羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

逢魔が時

2009年11月16日 | Weblog
雨が降る日も嫌いじゃない。
でも雨が降らない休日があって、
黄昏時にじぶんの部屋にいられたら、うれしい。
父の書斎だったこの部屋から、
父が「誰そ彼」と教えてくれた「たそがれ」の窓を見る。
飽きずに見ていても夕刻の足し算は早い。

父もここに机を置いていた。
退院するとすぐにこの二階の自室にひきあげた。
そんなことを思い出している。
「逢魔時」という言葉がひらりとすり抜けていく。

父も見ていた向こうの空の彼方にカメラを向けてみた。

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2 コメント

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あ、いい写真。 ()
2009-11-17 05:29:17
ども、カッチー改め圭です。よろしく。

いい写真ですね。夕日と電柱はベストカップルです。木の電柱だと三丁目の夕日風。


晩秋のたそがれはもの悲しくていいですよね。


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ありがとうございます (すみれこ)
2009-11-17 21:31:40
カッチーさん、お久しぶりです。
(圭さんに改名ですか!?)

確かに、夕陽と電柱はベストカップルなのかも。
写真を撮ってるときは「ジャマだな~」と思いましたが・・・。
わたしは電信柱というと宮沢賢治を思い出します。

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