Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

乗り鉄も負けてはいません

2023-07-31 21:54:14 | 交通
久々に夏の旅行をしてみていますが、いきなりまさかというかひどい事案に出会いました。

まず、とある特急停車駅で、駅舎側から特急が出るホームへ構内踏切を経由するタイプの駅。
踏切は進行側にあり、特急はその駅に停車するのですが、到着時には当然警報が鳴動します。(遮断機はない)
そこで何を血迷ったのか家族連れが警報が鳴る中で踏切を横断したのです。到着するので停車に向けて減速しているとはいえ、特急は警笛を鳴らし急減速して停車。急停車で停目の手前で止まるということはなかったのですが、何事もなかったかのように乗り込もうとした家族連れに乗務員が当然𠮟りつけていました。乗り込もうとするのを遮って、かなり長く注意をしていましたが、それは当然でしょう。だいたいこの家族連れ、この駅で退避する普通列車に乗っており、おそらく特急券を購入しようとしたんでしょうが、であれば家族揃って駅舎に向かう必要は全くないわけで、そして特急は停車すると考えての直前横断ですが、何かの事情で過走した場合、また、当日は若干ダイヤが遅れ気味でしたが、通過列車(臨時)だったらどうなるのか。タイミング的には死んでもおかしくないというか、間違いなく死ぬタイミングでした。

だって待ってたら特急に乗れない、とでも食い下がる父親は言ってたんでしょうが、そのタイミングは「乗り遅れ」ですから。実際には停車時にいったん警報は止んで降車客が横断していますから、そこまで待てばよかったのです。どう見ても全く擁護できません。踏切に入り込んだ時点で警報が聞こえており、最悪のタイミングです。
これで非常をかけて解除に運転指令への報告と許可が必要、となったらどうなっていたか。特急の乗客も大迷惑ですし、退避した普通列車、また単線区間ですから交換列車にも多大な迷惑が掛かります。子供連れで親が何をやっているのか。もし事故になったら一家全滅もあり得ます。一人(一組)のわがままが大勢に迷惑をかける、事故ったら多くの人に嫌な思い、悲しい思いをさせるわけで、配慮のない行為は大勢を不幸にします。

もう一つが真夏日、猛暑日が続く中で冷房車なのに窓を開ける客。Covid19の初期に空気を入れ替えるため、として窓開けを励行していた時期はありましたが、今はそのようなことはありません。だいたい、目的は車窓の撮影であり、写真が取れなくなる夕刻になると窓を閉めてますから。
窓を開ければ涼しい、という人も少なくないですが、湿度の問題、また、特に非電化区間の場合は空気も汚れてますからね。昔のような「黄害」はないですが、制動に伴う鉄やカーボンの微粒子も入ってきます。窓を開けていると目がチカチカすることがありますからね。
今回は夕暮れで窓を閉めていますが、田園地帯で日没後も開け放っていると虫が入ってくることも少なくないです。特に今の時分は。不快感だけでなく毒を持つ害虫の可能性もあるわけで、日中でも停車中に蜂や虻の侵入もありますから、自分は良くても周囲の迷惑です。



コスト回収を前提にしても乗らなければ画餅

2023-07-31 21:52:32 | 交通
交通機関は行政の補助があるとはいえ基本的には独立採算ですが、だからといってコストを充足する価格で提供することは困難です。
収支率は悪いが絶対額としては相対的に小さいローカル線を、幹線区間の黒字でカバーする内部補填が前提という面がありましたが、最近では黒字の事業者が内部補填を露骨に否定し、赤字区間の廃止を公言するようになっています。

もちろん赤字路線は利用が少ない、すなわち公共交通として維持すべき路線なのかどうか、特に鉄道の場合はその交通モードが適切かどうかという議論が避けられないのですが、一方で内部補填をしているということは、黒字路線が上げた利益を圧縮する、すなわち租税公課という外部流出を圧縮する効果もあるわけです。またJRの場合は赤黒合算を前提に「譲渡価格」が決まっているわけで、赤字路線の切り捨てを主張するのであれば、租税公課を始めとする「メリット」を変換しないと筋が通りません。

それでも圧倒的な黒字があっての議論であり、黒字路線が一つもないようなローカルバスの会社あたりになるとどうしようもないわけです。行政が支えるにも限度があるわけで、路線の維持が困難になるケースが増えています。こうしたローカル路線の場合は運賃収入で収支を償うことは不可能ですが、じゃあどのくらいの回収水準が妥当なのか。ほとんど住民サービスと考えて100円から500円といったレベルの運賃にとどめるケースもありますが、行政の負担を前提にして持続可能とも言い難いです。

