読書日記

いろいろな本のレビュー

江戸歌舞伎の怪談と化け物 横山泰子 講談社選書メチエ

2008-12-13 14:17:56 | Weblog

江戸歌舞伎の怪談と化け物 横山泰子 講談社選書メチエ



 著者によれば江戸歌舞伎の怪談物の面白さは次の五点あるという、一、才能ある役者と作者によって作られたこと。ニ、大道具大仕掛けを多用すること。三、文化文政期に成立した娯楽であること。四、近現代の怪談文化にまで影響を及ぼしていること。五、「日本的」な遊びであることである。その嚆矢は文化元年の鶴屋南北作「天竺徳兵衛韓噺」、主演は初代尾上松助(後に松緑、1744~1815)である。彼は仕掛けの工夫が好きで、早や替りが得意、超自然的な役に向いた俳優だった。特に水くぐり、水中早や替りは観客を魅了したらしい。引田天引のルーツだ。松助死後は、その養子の三代目尾上菊五郎(1784~1849)と南北が組み、さらに新作を作ったが、その代表作が、怖いお岩の幽霊が出る「東海道四谷怪談」であった。
 そのお岩の出産に注目した記述が本書のハイライトといっていいと思う。お岩は妊娠、出産を経て、母となって死に、幽霊となるのだが、南北は産褥中のお岩がお歯黒、髪結いする姿を描き、産婦を見世物にしていると述べる。これは出産を他人事としてしか意識しない男性ならではの発想と言う。ここでイギリスの女流作家メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を例に挙げて、この小説の主題が女性の産後の精神的ショックがいかに大きいものであるかに他ならないと分析している。私はこの部分の展開に女性らしさが溢れていて感動した。比較文学の手法がうまく取り入れられている。これで逆に鶴屋南北の才能が際立っていたという証明にもなると思う。
 坪内逍遥は、歌舞伎はキマイラ(獅子と山羊と龍を足した変な怪獣)と言った。これは、歌舞伎の多面性についての評価だが、無類の複雑さが歌舞伎の魅力でもある。ここには江戸の歴史が刻み込まれている。

巨匠たちのラストコンサート 中川右介 文春新書

2008-12-13 11:42:25 | Weblog

巨匠たちのラストコンサート 中川右介 文春新書



 ここで取り上げられている巨匠とは、トスカニーニ、バーンスタイン、グールド、フルトベングラー、リパッティ、カラヤン、カラス、クライバー、ロストロポーヴィッチである。九人の「最後のコンサート」をめぐるエピソードと著者の思いが綴られている。個人的に興味を覚えたのは、コンサートを止めてスタジオ録音だけに専念したグールドと、コンサートの聴衆の反応に生きがいを感じたバーンスタインの対照的な生き方だ。人柄も孤独と気さくの両極端で、芸術家の個性の具体例を目の当たりにした感じだ。バーンスタイン同様、コンサートを重視したのがカラヤンで、彼にとってはレコードはリハーサルの一部で、コンサートやオペラの本番こそが、真の演奏だった。その点が、録音が大好きで大量のレコードを残しながらもコンサートを拒否したグールドとの最大の相違点だった。
 またバーンスタインにとっても、コンサートこそが本番であり、レコードはそれの「記録」の意味が強かった。同時録音できない時代は、しかたなく、まだその興奮が冷め遣らぬ翌日に演奏して録音していたのである。一方のカラヤンは、ある時期から、先に録音し、後からコンサートの臨んでいた。録音セッションとなると手当てが出るので、オーケストラは喜んで付き合ってくれる。コンサートのためのリハーサルの経費をレコード会社が出してくれるので、一石二鳥というわけだ。しかも録音とコンサートの間にはタイムラグがあったので、コンサートで感激した客が客席を立って、ロビーに出て見ると、たったいま聴いた曲のレコードが売られているのだ。レコード販売システムとして完璧といえよう。カラヤンが商売人と言われる所以である。日本のクラシックフアンの多くは、レコードという「カラヤンにとってのリハーサル」だけでカラヤンを評価していたのだという著者の指摘は誠に鋭い。ベルリンフイルやウイーンフイルのチケットはS席四万五千円もするが、生演奏の価値はそれを補って余りあるということか。