みちのくの山野草

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「判然としている」と言われても……

2019-09-21 10:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 ところで、『第十四巻』は、「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と書いている(『校本全集第十四巻』(筑摩書房)34p)が、「内容的に」の「内容」が具体的にどのようなものかも明記せず、あるいはまた、「高瀬あてであることが判然」の根拠も示さぬままにあっさりと断定ている。

 そこで、一度確認してみる。
 まずは、ここでいう「本文」とは何を指すのかということをだ。それは、同巻によれば、「本文」とは「新発見」の〔252b〕及び〔252c〕のことを指すのだという。そしてこの「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた宛名不明の下書「不5」については、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があると見られるので高瀬あてと推定し(太字化は投稿者による)
            <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)28pより>
て、「不5」に番号〔252a〕を付けたのだそうだ。

 そこでその「本文」、つまり、同巻が「新発見の」というところの〔252b〕及び〔252c〕の中身を今度はそれぞれは確認してみよう。
 〔252b〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書とは、
お手紙拝見いたしました。
南部様と仰るのはどの南部様が招介(ママ)下すった先がどなたか判りませんがご事情を伺ったところで何とも私には決し兼ねます。全部をご両親にお話なすって進退をお決めになるのが一番と存じますがいかがゞでせうか。
 私のことを誰かゞ云ふと仰いますが私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい
              《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙
               <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)30pより>
 〔252c〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟とは、
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても協会の犠牲になっていろいろ話の違ふとこへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明る〕くといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合は環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選 択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことをしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外にお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申しあげれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざな者をあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目におい でになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあ げたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝでは だんだん間違ひになるからいまのうちにはっきり申し上げで置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
               《用箋》「さとう文具部製」原稿用紙
               <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)31p~>
というものだという。
 となれば、同巻が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」というところの「内容的」の「内容」はどこなのだろうか。私には「判然としている」ところがどこなのか特定できないし、殆どの読者もそうなのではあるまいか。そして、そもそも同巻自体がそれがどこかを明示していない。
 だから実質的には、〔252b〕及び〔252c〕は露宛のものだと断定できるだけの十分な根拠はこの「本文」からは見つからない。そして、そのような段階のものを基にして〔252a〕も「高瀬あてと推定し」たとなるのだだから、中には、『そのような段階のものを、露が亡くなったのでしれっとして公表したというわけか』と詰る人だってあり得る。『そんなことでいいんだろうか、「校本」と銘打っている割には甘いんじゃないのかな』、とだ。

 一方その後も、私は、同巻が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」としている理由とりそうな典拠をあれこれ渉猟したり、あるいは推考してみたりしたがなかなか見つからず<*1>、相変わらず合点がいかないでいる。だからここは、読者に対してもう少し具体的な理由を提示しながら、納得のいくような説明をしてほしいものだ。そうしないと、例えば、この「断定」は実は露からの賢治宛来簡があってそれを基にそうしたのだが、賢治宛来簡は一切ないと公言している手前それを明らかにできないのであろう、などと勘ぐられかねない。

 結局、現段階で言えることは、
 これら一連の書簡下書群の最もベースとなる肝心の書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と「断定」してはいるものの、その根拠を何ら明示していない。また、その裏付けがあるということも、検証した結果だということも付言していない。したがって「判然としているが」といくら言われても、読者にとっては、「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。そしてそのような書簡下書252cを基にして、さらに推定を重ねた(推定を重ねれば重ねるほど当然確かさはどんどん減る)りしたものが一連の書簡下書群約23通である。確たるものは殆どない。あくまでも「昭和4年の露宛と推定される」賢治書簡下書群でしかない。
ということになりそうだ。

 だから私は、「判然としている」と言われても、逆にますます心許なくなってくるばかりだ。

<*1:註> 先に〝「(高瀬露が)法華をご信仰なさうで」とは信じがたい〟で触れたように、このようなことを懸念しているのは私独りのみならず、例えば、tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査室〟も、平成17年に既に同様な事柄を指摘しているところである。また、米田利昭も、「ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か」と、『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店、平成7年)の223pにおいて疑問を呈している。

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               電話 0198-24-9813

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