じゃあ運賃水準をあげればいいのか、というとそれも難しいわけです。
1時間ほどの乗車で1000円から2000円という水準となると、住民が利用して都市部に出るのも経済的負担が大きいです。都市部から観光その他で向かうにしても、家族での利用と考えたら交通費の負担だけでも大きいわけで、クルマがあるという前提の地方部ではますます利用されなくなるマイナスのスパイラルになります。

先日もそうした路線を使ったローカル路線巡りをしたんですが、見事なまでに乗っていないわけです。バス自体が小型化したりマイクロになっているというのに、乗客がいない。いても1人2人のレベルでは、早晩デマンドや福祉タクシーになり、外部の人間が利用することは出来なくなります。今時バスで入り込みなんてありえませんが、一方で「ローカルバス乗り継ぎ」が人気番組になっているように関心は高いわけです。とはいえ決められた賃率で青天井で上がっていく運賃を前にすると、一回りすると5000円オーバーと非常に贅沢な「お遊び」なわけで、それが毎日の交通手段となってしまうと利用できるのも月に何回か、というレベルになります。

どう折り合いをつけるかは難しいですが、高めの均一からスタートして、しかし上限は定める、という感じの「区間制」でしょうかね。



公平さを欠いた比較による露骨な鉄道贔屓

2023-07-31 21:50:25 | 交通
鉄道廃止に伴うバス転換は利用者の逸走を招く、という軌道系マンセーの記事が最近ネットで目立ちます。どうも今年に入って参院の国土交通委員会に出席した参考人がそうしたデータを示したようですが、それを錦の御旗のように振りかざす軌道系至上主義はどうなのか。

そもそもこの問題、「レールボーナス」の話でもあるわけですが、比較自体が公平なものかどうか。バス転換の問題点としては、まず「値上げ」があるわけで、賃率に加え、通し計算がなくなることによるターミナルチャージの二重払いによる値上げの加速も大きいのです。旧国鉄の特定地方交通線転換時には、非冷房の気動車から空調完備のバスということで好評を博したケースも少なくなくなかったのですが、足元は交通バリアフリーということで居住性や荷物の取り回しに難があるアコモということで、バスの利便性が低下しており、まあこれはバス固有の問題だとしたら鉄道有意として扱うべきかもしれませんが、問題が分かっていながら改善できないことに問題があるわけで、それで「非効率」な交通モードを温存すべきというのは、特にそれが行政の負担、税金で行われる以上はあってはならない選択です。

高速バスなどの幹線バスはもちろん、一般路線バスにおいても鉄道の利用の侵食しているケースはいくらでもあるわけで、それこそ未だに未練がましく失敗だとか言われる岐阜の名鉄600V各線の廃止にしても、昭和後期に美濃町線でバスと電車の共通乗車を行ったら、当時はスピードもアコモもバス優位だったのでバスに流れたという結果があります。要は条件次第で何とでもなる世界です。

この手の論者が金科玉条というか、絶対のサンプルとして挙げる京福福井の運行停止期間の問題にしても、「大混乱」となったのは準備もなにもなく代行バスを走らせたこと、わざわざ駅に立ち寄ったこと、といった悪条件がその結果を招いたわけです。同時期に長期間続いた越美北線の災害運休に伴うバス代行でそのようなことは起きませんでしたし、京福福井、今のえちぜん鉄道とは比べ物にならない輸送量の呉線も西日本豪雨でのバス代行を経験していますが、さばききれないという混乱はありましたが、バス停、ルートの工夫で、福井の時に言われたような「混乱」はありませんでした。というか、災害時その他のバス代行時には駅に入らず幹線道路上のこの辺りに停まります、というような対応を事前に定めるようになっており、バス代行の信頼性はかなり上がっています。

通勤通学に伴う「集中率」が顕著であれば確かにバス転換をしたらピーク時に用意しないといけないバスの台数が半端なくなります。ただそう言う路線は鉄道としての維持が不可能ではないレベルの輸送量を確保しています。逆にピーク時で1時間に2本あるかどうか、しかも単行、というような路線では通勤通学輸送でもバス転換は可能です。そもそもすべてを公共交通に頼っていないケースもあるわけで、特にスクールバスの運行も並行して実施しているケースであれば、運転手の確保も含めて白紙で効率的に再編することで対応できるでしょう。

ピーク時にバス転換が難しいほどの需要がある路線であれば、さらにオフピーク時の観光対応とか、集客を図るというような積極策があって然るべきです。そもそもそれだけの人口集積や流動があるのですから、利用を増やすという方向性が全く通じないことはないでしょう。
一方でそれだけに集中がない、利用がない場合は、鉄道であることのメリットがないことを意味します。それこそ鉄道と同等の待遇で適材適所にすれば、効率的な公共交通の維持確保が可能です。


