みちのくの山野草

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実は二つは同じエピソードでは

2019-10-09 10:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 そして佐藤勝治は、この「これを解くたしからしい鍵を使って、今度は次のようなエピソードを紹介しながら「手記成立の」理由がわかったとして、
 私は、「賢治○○」の著者から、病床の彼にその後のT女の行為について話したら、翌日大層興奮してその著者である彼の友人の家にわざわざ出かけて来て、T女との事についていろいろと弁明して行つたと、直接聞いたのである。その時はそんなにむきになつて弁解した賢治を一寸おかしいと思つたぐらいであつたが、その後にその手記が発表になり、後日「賢治○○」の著者の性格を知り、その後で又このような忠吉(伊藤忠一:投稿者註)さんの話を聞くに及んで、この手記成立の理由が私には明確に解けたのである。(「賢治○○」の著者は、彼の手許に置いていた私の原稿を、無断でそのままラジオ放送に利用したこと一つでその性格が知られよう。)
              <『四次元50』(宮沢賢治友の会)10p~より>
と述べていた。
 そしてお気付きのように、これは先のエピソード「それは賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的云々とそっくである。そこで、少し分析しながら比較してみると、
  病床の彼=賢治
  T女=賢治氏知人の女の人
  T女の行為=賢治氏を中傷的に言ふ
  大層興奮し=違つた場合を見た樣な感じを受けました
  著者の友人の家=関登久也の家
  いろいろと弁明=一應の了解を求め
  むきになつて弁解=曾て賢治氏になかつた事
となる。よって、この二つはほぼ同じエピソードだと判断できる。そして、佐藤が伝えるこのエピソードを私なりに解釈<*1>してみると以下のようなものとなる。
 賢治と親しい〝「賢治○○」の著者〟Mが病床の賢治にその後の露に関する「噂話」を告げ口をしたところ、賢治はそれを真に受けて、翌日大層興奮してMの友人でもある関登久也の家にわざわざ出かけて行き、露との事についていろいろと弁明して行った。
 その時はそんなにむきになって弁解したという賢治を一寸おかしいと勝治は思ったが、実はそうではなかったということが後にわかった。
 他人の原稿を無断でラジオ放送に利用するようないい加減なMのことだから、病床の賢治に「噂話」程度の露の行為を告げ口、それも告げ口の常套である誇張と悪意によるそれだったことと、忠一の証言から判るように、人の告げ口を信じやすい賢治のことだからそれを真に受けてしまった。それが元で、賢治は翌日大層興奮して関登久也の家にわざわざ出かけて行き、露との事についていろいろと弁明して行った。
 また、後にMは「賢治○○」において露に関わる手記を発表したが、その手記のいい加減さは、他人の原稿を無断で利用するようないい加減さによるものだと捉えれば説明がついたので、私とすればこの手記成立の理由が明確に解けたのであった。
 どうやら、佐藤はこう言いたいかったようだ。端的に言えば、
    「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に言ふ」=「誇張と悪意に満ちた告げ口をMがした」
という等式が成り立つ可能性が極めて高いということを佐藤は主張したかったようだ。

 ただし、そしてそもそも、その女の人が中傷したかどうかの確たる証拠が示されているわけでもない。その中傷の中身を云々する以前の問題として、中傷行為そのものが事実あったのかどうなのかという問題がもちろんある。これが、先に私が「それ以前の問題がそこにはありそうなんだ」と言った意味だ。
 要するに、「賢治氏知人の女の人が、賢治氏を中傷的に」果たして言ったかどうかは定かではないし、はたまたこの「女の人」が露であるのかさえも怪しい。ついては、そのようなあやふやなものに基づいて仮説を検証するということなどは無意味、検証以前の話ということになる。
 よって、もちろん、関登久也の「面影」における『賢治氏知人の女の人』絡みのエピソードは、〈仮説:高瀬露は悪女とは言えない〉の反例とはなり得ない。

 なお 先の追想「面影」の中で、
 それだけ賢治が普通人に近く見え、何時よりも一層親しさを覺えたものです。其の時の態度面ざしは、凛としたといふ私の賢治を説明する常套語とは反對の普通の親しみを多く感じました。
と関が心情を吐露しているが、私も同様に賢治に一層の親しみが増した。とかく賢治の言動となると、一般に良心的解釈をする傾向があるが、まずは常識的な見方を大切にしないといけないとも言える。そうはせずに、人間賢治のことを特別扱いすると、賢治以外の人を傷つけてしまいかねない。いずれにせよ、この件に関しては賢治にも非があったことは明らかであり、関登久也の言うとおりであったということになりそうだ。

<*1:註> 実は、この頃肝に銘じていることの一つに、何を証言しているかだけではなくて誰が証言したものか、ということも極めて大切なのだということがある。その点から言えば、『佐藤勝治はとても信頼の置ける人だった』ということを私は勝治と親交の深かった人から直接教わっているので、この勝治の証言は信じることができると確信している。したがって、この「賢治二題」の趣旨に従えば、先程の私の「解釈」はほぼ妥当だと確信してる。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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