羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

母さんのコート

2009年11月19日 | Weblog
いつも明るい笑顔の友だちと待ち合わせた。
いつからか仕事先で仲良くなった。
素敵なデザインのコートを着こなしている。
「いいね」と言ったら「これ、母のよ」という返事。
お母さんは体型が変わってしまってもう着られないからと、
譲り受けたそうだ。
彼女はいま、仕事をやめてお母さんのお世話をしている。


「このコート、母のよ」という言葉を去年の今頃やはり、
別の友人から聞いた。
彼女は、故郷の福岡に介護のため頻繁に通っていた。
そして、とうとう別れのときがきた。
コートはお母さんの大切な形見。それが誂えたようにピッタリと
友人に馴染んでいた。


かくいうわたしも母のコートを愛用している。
去年、「これ、もういらないんだけど」と見せられた葡萄酒色の短いコート。
胡桃ボタンがかわいくて襟ぐりが丸く開いていて合わせやすい。
見たときは嬉しくて「貰う!ありがとう!」と喜んだ。
冬の間中、ほとんどそれを着ていた。
「ただいま」と帰ってくると母が玄関で「あれまぁ、またそれ着てるんだ、
他にはないの?」とか「このコートもしあわせもんだね~」と言っていた。
その前に着ていたのは古着屋で買ったコートばかりで、それでも、
じぶんなりに着こなしていたつもりだから良しとしていたが、、、。


母がいつごろこのコートを着ていたのか、わたしの中の記憶にはない。
聞いてみたら昔のことで、本人の記憶も定かではないようだ。


わたしたちの母親はものを大切にする人たちだった。
その気持ちがコートをほんわかと暖かくしている。
そして、母親の着ていた物が似合うような歳になった、という事もある。
ちなみにわたしの礼装用の黒いコートは叔母が仕立て屋さんで作ったもの。
数年前、父の病院で叔母に会うと「○○子はそのコートしかないのかい?」と、
困ったような顔をしていた。
叔母は父のお姉さん。叔母の愛用品だった黒いコートにわたしは、
父親の告別式で初めて袖を通した。