《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない〉
〈子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない〉
さて、少なからぬ賢治研究家が、「昭和二年は、多雨冷温の天候不順の夏だった」とか「ひどい凶作であった」というような断定をしているのだが、まず前者「昭和二年は、多雨冷温の天候不順の夏だった」は事実誤認だったということを私は先に明らかにした。
すると不安に駆られるのが後者の真偽だ。つまり、「昭和二年は、ひどい凶作であった」のかということだ。そしてその結論を先に言ってしまえば、
「昭和二年は、ひどい凶作であった」も事実誤認だった。
のである。
そしてそれは簡単に判る。当時の新聞報道から容易に知ることが出来るからだ。ちなみに、昭和2年の岩手県の米の実収高が昭和3年1月22日付『岩手日報』に載っていて、
本縣米實収高 平年作より八厘増
ということであり、各郡のデータは下表のようなものであった。
【昭和2年岩手県米実収高】
<昭和3年1月22日付『岩手日報』より抜粋>
この報道からは、
作付面積 収穫高 反別収穫高
昭和2年 54,904町 1,061,578石 1.9335石
大正15年 53,804町 947,472石 1.7610石
5年平均 53,705町 1,053,120石 1.9609石
ということが判るから昭和2年 54,904町 1,061,578石 1.9335石
大正15年 53,804町 947,472石 1.7610石
5年平均 53,705町 1,053,120石 1.9609石
1,061,578÷ 947,472=1.120
1,061,578÷1,053,120=1.008
となり、たしかに新聞報道どおり、
前年比収穫高は1割2分増
5年平均収穫高では8厘増
である。なお、反別収穫高は、
1.9335÷1.9609=0.986 (作況指数は99となる)
となるので、
県全体としては平年作より0.8%の増収(作況指数は99 、作柄は平年作である)。
であったことが判る。そして、稗貫郡とその周辺の郡では、
水稲
第二回豫想 実収高(粳+糯) 比較増減
紫波 118,887 109,301+9,016=118,317 △570
稗貫 110,881 101,485+9,652=111,137 256
和賀 113,035 100,371+10,949=111,320 △1,715
となっているので、紫波郡や和賀郡は実収高が第二回豫想よりも減っているが、稗貫郡は逆に増えていることがわかった。第二回豫想 実収高(粳+糯) 比較増減
紫波 118,887 109,301+9,016=118,317 △570
稗貫 110,881 101,485+9,652=111,137 256
和賀 113,035 100,371+10,949=111,320 △1,715
これで最終的にも、昭和2年の稗貫地方の稲作は天候等に恵まれていたであろうこと、作柄は前年を結構上回っていたというこがこれで明らかになった。具体的には、
実収高111,137-前年収穫高103,890=7,247
7,247/103,890=0.0698
となるから、
昭和2年の稗貫地方の稲作は実収高で前年と比べて6.98%もの増収であった。
ということが確定した。
したがって以上のことにより、
岩手県はもちろんのこと、稗貫地方も、「昭和二年は、ひどい凶作であった」というようなことは決してなかった。
ということが実証できた。つまり、先に結論を述べたように、
「昭和二年は、ひどい凶作であった」も事実誤認だった。
のである。まして、「昭和二年は、未曾有の大凶作」であったことなどあろうはずもない。
念のため、先に〝その頃の冬は樂しい集りの日が多かつた〟でも用いた下表の《表4 当時の米の反当収量》
において確認すれば、この表の中に「昭和2年」の欄はない。そしてこの表は、当時の岩手県産米の「不作・凶作年」についての反当収量を示したものであり、この表に「昭和2年」の欄がないということは、やはり同年は「不作」でもなければ、まして「凶作年」でもなかったということを教えている。
最後に石橋を叩くために、『岩手日報』(大正15,1,28、昭和2,1,25、同3,1,22、同7,1,23)によって岩手県産米の大正11年~昭和6年の実収高を図示してみると、
《図2 岩手県米実収高》
のようになり、昭和2年の反収は約1.93石だから、「昭和二年は、ひどい凶作であつた」などということはもはや決してあり得ないことが容易に判る。なぜなら、当時の岩手県産米の反当収量は2石弱<*1>だからである。
つまるところ、極めて残念なことになってしまったのだが、福井規矩三の「昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひどい凶作であつた」は全くの事実誤認であり、おのずからあの断定〝(a)~(g)〟も皆、その事実誤認を「事実」であると鵜呑みしていた結果だったのだ、と私は言わざるを得ないことになった。
そしてもう一つ残念なことがある。それは、賢治研究家の誰一人としてこの事実誤認や鵜呑みを指摘している人が見つからないということである。賢治研究家でもない、数学教師の端くれであってさえもこのように指摘できるというのにである。
<*1:註>『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)によれば岩手県全体の平均反収は以下のとおり。
<『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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