みちのくの山野草

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「新発見」の「賢治書簡下書252c」とはいうものの

2019-09-20 10:00:00 | 子どもたちに嘘の賢治はもう教えたくない
《ルリソウ》(平成31年5月25日撮影)
〈高瀬露悪女伝説〉は重大な人権問題だ
 前回私は
 というわけで、本当の高瀬露は巷間言われているような〈悪女〉では決してなかった、ということを皆さんには了解していただけたものと私は確信している。
と述べたが、これに対して、それは分かったが例の詩〔聖女のさまして近づけるもの〕があるじゃないかと指摘する人がいるかもしれない。実際、この詩の誤解によって露は〈悪女〉にされた節もある。しかし既にこのシリーズの〝Ⅱ部 本当の高瀬露 第一章 「聖女のさまして近づけるもの」 〟で論じたように、この詩を元にして露を〈悪女〉に決めつけることができないということは実証済みである。
 あるいはまた、いやいや、例の「新発見」の書簡もあるではないかと指摘する人もまたあるかもしれない。あの『校本全集第十四巻』で明らかになった新発見の昭和4年の露宛賢治書簡によって、露は〈悪女〉だとされても仕方がないじゃないか、と。だがそこには信じられないほどの重大な問題点・瑕疵があるのである。

 このことを、これからしばし論じてみたい。

 そこでまずは、この件に関するあらましを述べる。それは、
 昭和52年になって突如、『校本全集第十四巻』はその「補遺」において、従前「不5」となっていた書簡について、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので、高瀬あてと推定し、「不5」に新たに「252a」の番号を与える。
             〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)28p〉
と述べ、併せて、「新発見」の賢治書簡下書252c等を公にした。ちなみに、〝〔252c〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟とは次のようなものだ。
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(投稿者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
            《用箋》「さとう文具部製」原稿用紙
            <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)31p~>
 そして、
 本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている
             〈同34p〉
と断定し、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた「不5」を含む宛名不明の下書「不2」「不4」等の一連の書簡下書群約23通を〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟として一括りにした。なお、なぜ年次が「昭和四年」なのかというと、同巻は、
 252cが四年十二月のものとみられるので、252a~252cはすべて四年末頃のものと推定した。
             〈同29p〉
というようなようなものだった。
 それにしても、どうして〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟の下書が、それから約50年が経ってから突如「新発見」されたのだろうか、私にはちょっと不思議だった。それは、その頃にある人が亡くなっていた(これについてはすぐ後で述べる)からなおさらにだった。

 ところで、その「新発見」の経緯についてだ。『同第十四巻』の28pに、「新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので」と断定的に、しかもさらりと述べているのだが、私が探した限りでは同巻のどこにもその「新発見」の詳しい経緯は書かれていないのだ。そして一方では、「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と同34pにあるが、その根拠も理由も何ら明示されていないから全く判然としていない。私に言わせれば、判然としているのは、せいぜい「判然としていない」ことだけだ。
 しかも、「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史は、
 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。
             <『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)、177pより>
と境忠一との対談で語っている。また、天沢退二郞氏も、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。
             〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べている。
 これでは、「死人に口なし」を利用したと誹られかねない。しかも、『同第十四巻』所収の「旧校本年譜」の担当者でもある堀尾の発言を注意深く読むと、「手紙が出ました」となっている。「手紙」とだ。しかしもちろん、これは「手紙」ではない。あくまでも「書簡の下書」、単なる手紙の反古にすぎない。
 また上掲の二人は、露に対して配慮をしたかのように言っているが、客観的に見れば、高瀬露が昭和45年2月23日に帰天したのを見計らったようにして、露宛かどうかもはっきりしていない書簡の下書を、しかもそれまでは公的には明らかにされていなかった女性の名を突如「露」と決めつけて筑摩が公的に発表してしまったと見られないこともない。

 だから、「新発見」の「賢治書簡下書252c」とはいうものの、「新発見の」とセンセーショナルな形容はしているが、その真相は、高瀬露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていて、やっと亡くなったので「新発見」と嘯いて公に活字にしたのだ、と詰る人があるかも知れない。

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               電話 0198-24-9813

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