みちのくの山野草

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高橋慶吾の証言の信憑性

2019-09-12 16:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 では、いわゆる「ライスカレー事件」はどうであったのだろうか。この「事件」に関しては、高橋慶吾の次のような二通りの証言が残っているから、それらを先に見てみる。まず「賢治先生」という追想では、
 或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、臺所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そこに肥料設計の依賴に數人の百姓たちが來て、料理や家事のことをしてゐるその女の人をみてびつくりしたのでしたが、先生は如何したらよいか困つてしまはれ、そのライスカレーをその百姓たちに御馳走し、御自分は「食べる資格がない」と言つて頑として食べられず、そのまゝ二階に上つてしまはれたのです、その女の人は「私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて……」とひどく腹をたて、まるで亂調子にオルガンをぶかぶか彈くので先生は益々困つてしまひ、「夜なればよいが、晝はお百姓さん達がみんな外で働いてゐる時ですし、そう言ふ事はしない事にしてゐますから止して下さい。」と言つて仲々やめなかつたのでした。
            〈『イーハトーヴォ創刊号』(宮澤賢治の會、昭14)所収〉
と「事件」のことを述べている。また、座談会「宮澤賢治先生を語る會」(『續宮澤賢治素描』所収)では、
K 何時だつたか、西の村の人達が二三人來た時、先生は二階にゐたし、女の人は臺所で何かこそこそ働いてゐた、そしたら間もなくライスカレーをこしらへて二階に運んだ。その時先生は村の人達に具合惡がつて、この人は某村の小學校の先生ですと、紹介してゐた、餘つぽど困つて了つたのだらう。
C あの時のライスカレーは先生は食べなかつたな。
K ところが女の人は先生にぜひ召上がれといふし、先生は、私はたべる資格はありませんから、私にかまはずあなた方がたべて下さい、と決して御自身たべないものだから女の人は隨分失望した樣子だつた。そして女は遂に怒つて下へ降りてオルガンをブーブー鳴らした。そしたら先生はこの邊の人は晝間は働いてゐるのだからオルガンは止めてくれと云つたが、止めなかつた。
             〈『續 宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社)209p~〉
というように、「事件」のことを語り合っている(Kが慶吾である)。
 さて、この二通りの慶吾の証言を比較してみると、
        【オルガンを弾く迄の状況対比表】
           「賢治先生」    「宮澤賢治先生を語る會」
  来客について:数人の百姓    西の村の人2、3人
  客の居場所 :1階         2階
  賢治 〃   :2階→1階→2階  2階
  料理中の露 :1階台所     1階台所でこそこそ
  食事場所  :1階         ライスカレー2階へ運ぶ
  オルガン演奏:1階で       2階から下りて1階で
となるから両者の間には結構違いがある(当時のことだから「数人」とはおそらく5~6人)。
 しかも、これらの証言からはオルガンは一階に置いてあったことになるが、実は、慶吾以外は皆(宮澤清六、松田甚次郎、高橋正亮、梅野健造)、当時オルガンは二階にあったと言っている<*1>から、こちらの方の蓋然性がかなり高い。そしてそれが二階にあったとなればこの慶吾の一連の証言は根底が崩れる。しかも「こそこそ」という表現も用いているからそこからは彼の悪意も感じられるので、この「事件」に関する慶吾の証言内容の信憑性は薄い。したがって、このような事件があったとしても、これらの証言から「修飾語」を取り去ったものがせいぜい考察の対象となり得る程度のものだろう。

<*1:註> オルガンのあった「階」に関してそれぞれ次のような証言がある。 
・宮澤清六の場合
 二階には先客がひとりおりました。その先客は、Tさんという婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。リムスキー・コルサコフや、チャイコフスキーの曲をかけますと、ロシア人は、「おお、国の人――」
と、とても感動しました。レコードが終わると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで賛美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました。
(投稿者註:もちろんこの「Tさん」とは高瀬露のこと)
             <『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)236pより>
・松田甚次郎の場合
 早速二階に通された。…(投稿者略)…先生は色々な四方山の話をしたりオルガンを奏してくれたり自作の詩を御讀みになつたりして…(投稿者略)
              <『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭14年)424p>
 請じられて二階に上りました。初冬の寂光が玻璃の窓を透して静かに入り、北上川の流れは清澄、玻璃の外に見えます。至って粗末な火鉢に、火の少しあるのを真中にして、座につきました。松田君は、ただ何んとなしに、春風のような愉快さと、泉のような慈しみとを感じさせられました。
 お茶は出ないで、主人の御馳走は、オルガンの奏曲と、ロシアのレコードと、うず高く積まれた自作の詩稿の朗読とです。
             <『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和26年)198p>
・高橋正亮の場合
 彼に案内されて家のなかにはいると、黒板のある部屋で農閑期を利用してあつまったお百姓たちが、賢治さんから農業の講習をうけているところでした。伊藤君が私をうながして二階へいきました。そこは子どもたちが土曜の夜いつもあつまるところのようでした。ちいさいオルガン、小さい蓄音機、棚の上のたくさんのレコード、そのそばの壁のところには本がならべられていました。
             <『拡がりゆく賢治宇宙』(宮澤賢治イーハトーブ館)63pより>
・梅野健造の場合
 桜町から羅須地人協会への岐れの間道附近は、人家も疎らで松の木立のとりまく周辺は静かな初冬の夕暮れであった。
 私は北側入口に立って来意を告げると二階を降りる足音がして
  -どなたですか-と凛とした声がした。お目にかかってご教示を得たい旨連絡していた私は名前を告げると、
  -遠いところご苦労さん、どうぞ……-と労りの言葉をかけられ二階に案内された。明るい部屋の硝子戸を通して遠く清澄な北上川が流れ、麓には広々とした田野が展けていた。部屋の左側に机、整理棚、そしてオルガンが置かれ…(投稿者略)…
             <『賢治研究33号』(宮沢賢治研究会)8pより>

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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