みちのくの山野草

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「子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない」の目次

2019-08-20 18:00:00 | 目次
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)

「子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない」の目次
 はじめに
「真の贈与」
『新校本年譜』の昭和8年9月20日の項
賢治は天才作家だった
風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪
恩師(賢治の甥)のある嘆き

Ⅰ部 本当の宮澤賢治
 第一章 「独居自炊」と言い切れぬ「羅須地人協会時代」
「独居自炊」とは言い切れないのでは
千葉恭の出身地は水沢の真城だった
千葉恭が穀物検査所を辞めた時期等判明
宮澤家別宅寄寓期間についての仮説と検証
千葉恭の宮澤家別宅奇遇の裏付け(施肥表)
千葉恭の宮澤家別宅奇遇の裏付け(マンドリン)

 第二章 賢治は昭和2年11月頃に上京約3ヶ月滞京
『新校本年譜』大正15年12月2日に反例あり
著者でない者が改稿して出版した『賢治随聞』
一読して変な文章
改竄されていた『宮沢賢治物語』
〈仮説2〉の妥当性を裏付けているもの
澤里武治は修正したとは言い切れない
修訂が必要?な『現 宮澤賢治年譜』
入沢康夫氏からの「賢治昭和二年上京説」支持
「賢治昭和二年上京説」とクレーマー
おかしいことがありすぎるのでは

 第三章 ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ賢治の悔い
大正15年の紫波郡の大旱害の惨状と支援
その頃の冬は樂しい集りの日が多かつた
昭和3年の「ヒデリノトキニハ涙ヲ流」す必然性などなし
昭和3年の「ヒデリノトキ」賢治は何をしていたか
「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治

 第四章 サムサノナツハオロオロアルキができなかった賢治
典拠も、裏付けも示さず、検証もせずに
「健全な批判精神」が失われて起こった悲劇
「昭和二年は、ひどい凶作であった」も誤認
「サムサノナツハオロオロアルキ」もなかった

 第五章 賢治の稲作指導法小作や自小作農にはふさわしからず
稲の最適土壌は中性でも、ましてアルカリ性でもない
賢治の稲作指導法とは
「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
賢治の稲作指導法の実態と限界
 
 第六章 「下根子桜」撤退の主たる理由は「アカ狩り」対処
「演習が終るころはまた」の「演習」とは
昭和3年の「アカ狩り」と「下根子桜」撤退
大内秀明氏から頂いた拙論に対する評

 第七章 「賢治研究」の更なる発展のために
「真実」を明らかにできたことの喜び
「賢治研究」の更なる発展のために

Ⅱ部 本当の高瀬露 
 第一章 「聖女のさまして近づけるもの」 
「聖女のさまして…」の「聖女」は露と人は言うが
聖女の如き伊藤ちゑ
当時の賢治は独身主義を捨てていた
当時のちゑは賢治との結婚を拒絶していた
「聖女」のモデルは限りなくちゑである
詩は安易に還元はできない

第二章 〈悪女・高瀬露〉の典拠はあやかし
常識的に〈高瀬露悪女伝説〉を判断してみれば
昨今でも書き放題の一部研究者たち
はからずも著者自身がそのことを教えてくれている
『宮沢賢治 その愛と性』を安易に典拠とすることは危険

第三章 風聞や虚構の可能性
上田哲の論文「〈悪女〉にされた高瀬露」
露は当時下宿していたことが判明
露の勤務した寶閑小学校の場所特定
露の生家の場所も確定できた
露が花巻電鉄の〝鉛線〟を利用したとしても
「露の下宿~下根子桜」往復最短でも約4時間
やはり風聞や虚構の恐れあり

第四章 「ライスカレー事件」
高橋慶吾の証言の信憑性
「下敷き」における「ライスカレー事件」の検証
「ライスカレー事件」でもって露を〈悪女〉にはできない
父政次郎の叱責が全てを語っている

第五章 「下根子桜訪問」は虚構
「一九二八年の秋の日」の「下根子桜訪問」
決して「一九二七年の」とはしていなかった
和暦が38ヶ所もあるのに西暦は1ヶ所、しかも…
当時の森は長期療養中だった
当時重篤であったことが報道されていた
「一九二七年の秋の日」の「下根子訪問」ほぼあり得ず
露は巷間言われているような〈悪女〉では決してなかった

第六章 「新発見」と嘯いたことの責め
「新発見」の「賢治書簡下書252c」とはいうものの
「(高瀬露が)法華をご信仰なさうで」とは信じがたい
「判然としている」と言われても……
一連の書簡下書群調べれば調べるほどあやかしだらけ
「昭和4年」であることの不思議
〝一連の書簡下書〟はたして「露宛」か?
賢治の書簡下書と雖も安易には還元できない
〝一連の書簡下書〟伝記研究に資すること能わず
〈高瀬露は悪女だったとは言えない〉が検証できた
「新発見」と嘯いて実名を公にしてしまった責任
ある「藤原嘉藤治宛ちゑ書簡」が示唆すること

第七章 人為的に消された曜日欄の「曜日」
関徳弥の『昭和五年 短歌日記』発見
人為的に消されていた曜日欄の「曜日」
『昭和五年 短歌日記』は「昭和5年」に書かれたものか
『昭和五年 短歌日記』は昭和6年用に使われた
『昭和五年 短歌日記』の記述内容は反例となり得ず

第八章 賢治三回目の「家出」か
〔最も親しき友らにさへこれを秘して
「私も隨分かわつたでしよう、変節したでしよう」と賢治
一方のちゑ自身はどう思っていたか
ちゑの『二葉保育園』勤務の意味
ちゑの結婚拒否の真の理由は
賢治をして〔聖女のさましてちかづけるもの〕を詠ませたもの
思考実験〈賢治三回目の「家出」〉
思考実験〈ちゑに結婚を申し込んだ賢治〉

第九章 曾て賢治になかつた事
「賢治氏を中傷的に言ふ」女の人
佐藤勝治の〔聖女のさまして…〕に対する見方
実は二つは同じエピソードでは
賢治と中舘武左衛門
賢治遠野へ露を訪ねる
思考実験〈怒り心頭に発して逆襲した賢治〉
思考実験〈「賢治氏を中傷的に言ふ」の真相
こうして全てが皆繋がった

おわりに

【補遺】
高瀬露と千葉恭そして松田甚次郎(その1)
高瀬露と千葉恭そして松田甚次郎(その2)
高瀬露と千葉恭そして松田甚次郎(その3)
あの市議への批判と同じ批判がなされるのでは
「有能な実践者・賢治」
『やまなし』はたしかに童話
大人が事実のごとく教えてはいないか
配慮の足りない大人
純真な子供たち対してこれでいいのか

【資料】
賢治の場合の「独居自炊」の使われ方

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《『本統の賢治と本当の露』の広告 》(平成30年5月1日付『岩手日報』一面下段)

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 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
 なお、〈目次〉は以下のとおりです。

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