麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

みちたけ(破)

2012年10月08日 | スポーツ
高橋三千丈は熱い投手だった

1978年春、明治大学の主将で
投手だった三千丈は、
鹿取義隆との二枚看板で
法政の5連覇を阻止した!

江川、鎗田、袴田、徳永、金光、
島本、植松ら「花の49年組」を
擁する法政が76~77年の春秋
4季連続優勝(しかも勝ち点を
落とさない完全優勝)して
去った翌年のことだ。

気持ちで投げるピッチャーで
マウンド上での躍動感に
胸躍った。
冷静沈着な鹿取とは対照的。

そして、対照的だったのは
その後の野球人生もだった。

今更ですが昨日の続きっす。
【文中敬称略】

明治大学からドラフト一位で
中日に入団。即戦力として
プロ一年目から43試合に登板し
5勝4敗2セーブ
ドラゴンズの未来のエースへと
大きな期待がかかっていた。

明治の先輩でもある星野仙一が
背負っていたドラゴンズの
エースナンバー20を継承する
可能性も十二分にあった。

それを証明するかのように
三千丈の背番号は12

が、翌年には血行障害から
活躍はままならなくなり、
6年間通算で一軍登板60、
6勝6敗2セーブという
生涯成績で引退している。

一方、鹿取は巨人と西武で
主にリリーフ投手として
大成したのは周知の通り。
参考までに数字を記すと
91勝46敗131セーブ。

「記録に残る選手と
記憶に残る選手」とはよく言うが
高橋三千丈は完全に後者。

若くしてコーチとなり、
恐らくは、島岡イズムに則った
熱血指導だったのだろう。
中日一筋、一軍二軍を往き来し、
09年からは韓国リーグで
投手コーチを務めている。

務めるといえば。。。
5連覇を阻止された側の
法政の主将・居郷肇は、
プリンスホテルに入社。
プロには進まず30歳で引退し
いわゆる「サラリーマン」となる。
が、な、な、なんと
2011年3月「西武ライオンズ」の
社長に就任した。
人生って本当に色々だな。
コメント
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