自分に甘い体質全開

2023-07-28 21:18:18 | 時事
先にも触れた大阪万博工事での残業規制除外要請、厚労相は単なる繁忙を理由とした適用は出来ないと見解を示しています。まあ維新による維新のためのイベントですから、維新がねじ込む可能性は否定できません。人に厳しく自分に甘い体質ですからね。今回の件で言えばコンプラが自分にはガバガバというわけです。気を付けるべきは万博工事は「単なる繁忙」ではない、として例外認定する余地を残しているわけで、今後も厳しく見ていく必要があります。そして物価高、人手不足によるコスト上昇に対し、国家的イベントだから国費を、と維新の連中が言い出していること。維新による維新のためのイベントに国費を支出する必要は無いし、支出されていたら即刻返還させるべきでしょう。無駄を省くとかなんとか言いながら、最大の無駄を推進しているパラドクスも、ひとに厳しく自分に甘いの面目躍如です。

まあその体質が如実に出たのが立民や共産に対する批判でしょうね。いや、批判ではなく消え去れとか存在意義が無いといった「否定」ですよね。似て非なる行為であり、公党の責任ある人間が公言するというのはあり得ない話です。さらに「第二自民党」で何が悪いと開き直ったのに至っては呆れてものも言えませんね。連立与党の甘い水に浸って下駄の雪のようについて行く政党もありますが、それでも「よ」党と「や」党の間で「ゆ」党という立ち位置を自称していたわけで、今回は限りなく「よ」ですねん、と言っているのですから。

身を切る改革とか言いながら自分に甘い体質を隠さない時点で信頼など何もないわけで、「敵」と認定して成敗するパフォーマンスだけ。泥臭い実務になると逃げますからね。Covid19で逃げられなくなった時のドタバタを見ればわかる話です。イソジンだの雨合羽だの酷かったですからね。
それでも大阪の東京コンプレックス、ルサンチマンを焚き付けることで地方政党としては十分な支持を集めてしまうことで地歩を築ているからややこしいです。同批判しても東京が大阪をいじめている、と曲解すれば支持に化けるんですから。まあ本来はトンデモの類のはずですし、自ら言い放ったように「コピー商品」であれば存在価値がないのはどっちだというブーメランですが、コンプレックスやルサンチマンが罷り通る地域性が正当化してしまっています。

その意味では、有権者の行動がどういう結果を招くかという民主主義のコスト、リスクと言われる部分を地で行く感じでは、有権者の意識改革も困難でしょうし。ただ、駅で列に並ばない、とか言われてきた気質、マナー意識が今や東京もかくやというような向上を見ているわけで、こんなのを支持していいのか、という意識の向上がいつ実現するかです。



1億総買い叩きでは持続できない

2023-07-28 21:16:32 | 交通
物流業界で「2024年問題」が深刻な問題になっていますが、労働時間などの負荷を分散させようにもドライバー不足が深刻です。
人手不足は他業界でも深刻ですが、大阪万博の準備に人手が足りないとして博覧会協会が残業規制の例外にしてくれと言い出すあたり、ブラック上等、過労死上等でこき使うと公言するような状態です。Covid19で仕事が無くて離職した人は確かに多かったですが、需要が回復して雇用が増えているのに戻らないというのも冷静に考えるとどういう構造になっているのか。Covid19で労働人口が多く死亡したり後遺障害でリタイアしたという話も聞かないだけに、「復活」の段階での人手不足は、じゃあ人を基準にしたらその労働人口はどこで就労しているのでしょうか。ポストCovid19で新たな就労機会が拡大したというケースが顕著に出てこない限り、パイの総量は一緒のはずなのになぜ、となります。

さてこうした運転手不足は物流同様に「運転手」が必要なバス業界においても顕著なわけで、Covid19に感染したため運休というようなスポット的な減便もさることながら、運転手不足による減便が恒久化しています。もともとローカルバスではバス1台、運転手1人で切り回す、というようなケースも少なくなく、曜日によってコースが変わるとか、土休日運休で平日のビジネスアワーにしか動かないとか、労働側の条件で律則されるケースが目立ちます。

それは分かるのですが、バス研究の大御所である鈴木文彦氏の「『鉄道ダメならバス』誰が運転するんだ!『バスがダメならタクシー』の幻想 乗務員不足もう限界」という「乗りものニュース」の記事はどうなのか。
もちろん運転手不足が深刻化しているのは事実ですし、そこを否定する気はさらさらないですが、ローカル線問題でバス転換がある、という選択肢をバスの運転手不足を理由に事実上否定するのはどうなのか。

