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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

96回目の夏

2014年08月08日 | スポーツ
明日、甲子園が開幕します

大会no.1スラッガー岡本和真や
「大谷二世」こと松本裕樹らが
注目されてますが・・・
その松本が居る盛岡大付(岩手)と
初戦で対戦するのは、僕の出身地
神奈川を勝ち抜いた東海大相模だ。

大学・高校を含む東海大学系列の
野球部の礎を築いた原貢氏が、
五月亡くなられた。そんな年に、
史上最多のグループ四校が全国へ…。

七日間ある初戦(一部二回戦から登場)。
ばらける可能性もある中、
四日目第一試合に東海甲府(山梨)、
同日第二試合に東海大四(南北海道)、
六日目第二試合に東海大望洋(千葉)、
そして続く第三試合に「総本山」の
東海大相模が登場するのも、
「東海大学野球部名誉総監督」の
天からの采配か。



僕の幼い頃、貢監督の息子で、
現G監督の原が三番を打ち、
四番津末、左腕エース村中を擁して
春夏四度「聖地」の土を踏んだ相模は
75年春には準優勝するなど強かった。

強すぎて、他校を応援しちゃうのは人情。

そしてそれを決定づけたのは、
僕が高一の夏、母校が初戦で
くじ運悪く「名門・相模」と当たった。

当時200校前後の参加校を有し、
全国一の激戦区だった「王国・神奈川」。
ノーシード校は甲子園まで八試合
シード校でも七試合戦うので、当然、
無名の生田東相手では主戦は温存。

それもあって一回表、いきなり先制する!
スタンドは俄かに盛り上がった。
「同じ高校生、万が一があるのでは…」
束の間の夢を見た。
その裏あっと言う間に逆転されると、
やはり現実は甘くなくコールド負け。

まっ、個人的な思いは銀傘の向こうに置いて。

東海大相模を率いて初出場初優勝
(1970年第52回大会。余談だが、
僕の父の母校・五所川原農林も
青森代表として初出場した大会)
通算夏六回、春二回甲子園に導いた
名匠・原貢に優勝を捧げたい四校を、
応援はしないが注目はする
第96回全国高等学校野球選手権大会。

いきなり初戦に春夏連覇を目指す
龍谷大平安(京都)が登場!!

そーいえば大学附属校が12校も出る。
最近は経営難の私立を系列化し、
校名が変わる学校が多いけれど、
それはまた別の話。
コメント (1)
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