みちのくの山野草

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詩は安易に還元はできない

2019-09-06 16:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 それにしても、高瀬露をモデルにしているとは言い切れない一篇の詩〔聖女のさまして近づけるもの〕を元にして、なぜ少なからぬ賢治研究家がその「聖女のさまして」いる女性を高瀬露と決めつけ、そのあげく露を〈悪女〉にしてしまったのだろうか。それは、詩を安易に還元してしまうという傾向がそこにあったからではなかろうか、そして人権意識もまたそこでは薄いからではなかろうかということを私は否定しきれないでいる。

 そこで私は、自問する。天沢退二郎氏が憂慮している<*1>ように、
   もともと詩というものには虚構が付き物だから詩は安易に実生活に還元できない。
ということをだ。このことは意識しているつもりでも案外忘れがちだ。かつての私などは特に賢治に関する場合にはそうだった。しかし、賢治作品と雖も安易に還元できないのであって、当該の詩を元にして事実を論じたいというのであれば、まずは裏付けを取ったり、検証したりしてからの話であることは当然のことだ。もちろんそれは、作品と事実の間には非可逆性があるからだ。
 ところが、それらの当然なすべきことを手抜きするとどんなまずいことが起こるのか。それを教えてくれるのが今回考察した詩、まさに〔聖女のさましてちかづけるもの〕だ。裏付けも取らず検証もせず、しかも人権意識が希薄な場合、ついには還元さえも飛び越えて自分勝手に解釈してそれを「事実」だと決めつけ、結果、人を傷つけてしまった、と。もう少し具体的に言うと、この〔聖女のさましてちかづけるもの〕というたった一篇の詩によって、賢治をあれこれと助けてくれた一人の女性をとんでもない〈悪女〉と決めつけて濡れ衣を着せてしまった、と。しかも、そうされる客観的根拠は全くないというのにも拘わらずである。そこで私は恐れる。賢治はヒューマニストであったはずなのに、そのような賢治を研究しようとしている人達にはその欠片さえもないのではないか、とか、この時代になっても人権意識があまりにも薄いのではないか、というような誹りを受けかねないことをだ。

 要は、詩は安易に実生活等に還元できないということであり、そもそも詩に虚構があることは当たり前のことである<*2>。だから、詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕にはもしかするとそのようなモデルは元々いなくて、そのことさえも全くの虚構だったということさえもあり得る。
 先に分かったことは、あくまでも「そのモデルがもし実在したとすれば、それは露かちゑであり、さらに検証してみたならばそれは限りなくちゑだということが明らかになった」ということに過ぎない。

<*1:註> 天沢退二郎氏は次のように論じている。
 「〔あすこの田はねえ〕」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」の三篇は、農民の献身者としての生き甲斐やよろこびが明るくうたいあげられているように見える。しかし、「野の師父」はさらなる改稿を受けるにつれて、茫然とした空虚な表情へとうつろいを見せ、「和風は……」の下書稿はまだ七月の、台風襲来以前の段階で発想されており、最終形と同日付の「〔もうはたらくな〕」は、ごらんの通り、失意の底の暗い怒りの詩である。これら、一見リアルな、生活体験に発想したとみえる詩篇もまた、単純な実生活還元をゆるさない、屹立した〝心象スケッチ〟であることがわかる。
             <『新編 宮沢賢治賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)414p~>
<*2:註> 例えば、金子民雄氏は『宮沢賢治の歩いた道』の中でこんなことを述べている。
 ともかくこの詩の出だしの部分は、
   今来た角に
   日本の白楊が立ってゐる
   雄花の紐をひっそりと垂れて
   青い氷雲にうかんでゐる
と記し、その締めくくりを
   落ち葉はみんな落とした鳥の尾羽に見え
   おれはまさしくどろの木のやうにふるへる
とある。…(投稿者略)…
 しかし、賢治がこの山道をたどった時期には、いまだ白楊の木が芽をふいていたとは思えず、彼は空想していたか、まるっきりドロの木を他から借用して、頭の中で描いたのかもしれない。
             〈『宮沢賢治の歩いた道』(金子民雄著、れんが書房新社)93p~〉

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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