みちのくの山野草

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千葉恭の宮澤家別宅奇遇の裏付け(マンドリン)

2019-08-15 14:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない〉

 それからもう一つ、『拡がりゆく賢治宇宙』の中に次のような記載があることも知った。それは、賢治が「下根子桜」の近所の青年たちと結成した楽団のメンバーについての、
   第1ヴァイオリン  伊藤克巳(ママ)
   第2ヴァイオリン  伊藤清
   第2ヴァイオリン  高橋慶吾
   フルート      伊藤忠一
   クラリネツト    伊藤与蔵
   オルガン、セロ   宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
             〈『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79p〉
という記載である。つまりこの楽団に、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです」と、推定表現ではあるものの「千葉恭」の名前がそこにあったのである。ということは、「羅須地人協会時代」に恭は時にこの楽団でマンドリンを弾いていたようだということになるから、恭が下根子桜の別宅に来ていた蓋然性が高いということをこの記載は意味している。
 なお、このことに関しての『新校本年譜』の記載は、
   しかし音楽をやる者はほかにマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり
             〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)補遺・資料 年譜篇』(筑摩書房)314p〉
というように、推定の「あったようです」が「おり」と断定表現に変わっているとともに、「千葉恭」の名前だけがするりと抜け落ちている。そこで、どうして「賢治年譜」には恭だけが抜け落ちているのですかとイーハトーブ館を訪ねて関係者に訊ねたところ、「それは一人の証言しかないからです」という回答だった。もしそういうことであればそれは尤もなことである。
 ところで、そもそも「それは一人の証言しかないからです」というところの「一人」とは一体誰のことだろうかと思って調べ回ったところ、この楽団メンバーの記述を担当した人は阿部弥之氏であることを知った。そこで同氏に、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです」となぜ記述できたのですかと問うと、
 あれですか、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭」という証言は、私が直接平來作本人から聞いたものです。
とその根拠を教えてもらった。よってこれで証言者が確定した。賢治の身辺にいた教え子平來作であった。
 そこで次に私はその裏付けを取ってみようと思っていたので、実はそのためもあって、平成22年12月15日に恭の三男滿夫氏に会いに行ったのであった。そして、同氏に「お父さんはマンドリンを持っていませんでしたか」と訊ねてみたところ、「はい持っていましたよ」という回答であった。さらにその後、長男益夫氏からは、そのマンドリンに関する面白いエピソードまで教えてもらった(平成23年6月16日)。したがって二人の子息の証言から、前掲の「時に、マンドリン・平来作、千葉恭」という記載はほぼ事実であったと言えるだろう。それは、当時岩手でマンドリンを持っていた人は珍しかったはずだからなおさらにである。
 これで、「恭は件の楽団の一員であり、マンドリンを担当していた」ということについてのかなり確度の高い裏付けを私は取れた。つまり、「当時身辺にいた」教え子の平來作が、「恭は「羅須地人協会時代」に下根子桜の別宅に来ていた」ということを実質的に証言していたことになり、これはほぼ事実であったと判断できた。もちろん、こう判断できたのも恭の二人の子息の証言等があったからであり、これで、『拡がりゆく賢治宇宙』の「時に、マンドリン・平来作、千葉恭」という記載については、「それは一人の証言しかないからです」という理由によって棄却することはできなくなったし、逆にその信憑性は極めて高いものとなったと言える。

 したがって、賢治が設計したと言えるあの3枚の〔施肥表A〕と、この平來作の証言によって、恭の下根子桜での宮澤家別宅寄寓が客観的にも裏付けられたと言えるだろう。ひいては、先の仮説、
〈仮説1〉千葉恭が賢治と一緒に暮らし始めたのは大正15年6月22日頃からであり、その後少なくとも昭和2年3月8日までの8ヶ月間余を2人は下根子桜の別宅で一緒に暮らしていた。
の妥当性をさらに補強してくれたし、もちろんその後に誰からも反例を突きつけられていないから、この〈仮説1〉は今後反例が見つからない限りという限定付きの「真実」となったことを、私は確信した。

 そしてこれで、入沢康夫氏の先の疑問、「当時身辺にいた人々が、どうして千葉氏に言及していないのか、不思議ですねに対しての、ある程度の回答が出来たものと、私自身はとりあえず安堵している。それは以上のことにより、なんと賢治自身(=賢治の作成3枚の〔施肥表A〕)がまず言及していたことが明らかになったし、さらに、平來作が言及していたとほぼ言えるからだ。

 というわけで、「羅須地人協会時代」が「独居自炊」であったとは厳密には言い切れない、ということがこれで明らかになったと、私自身は判断している。そして、もしかするとこのようなことを私の恩師である岩田純蔵教授は知っていたからこそ、あのように嘆いたのかもしれないと、私は思いを致した。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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