みちのくの山野草

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人為的に消されていた曜日欄の「曜日」

2019-09-28 16:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 そう思ったせいでだろうか、私はこの記事中の日記の写真を見て『何だこれは?』と目を疑った。よく見てみると、曜日の欄が消されているように気がする。しかし、これだと日記の写真が小さいのではっきりしない。そこで、同日付の『盛岡タイムス』の場合の同日記の写真の方を見てみたならば、次のようになっていて、こちらはでかいしはっきりしている。
【関徳弥の『昭和五年 短歌日記』の10月5日、6日の日記】

              <平成15年7月29日付『盛岡タイムス』より抜粋>
こっちならばはっきりと判る、曜日欄の曜日の部分が明らかに人為的に消された形跡がある。特に、左側「十月六日」の曜日欄の〝[ ]〟の中などは、消された跡だということがありありだ。
 
 そこで次に私はどうしたか。実は、関徳弥のご子息とは私の恩師を通じての知り合いだったから、お父さんの日記等が北上の『日本現代詩歌文学館』に寄贈されていたことは前々から聞いていたのでまずはそこを訪ねてみた。残念ながら同館では関徳弥の『昭和五年 短歌日記』は所蔵していなかった(あの古書店は沼津のある方に売ったのだそうだ)が、徳弥の『昭和三年 短歌日記』は見ることができて、その日記の筆跡と今度新たに発見されたと報道された日記の筆跡は、素人目で見てのことではあるがそっくりだったので、まずは新発見の日記はやはり徳弥のものに間違いがないということを確信した。
 さて問題は次だ。徳弥の『昭和三年 短歌日記』は『紅玉堂書店』が昭和2年12月に発行したものだったが、この枠組み
【関徳弥の『昭和三年 短歌日記』の一部】

              <関徳弥の『昭和三年 短歌日記』より(『日本現代詩歌文学館』所蔵)>
と新聞に載った日記の枠組みは全く同じだし、ともに徳弥が使った日記であれば、どちらの『短歌日記』もともに『紅玉堂書店』発行のものだろう。しかも、こちらの『昭和三年 短歌日記』の曜日の欄には曜日がきれいに印刷されていた。ということは、やはり
 『昭和五年 短歌日記』の曜日欄の曜日は誰かの手によって意図的に消されたことは100%確かだ。
と言えるだろう。
 とはいえ、そもそもどうして消さねばならなかったのか。あれこれ思い巡らしてたどりついた私の仮説は、
    関徳弥の『昭和五年 短歌日記』の表紙には『昭和五年』と印刷されているのだろうが、それを使ったのは昭和5年ではない。
というものだった。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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