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《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ〉
〈〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ〉
ではいよいよ次は本丸の、『校本全集第十四巻』が「内容的に高瀬あてであることが判然としている」ときっぱりと断定している「新発見の書簡252c」について考えてみようと思ったのだが、先に確認したように、252cと「新発見の下書(一)」は続き物であることは間違いないから、それらを繋げて先に私が勝手に名付けた〔改訂 252c〕、つまり、
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(筆者略)…一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。…(筆者略)…さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでになすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれ位の犠牲を家中に払はせながらまだまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
〈『校本全集第十三巻』454p~、『校本全集第十四巻』31p~〉その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれ位の犠牲を家中に払はせながらまだまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
を基にして考察する。
まず先入観なしにこれを読むと、正直って賢治らしからぬ点が多すぎる。そもそも文章構成が不安定だし、表現の仕方も、
・などといふから悪いですな
・(よくお読みなさい)
・(この手紙を破ってください)
・私みたいなやくざなものをあてにして
・もっとついでですからどんどん申し上げませう
・あゝいふことは絶対なすってはいけません
というような露悪的な表現などからは、今まで抱いていた賢治のイメージとは逆の印象も受けないわけでもない。どうも、他の書簡とは違ってこの〝一連の「書簡下書」〟、とりわけ〔改訂 252c〕からは、尊大さ、軽薄さ、高踏的、露悪的、お為ごかしなどさえも感じてしまう。・(よくお読みなさい)
・(この手紙を破ってください)
・私みたいなやくざなものをあてにして
・もっとついでですからどんどん申し上げませう
・あゝいふことは絶対なすってはいけません
例えば、
(1) それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし
(2) あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので…(投稿者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。
というようなことを実際に露がしていたという、他の証言や資料があればそうと言えるかもしれない<*1>。がしかし、それが知られていないのが現状だからそうは言えまい。だから逆に、いくら賢治の発言とはいえこれらは「ただならぬ物言い」だ。(2) あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので…(投稿者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。
こんなことが書かれているとこれを素直に読んだ読者はの多くは、前者(1)からは、
・露には前の婚約者があった。
・しかも露はその人との婚約を破棄して、新たな相手と結婚しようとしている。
・賢治はそのような露に対して前の婚約者からはちゃんと了解を求めなさいとアドバイスした。
と、次に後者(2)からは、・しかも露はその人との婚約を破棄して、新たな相手と結婚しようとしている。
・賢治はそのような露に対して前の婚約者からはちゃんと了解を求めなさいとアドバイスした。
・露は賢治に三日続けて手紙をよこしたり、
・夏から三べんも写真をよこしたりもした。
とそれぞれ受け取りがちだろうからだ。・夏から三べんも写真をよこしたりもした。
そしてこれらが真に受けられると、露にとっては分が悪いところも少なくもない。とはいえ、上田哲は『七尾論叢 第11号』において、このような噂があったということは一切述べていない。もちろん、一般にもそんなことがあったなどとは言われていない。だからこそなおさらに、この「新発見の252c〔高瀬露あて〕」を活字にして公にしようとした『校本全集第十四巻』は、これに対応する露からの賢治宛来簡を見つけ出すなどして、その裏付けを取る最大限の努力をせねばならなかったはずだ。
しかるに現時点でも筑摩書房は、賢治に来た来簡はいまだ書簡集には一切載せておらず、賢治が出した往簡ばかりを載せている。しかも、来簡を一切載せていないというのにかかわらず、賢治の書いた書簡下書、手紙の反古さえも載せている。これはあまりにも不公平なことだ。おのずから、賢治からの往簡だけではその書簡の内容の信頼性は担保されているとは言い難い。まして反古であればなおさらにだ。
逆の言い方をすれば、あれだけの膨大な全集を筑摩書房は何度か出版しているのに、「なぜ賢治宛来簡が一通も公になっていないのか」という大問題について、私の知る限り同社出版の全集のどこを開いて見ても全く論じられていない。一体この大問題を同社は究明する気があるのだろうか。また、賢治研究者も同様にだ。一方である雑誌に、著名な賢治研究家の『(来簡があるのは)なかば公然の秘密みたいな云々』という発言が載っている<*2>。