確かにバス業界の運転手不足は深刻でどのバス会社が受託するのか、という問題がありますが、じゃあ鉄道として存続する際に「運転手問題」はないのか。
大型2種免許という汎用性がある「資格」に対し、鉄道の資格はつぶしがきかないわけで、そもそも旧国鉄の特定地方交通線の第三セクターへの転換の段階で、OB雇用などで人件費を下げることで収支を償う、という今から振り返るとデフレというかブラックというか、前提がそもそもおかしかった転換であり、その流れであれば今のローカル線の運転手(運転士)は労働人口にとって魅力的な職場なのか、というそもそも論に至ります。

鈴木氏はともかく(適材適所を厳しく言われますし)、軌道系至上主義の面々に共通することとして、乗務員など人材は必ず確保できるというものがあります。それでいてバス転換などは人材不足云々とダブスタ全開なんですが、つぶしが効かない資格で薄給という職場がどうやって人材を確保できるのか。バスのように大型2種という汎用性の高い資格ゆえに労働市場の流動性も高く、人件費を低く抑えるしか能がない運輸業界はまともに人材を集められない、という構造的問題は鉄道では当てはまらないのか、いや、そうじゃないでしょう。強いて言えば、汎用性の高い資格持ちを必要としない職場、という実も蓋もない状況が鉄道であり、労務費が安く抑えられます、ということが鉄道のメリット、であれば、まさにコペルニクス的転換で軌道系交通で公共交通を維持すべき、となりますけどね。

答えは見えているんです。分かっているんです。給与を上げる。並行して安定した就労を確保する。それしかありません。
収支がそれではガタガタになる、というのであれば、自治体が補助を出す。無尽蔵には出せませんから、運賃を上げる。それこそバスがなくなってタクシーしかない(地方ではそのタクシーすらなくなってきていますが)、となるよりはマシですから、100円ワンコインというような出血大サービスは諦めて、500円ワンコインで持続可能なバスとする時代でしょう。特定の曜日しか来ない100円バスよりは、毎日乗れて本数もある500円バスの方がマシです。地方でタクシーに頼らざるを得ない、という生活を実際に見ているし、都市部から公共交通で帰省した瞬間にタクシーに大枚叩くか身動き取れずに籠城するしかない経験を嫌と言うほどしていますから。レンタカーだって安くないですしね。

物流だってそう。そして「自由競争」の美名のもとに市場を攪乱させる「ブラック企業」の退場を強制する制度設計も必要です。
「2024年問題」や、足元の物価高起因の生活防衛に対応するための人件費を転嫁すべきところ、この手の「ブラック企業」は安値受注で市場を攪乱するわけです。価格転嫁できないから労働力を買い叩くしかない、諸問題への対応をギリギリのレベルにする、不十分に甘んじる、という業界を作らないように、こうした「ブラック企業」を公平な競争を阻害する企業として独禁法などの活用で排除しないと、結局理想論のコストを業界とその従業員が負担するだけになります。

同様に労働力を買い叩いた安価な物流という存在を前提にしたeコマースなども規制すべきでしょう。デリバリーはその典型ですが、人手が必ず必要だが安く買い叩ける、というのが前提のビジネスです。根源的には人件費が安いのと同時に貧富の差が激しい途上国、また移民や人種という「下層階級」を買い叩く欧米だから成立しているビジネスであり、日本でそれが拡大しているのは本来由々しき問題です。また小物だろうがなんだろうが発送側の都合で統一された大きな箱を使って物流の空間や人的資源を浪費するのもあってはならない商売です。やってられないと大手運送業者が契約を打ち切った際に、中小と組むというまさに「ブラック」前提のビジネスモデルであることを天下に示したのはその典型です。

便利なんだから排除すべきではない、という人が無数に湧きそうですが、まさかそう言いながら強制労働や児童労働の産品は買うべきではない(キリッ)、と意識高いブリッ子をしている人はいませんよね。世の中のあらゆるものにはコストがあります。そして適切に転嫁されないといけません。さらに言えば消費側もそれをカバーできる収入があるわけです。さすがに異常な物価高に悲鳴が上がっているようですが、米国の「物価」は日本円ベースだと目を回すレベルですが、ドルベースでの収入と価格の関係でいえば、それを負担できる「適正価格」であるというのが本来あるべき姿です。デフレに騙されてかつての個人所得がいつの間にか世帯収入でトントンという切り下げで、途上国以下の労働コストを実現した日本の末路が、足元の「人手不足」に顕われています。