みちのくの山野草

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高瀬露は当時下宿していたことが判明

2019-09-09 16:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ

 さて鍋倉に向かった私は、幸いなことに高瀬露の当時の教え子の一人に会うことができた。

 それは平成24年11月1日のことであり、露の当時の勤務校である寶閑小学校での教え子、鎌田豊佐氏(鍋倉荒屋敷、当時95歳)に直接お目にかかることができたのだった。同氏は矍鑠とした方だったしユーモアもあって、開口一番、『歳を取ってしまって、左手に持っているのにそれが無いと思って右手が探すんです』と話す素敵なご老人だった。
 お伺いしたところによれば、鎌田氏は寶閑小学校に1年生~4年生までの4年間(大正12年~15年頃)通っていてその後転校したのだそうだが、その4年の間露先生に教わったという。したがって鎌田氏は、露が下根子桜の賢治の許に出入りしていた頃の露の教え子となる。
 鎌田氏によれば、当時寶閑小学校は小規模校だったので複式学級であり、学校全体で3クラスしかなかったという。小規模校ゆえ先生と児童との間の距離は極めて近かったようで、露のことをよく知っていた。しかもそれだけではなかった。当時鎌田氏のお家では20町~30町の田圃を有していたのだが、露の父高瀬大五郎にその田圃の測量をしてもらったり、絵図面を浄書してもらったり<*1>したことがあったということで、父親同士も付き合いがあったということも教えてもらった。
 それから鎌田氏のその他の露先生に関する証言だが、
・クリスチャンだった。
・露先生と賢治との関係や<悪女伝説>については当時は知らなかった。大人になってからそういうことを聞いた。
・露先生は素直なお方で、人が悪いなどとは感じられなかった。
・第三者的に見て良いとも悪いともいえないが、不美人でもなかった、普通に見えました。(←鎌田さんは正直な方であるということを知ることができる)
・当時露先生は「西野中の高橋重太郎さん」方に下宿していた。
ということなどであった。

 これらの中でとりわけ収穫だったことは、この最後の証言だ。それは、
 当時の露が(鍋倉の「西野中の高橋重太郎さん」方に)下宿していたということはこれまで賢治研究家等の誰一人として明らかにしていなかった。
からだ。ましてその下宿がどこにあったかなどは、誰一人公的には論じていないからだ。
 ちなみにその下宿場所は、
【Fig.1 現在の鍋倉周辺】

             <二万五千分の一の地形図『花巻』(国土地理院発行、平成20年発行)から抜粋>
でいえば、今『鍋倉ふれあい交流センター』がある場所のすぐ近くだった。
 なお当時のこのあたりの地図は下図のとおりであり、
【Fig.2 当時の鍋倉の周辺】

             <五万分の一地形図『花巻』(昭和22年発行、地理調査所)から抜粋>
でいえば、露の下宿は上図の黄色い○印辺りである。

 さらに、その下宿の隣家の高橋カヨ氏からは、
 寶閑小学校は街から遠いので、先生方は皆「西野中の高橋さん」のお家に下宿していました。ただしその下宿では賄いがつかなかったから縁側にコンロを出して皆さん自炊しておりましたよ。
                〈平成24年11月4日聞き取り、高橋カヨ氏は大正14年生、当時約87歳〉
ということも教わった。
 となれば、その下宿は賄いがつかなかったから寝具のみならず炊事用具一式も必要だったであろう。そこでそれを知った口さがない人たちが露のこのような下宿の仕方を、「もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえてその家に迎え、云々」というような噂話に仕立てて面白おかしく吹聴したという蓋然性が高い。当時、賢治と露とのことはある程度世間に噂されていたというからだ。
 例えば、「昭和六年七月七日の日記」の中の露に関する次の記述、
 彼女は彼女の勤めている学校のある村に、もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえてその家に迎え、いますぐにも結婚生活をはじめられるように、たのしく生活を設計していた。
はその一つの事例なのではなかろうか。
 逆の見方をすれば、森荘巳池は、裏付けを取ることなどもせずに、そのような噂話を元にして活字にしてしまった可能性があると考えられる。このように、露が下宿していたことや下宿の仕方等がその頃から約90年が経ってしまった今でさえも分かるのだから、森が当時そうしようとすればこれらのことはもっと容易に分かったはずだ。ところが森はそのことについて同書で何ら触れていない。よって、前掲の森の記述内容は風聞か虚構の可能性が生じてきたということである。

<*1:註> 例えば、次の地図「花巻両町略図」は高瀬露の父高瀬大五郎が作った地図である(左下にそのが名が記されている)。


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