そこでそのことがずっと気になっていた私は、たまたまある機会があって賢治縁の人物にそのことを直接訊いてみた(平成27年10月11日)。『賢治に来た書簡は一切公になっていない。賢治研究の発展のために、しかも来年は賢治生誕120年でもあり、そろそろ公にしていただきい』とである。するとその答えは、『来簡は焼けてしまったが、全くないわけではない。例えば、最後の手紙となった柳原昌悦宛書簡に対応する柳原からの書簡はございます』というものだった。つまり、賢治宛来簡が実は存在しているのである。
だから、賢治宛来簡があることはもはや明らかなのだから、賢治研究の発展のためにも公開すべきだ。そうしないと、賢治からの往簡やその下書だけが公開されたことによっ不利益を受けた人も当然いる。実際、「露あてであることが判然としている」と言い切って252cなどの「書簡下書」が公にされたがために露はすこぶる不利益を被っているからだ。のみならず、この書簡に対応する賢治宛来簡を公にすれば、「判然としている」と言えるはずだからだ。それゆえ、上掲の(1)や(2)のを裏付けとなるような来簡を公開すべきだ。しかし、もしそれができないとか、そもそも存在していないというのであれば、こんな〝一連の書簡下書〟、つまり反古などは公開すべきではなかったのだと私は抗議したい。あまりにもアンフェアな行為だし、安易だからだ。
いずれにせよ、冷静に考えれば当然のことなのだが、賢治の書簡下書と雖も安易にはそのまま還元できない、ということだ。ちゃんと検証するとか、せめて裏付けを取ってから公にして頂きたい。それが、出版社としての重要な必要条件の一つであり、社会的な責任なのではなかろうか。
<*1:註> 『本統の賢治と本当の露』でも主張したことだが、
『拡がりゆく賢治宇宙』の中に次のような記載があることも知った。それは、賢治が「下根子桜」の近所の青年たちと結成した楽団のメンバーについての、
という記載である。つまりこの楽団に、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです」と、推定表現ではあるものの「千葉恭」の名前がそこにあったのである。ということは、「羅須地人協会時代」に恭は時にこの楽団でマンドリンを弾いていたようだということになるから、恭が下根子桜の別宅に来ていた蓋然性が高いということをこの記載は意味している。
なお、このことに関しての『新校本年譜』の記載は、
というように、推定の「あったようです」が「おり」と断定表現に変わっているとともに、「千葉恭」の名前だけがするりと抜け落ちている。そこで、どうして「賢治年譜」には恭だけが抜け落ちているのですかとイーハトーブ館を訪ねて関係者に訊ねたところ、「それは一人の証言しかないからです」という回答だった。もしそういうことであればそれは尤もなことである。
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)23p~〉 第1ヴァイオリン 伊藤克巳(ママ)
第2ヴァイオリン 伊藤清
第2ヴァイオリン 高橋慶吾
フルート 伊藤忠一
クラリネツト 伊藤与蔵
オルガン、セロ 宮澤賢治
時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
〈『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79p〉第2ヴァイオリン 伊藤清
第2ヴァイオリン 高橋慶吾
フルート 伊藤忠一
クラリネツト 伊藤与蔵
オルガン、セロ 宮澤賢治
時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
という記載である。つまりこの楽団に、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです」と、推定表現ではあるものの「千葉恭」の名前がそこにあったのである。ということは、「羅須地人協会時代」に恭は時にこの楽団でマンドリンを弾いていたようだということになるから、恭が下根子桜の別宅に来ていた蓋然性が高いということをこの記載は意味している。
なお、このことに関しての『新校本年譜』の記載は、
しかし音楽をやる者はほかにマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり
〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)補遺・資料 年譜篇』(筑摩書房)314p〉というように、推定の「あったようです」が「おり」と断定表現に変わっているとともに、「千葉恭」の名前だけがするりと抜け落ちている。そこで、どうして「賢治年譜」には恭だけが抜け落ちているのですかとイーハトーブ館を訪ねて関係者に訊ねたところ、「それは一人の証言しかないからです」という回答だった。もしそういうことであればそれは尤もなことである。
ということだから、いくら賢治の書いたものとはいえ、「それは一人の証言しかないからです」という論理にここでもやはり則り、(1)や(2)を安易に事実だと決めつけるわけにはいかない。
<*2:註> とある座談会で、
杉浦 賢治あての手紙が残されているとすれば、来簡集のようなものを編みたいのですが……。
続橋 それはあるらしいですね。なかば公然の秘密みたいな囁やかれ方をしていますが。
入沢 よくわかりませんけど、実際問題としては、公にすることを聞いたことは一度もないです。
<『賢治研究 70』(1996.8 宮沢賢治研究会)185pより>続橋 それはあるらしいですね。なかば公然の秘密みたいな囁やかれ方をしていますが。
入沢 よくわかりませんけど、実際問題としては、公にすることを聞いたことは一度もないです。
という会話が交わされている。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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