〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉
こんなことがある本において述べられていた。
ともすれば、賢治は、「無力な理想主義者」というようなイメージが語られがちであるが、それは賢治神話のひとつに過ぎない。…(投稿者略)…
私は、まず「有能な実践者・賢治」という像を強調したい。賢治は卓抜なアイデアマンであり、優れた現実感覚をもっており、粘り強い実務家であった。彼の職業人としてのキャリアは、花巻農学校で教職に就いていた時期(二五歳~二九歳)、羅須地人協会というネーミングのもとに独自の社会活動をしていた時期(三〇歳~三二歳)、東北砕石工場技師の時期(三五歳)、ただし広告文などのアドバイスのみに関わっていた時期を含めるならば、三三歳~三七歳の三つの時期におよそ分けられるが、そのいずれにおいても、賢治は実践者として大いに成果をあげている。
〈16p~〉私は、まず「有能な実践者・賢治」という像を強調したい。賢治は卓抜なアイデアマンであり、優れた現実感覚をもっており、粘り強い実務家であった。彼の職業人としてのキャリアは、花巻農学校で教職に就いていた時期(二五歳~二九歳)、羅須地人協会というネーミングのもとに独自の社会活動をしていた時期(三〇歳~三二歳)、東北砕石工場技師の時期(三五歳)、ただし広告文などのアドバイスのみに関わっていた時期を含めるならば、三三歳~三七歳の三つの時期におよそ分けられるが、そのいずれにおいても、賢治は実践者として大いに成果をあげている。
そこで気になるのが、他の時代はさておき、いわゆる「羅須地人協会時代」のこのような評価がである。はたして同時代に、「賢治は実践者として大いに成果をあげている」と言い切れるのだろうか、と。このことに関しては、著者はさらに、
羅須地人協会時代には、巧みな話術によって農事講演にしばしば会場が溢れ返るほどの聴衆を集めた。肥料相談では、自分で作成したマニュアルに眼にも止まらぬ早書きで設計書を書き上げ、その数は二千枚に及んだ、という。…(投稿者略)…
〈17p〉と述べている。さて、「羅須地人協会時代には、……その数は二千枚に及んだ、という」と述べているこの仄聞表現「という」がどこからどこまでをこの著者が指しているのかはっきりしないが、私の知る限りでは「羅須地人協会時代には、……その数は二千枚に及んだ」全体が仄聞である。そこで私の認識から言えば、この著者の、
賢治は何をやっても有能だったのである。
という判断に、私は首を傾げてしまう。なぜなら、少なくとも羅須地人協会時代については、私が検証した限り、「賢治は実践者として大いに成果をあげている」とは言えそうにないし、それ以前にそもそも、
仄聞から推測はできても、仄聞に基づいては断定ができない。
からである。
逆に言えば、賢治に関してはいろいろなことが言われているが、その多くは仄聞や推定、あるいは噂話の域を出ず、その裏付けもなく、まして検証されたものでもないものが極めて多い。私がここ十数年ほどかけて検証してみた限りでは、巷間流布している賢治像は創られた部分も少なくなく、本統(本当)の賢治とは言えないからである。
そして本統の賢治は、ある座談会で吉本隆明が発言した次のような、
宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、かれの自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。そのてんではやはりたんなる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。
<『現代詩手帖 63’6』(思潮社)18p>という評の通りであったと私も判断できている。
だから、少なくとも羅須地人協会時代の賢治については、「有能な実践者・賢治」であったとは言い切れないのではなかろうか。延いては、
巷間流布している賢治像は、この際一度再検証されねばならない。
のではなかろうか。
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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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