《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ〉
〈〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ〉
では肝心の一連の書簡下書群の中身についてだが、まずはその一つ〔旧不5、252a〕についてだ。これは、実はかなり以前から知られていた「書簡の反古」の一つでもあるのだがその中に、
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます。
<『宮澤賢治全集 別巻』(十字屋書店、昭和27年第三版)101pより>というくだりがある。しかし、クリスチャンだった高瀬露がそんなに簡単に仏教徒に鞍替えするなどということは信じがたい<*1>。だがしかし、『校本全集第十四巻』がこれは露宛書簡の下書と推定されると活字にしてしまったものだから、高瀬露は賢治に取り入ろうとしてキリスト教を棄てて法華経信者になったと読者から受けとめられ、結果蔑まれ、それが<悪女>とされた一つの要因にもなっていることは否めない。
そもそも、それまで信じていた宗教を異なった宗教に改宗するということは、個人の信仰上極めて重要な問題である。にもかかわらず、上田哲が「高瀬側の言い分は聞かず一方的な情報のみを受け容れ、いわば欠席裁判的に」と懸念しているように、露のそれに関してはどうやら『同第十四巻』は裏付けも取らずに公に発表してしまったということが懸念される。なぜなら、同巻はそのことに関しては何ら明らかに述べていないからだ。
一方で、同巻がこれらの「書簡下書」は露宛の「書簡」であり「手紙」であると推定して活字にしてしまったものだから、その影響は極めて甚大で、これは世の常、いつの間にか「推定」が独り歩きしてしまって、全国的にこのことがあたかも事実であるかの如くに流布してまったことは否めない。しかも、それまでは「彼女」「女の人」などという表現とか仮名(かめい)「内村康江」では一部にはある程度知られていた〈悪女伝説〉だったがその実名については誰も明らかにしていなかったのに、いきなり、その実名は高瀬露であると読み取られるような註記を同巻がした<*2>結果、実質的に全国的に公表されてしまったと言える。そこで、これを境にして、いわば捏造の〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布してしまった、と誹る人もいる。
さて、一連の書簡下書群の中身をもう少し見てみよう。
(1) 昭和四年のものとして〝〔252b〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟が新たに発見されたという、その内容は以下のとおり。
お手紙拝見いたしました。
南部様と仰るのはどの南部様が招介(ママ)下すった先がどなたか判りませんがご事情を伺ったところで何とも私には決し兼ねます。全部をご両親にお話なすって進退をお決めになるのが一番と存じますがいかがゞでせうか。
私のことを誰かゞ云ふと仰いますが私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい
《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙南部様と仰るのはどの南部様が招介(ママ)下すった先がどなたか判りませんがご事情を伺ったところで何とも私には決し兼ねます。全部をご両親にお話なすって進退をお決めになるのが一番と存じますがいかがゞでせうか。
私のことを誰かゞ云ふと仰いますが私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい
<『校本全集第十四巻』(筑摩書房)30pより>
(2) 昭和四年のものとして〝〔252c〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟も新たに発見されたというが、この内容は以下のとおり。
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな<*3>。…(投稿者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
《用箋》「さとう文具部製」原稿用紙<『校本全集第十四巻』(筑摩書房)31p~より>
つまりこの2通の書簡下書が「新発見」だったと同巻はしている。それから、今の2通は同巻では「本文」として載せているもので、その他にも「新発見」と銘打っているものとしては次の二つ、
(3) 「新発見の下書(一)」
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。…(投稿者略)…誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙(4) 「新発見の下書(二)」
お手紙拝見しました。今日は全く本音を吹きますから
《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙<共に『校本全集第十四巻』(筑摩書房)33pより>
であると同巻は言っている。
なお私は、実は〔252c〕と「新発見の下書(一)」は連続ものであり、次のように一つにまとまると判断している。いわば〔改訂 252c〕として、
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。…(投稿者略)…もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
←(すんなり繋がる)→
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。
のように一つにまとまる。それは、前者の最後が「……買ひ被っておいでに」で、後者の始まりが「なすってゐるものだと存じてゐた次第です」であり、〝(すんなり繋がる)〟るからだ。しかも、前者では「私を遠くからひどく買ひ被っておいでに」とあり、後者では「その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます」とあるから、文章的にも「対」になっているからだ。←(すんなり繋がる)→
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。
しかしこんなことは素人の私でさえも気付くのだから、賢治研究家なら誰でもすぐ気付いたはずだが、私の管見故にだろうか、このようなことを公にした研究家を私は誰一人として知らない。それとも、何か別の理由でもあったのだろうか。
とまれ、「(高瀬露が)法華をご信仰なさうで」とは現段階では信じがたい。何ら同巻はそれを裏付けるものを読者に提示していないからだ。
<*1:註> このことに関しては米田利昭も、
ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。(愛について語っているのだから男性ということはない。当時男は愛などは口にしなかった。)それに高瀬はクリスチャンなのに、ここは<法華をご信仰>とある。以上疑問として提示しておく。
<『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店)223pより>というように、訝っている。
<*2:註> 『本統の賢治と本当の露』でも明らかにしたように、
これら一連の書簡下書群の最もベースとなる肝心の書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定してはいるものの、その根拠が何ら明示されていない。また、その裏付けがあるということも、検証した結果だということも付言していない。したがって「判然としているが」といくら述べられても、読者にとっては、「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。そしてそのような書簡下書252cを基にして、さらに推定を重ねた(推定を重ねれば重ねるほど当然確かさはどんどん減る)りしたものが一連の書簡下書群約23通である。確たるものは殆どない。あくまでも「昭和4年の露宛と推定される」賢治書簡下書群でしかない。
にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、
しかもこのような「推定」等を大手の出版社が公にすれば世の常で、同巻の出版時点ではあくまでも推定であったはずのこれらの書簡下書群がいつのまにか断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」に変身したり、はては「下書」の文言がどこかへ吹っ飛んでしまって「昭和4年露宛賢治書簡」となったりして、独り歩きして行くであろう。そして同様に、「推定」⑴~⑺の内容も、延いては、「露は賢治にとってきわめて好ましくない女性であった」ということなどはとりわけ独り歩きしてしまうことを、私は懸念する。
もちろん、このようなことを懸念しているのは私独りのみならず、例えば、tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年に既に同様な事柄を指摘しているところである。また、米田利昭も、
ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。
と、『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店、平成7年)の223pにおいて疑問を呈している。
そして実際、少なからぬ賢治研究家の論考等において、自身では裏付けを取ることも検証することもないままに、まさに断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」を再生産をしているようにしか見えない論考等を私はしばしば目にする。確実に、「推定」が「断定」に変貌して独り歩きしているのである。
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)130p~〉にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、
…推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか。
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)…(筆者略)…
⑶、高瀬より来信(…(筆者略)…暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…(筆者略)…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む) (傍点筆者)〈同28p~〉
と、続けて⑹、⑺の「推定」も書き連ねている(はしなくも「次のようにでもなろうか」というレベルのものを、『校本宮澤賢治全集』において活字にして公にしたことは如何なものか)。そしてこの「推定」⑴~⑺は、高瀬露がそれまでの信仰を変えて法華信者になってまでして賢治に想いを寄せ、一方賢治はそれを拒むという内容になっている。それ故、この「推定」を読んだ人達は、そこまでもして賢治に取り入ろうとしていた露はきわめて好ましくない女性である、という印象を当然持ってしまったであろう。⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)…(筆者略)…
⑶、高瀬より来信(…(筆者略)…暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…(筆者略)…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む) (傍点筆者)〈同28p~〉
しかもこのような「推定」等を大手の出版社が公にすれば世の常で、同巻の出版時点ではあくまでも推定であったはずのこれらの書簡下書群がいつのまにか断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」に変身したり、はては「下書」の文言がどこかへ吹っ飛んでしまって「昭和4年露宛賢治書簡」となったりして、独り歩きして行くであろう。そして同様に、「推定」⑴~⑺の内容も、延いては、「露は賢治にとってきわめて好ましくない女性であった」ということなどはとりわけ独り歩きしてしまうことを、私は懸念する。
もちろん、このようなことを懸念しているのは私独りのみならず、例えば、tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年に既に同様な事柄を指摘しているところである。また、米田利昭も、
ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。
と、『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店、平成7年)の223pにおいて疑問を呈している。
そして実際、少なからぬ賢治研究家の論考等において、自身では裏付けを取ることも検証することもないままに、まさに断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」を再生産をしているようにしか見えない論考等を私はしばしば目にする。確実に、「推定」が「断定」に変貌して独り歩きしているのである。
と、私は判断している。
<*3:註> それにしても、そもそも賢治って「主義などといふから悪いですな」などというような言葉遣いを普通するのだろうか。正直、これを初めて見た時に私は愕然としたことを今でも覚えている。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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