家持が詠う集歌4516の寿歌は典型的な役人が詠う定型歌ですので秀歌として鑑賞するたぐいのものではありませんが、『万葉集』の最後を閉める歌としては有名です。また、紹介しますものは個人的な鑑賞での景色感覚から、その紹介順は『万葉集』での記載順とは違います。

集歌3925 新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
訓読 新しき 年の初めに 豊(とよ)の年 しるすとならし 雪の降れるは
私訳 新しい年の初めに、今年はきっと豊作の年だと、預言しているのでしょう。このように雪が降ってくるのは。

集歌4516 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
訓読 新しき 年の始(はじめ)の 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よこと)
私訳 新しい年の始めの初春の今日、その今日に降るこの雪のように、たくさん積もりあがれ、吉き事よ。

集歌4229 新 年之初者 弥年尓 雪踏平之 常如此尓毛我
訓読 新しき 年し初めは 弥年(いやとし)に 雪踏み平(なら)し 常(つね)かくにもが
私訳 新しい年、その年の初めには、さあこのように毎年に、豊作を預言する雪を踏み均して、いつもいつもこのような宴をしたいものです。

 紹介したものは官庁の新年の賀詞交換の宴で詠う定型の歌ですから、同じような定型歌が平安時代でも新年を祝う宴で詠われています。それが次の歌です。
 儀礼で詠う寿歌ですから定型歌として上二句は決まっています。そのため、下三句をその場の雰囲気に合わせて詠うことが重要です。ただし、気象物では雪は豊作の予兆ですから雪があればそれを詠い込むのは礼儀ですし、同じようにおめでたい詞もまた必要です。

古今和歌集 歌番号1069
新しき 年のはじめに かくしこそ ちとせをかねて たのしきをつめ


 次に紹介する歌は新年の宴会で詠われた抒情の寿歌です。和歌の世界の季節の約束では冬は十二月の末までで、春は一月から三月です。およそ、紹介する歌が詠われたのは新年謹賀の宴と云うことになります。奈良時代前期から中期の貴族たちの新年を賀する宴での酒の肴には、このような歌が詠われたようです。宴の参加条件がこのような歌を詠うことを求められるのですと、現代人では酔いが醒めるような大変な宴です。

集歌1439 時者今者 春尓成跡 三雪零 遠山邊尓 霞多奈婢久
訓読 時は今は 春になりぬと み雪降る 遠き山辺(やまへ)に 霞たなびく
私訳 季節は、今はもう、春になりましたと。美しい雪が降る。その真っ白い雪が積もる遠くの山並に、霞が棚引いています。

集歌1832 打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管
訓読 うち靡く 春さり来れば しかすがに 天(あま)雲(くも)霧(き)らふ 雪は降りつつ
私訳 芳しく風に靡く春が天を去り地上にやって来ると、さすがに空の雲もこのように霧となる。雪は降っていても。

集歌1888 白雪之 常敷冬者 過去家良霜 春霞 田菜引野邊之 鴬鳴焉 (旋頭歌)
訓読 白雪し 常(つね)敷く冬は 過ぎにけらしも 春霞 たなびく野辺(のへ)し 鴬鳴くも
私訳 白雪がいつも降り積もる冬は、きっともう、その季節が過ぎたようです、春霞が棚引く野辺には鶯が鳴いています。

集歌4488 三雪布流 布由波祁布能未 鴬乃 奈加牟春敝波 安須尓之安流良之
訓読 み雪降る 冬は今日(けふ)のみ 鴬の 鳴かむ春へは 明日(あす)にしあるらし
私訳 美しい雪が降る冬は今日までです、鶯が鳴くでしょう、その春は、明日からなのでしょう。


 ここからは、純粋に雪景色に対する個人の好みです。

集歌262 矢釣山 木立不見 落乱 雪驪 朝楽毛
訓読 矢釣山 木立し見えず 降りまがふ 雪し驪(うるは)し 朝(あした)楽(たのし)も
私訳 矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪が彼方のまっ黒な雪雲から降り来る、その雪が美しい。きっと、白一面となる翌朝も風流なことでしょう。

集歌318 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
訓読 田子し浦ゆ うち出(い)でて見れば 真白にぞ 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に 雪は降りける
私訳 田子にある、その浦から出発して見上げると、真っ白な富士の高き嶺。その高き嶺に雪が降ったのでしょう。
注意 この歌は冬の季節の歌ではありません。雰囲気は夏の季節の歌です。しかし、有名な歌ですので、参考として取り上げました。

集歌822 和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
訓読 吾(わ)が苑(その)に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも
私訳 私の庭に梅の花が散る。遥か彼方の天空から雪が降って来たのだろうか。

集歌1420 沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
訓読 沫雪(あわゆき)か はだれに降ると 見るさへに 流らへ散るは 何物(なにも)し花ぞも
私訳 沫雪なのでしょうか、まだら模様に空から白いものが降るのを見ていると、その空から流れ散るのは何の花でしょうか。

集歌1426 吾勢子尓 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者
訓読 吾が背子に 見せむと念(おも)ひし 梅し花 それとも見えず 雪の降れれば
私訳 私の愛しい貴方に見せましょうと想った梅の花。今、その花がどこにあるのか判らない。真っ白な雪が降ってしまったので。

集歌1639 沫雪 保杼呂保杼呂尓 零敷者 平城京師 所念可聞
訓読 沫雪(あわゆき)し ほどろほどろに 降り敷しけば 平城(なら)し京(みやこ)し 思ほゆるかも
私訳 沫雪が庭にまだら模様に降り積もると、奈良の京を思い出されます。

集歌1848 山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞
訓読 山し際(は)に 雪は降りつつ しかすがに この河(かは)楊(やなぎ)は 萌(も)へにけるかも
私訳 山の稜線に雪は降り続けている。目に見る景色はそうなのですが、この川楊は春の季節が来たと芽が萌えだしたのでしょう。

集歌2314 巻向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流
訓読 巻向(まきむく)し 檜原(ひはら)もいまだ 雲居ねば 小松し末(うれ)ゆ 沫雪流る
私訳 巻向の檜原にもいまだに雪雲が懸かり居るからか、垂れた小松の枝先の積もった沫雪が流れ落ちる。

集歌2334 沫雪 千里零敷 戀為来 食永我 見偲
訓読 沫雪(あはゆき)し 千里(ちり)し降りしけ 恋ひしこし 日(け)長き我は 見つつ偲(しの)はむ
私訳 沫雪よ。目の前に広がるすべての里に降り積もれ。今までずっと貴女を恋い慕ってきた、所在無い私は、降り積もる雪を眺めて、昔に祭礼で白い栲の衣を着た貴女の姿を偲びましょう。


 おまけですが、次の大原真人今城が詠う集歌4475の歌は柿本人麻呂歌集に載る集歌2334の歌に対する本歌取り技法で詠った歌です。集歌2334の歌の「戀為来」は場合により「こいしくの」とも訓むことが出来ますので、違いはわずかに四句目だけとなります。時に大原今城の恋しい相手とは柿本人麻呂の歌々かもしれません。もう一つ、四句目の「於保加流(おほかる)」からは「多ほかる」と「凡ほかる」との二つの意味が取れます。その姿はちょうど、表記方法を含めて『古今和歌集』の歌と同じ世界の歌です。当然、宴で大原今城の歌を鑑賞する人々は、ここでの説明は承知の事柄です。

集歌4475 波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都々之努波牟
訓読 初雪は 千重に降りしけ 恋ひしくの おほかる吾は 見つつ偲(しの)はむ
私訳 初雪は幾重にも里に降り積もれ。物恋しい気持ちが募り、気がそぞろな私は、雪一面の里の様子を眺めて物思いをしましょう。


 終わりに、ここでは雪と梅花とを詠う歌はあまり紹介しませんでした。万葉集には多くの雪と梅花とを詠う歌がありますが、これは次回、梅花の歌を楽しむ時に紹介します。
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