鉄道ジャーナル6月号が発売されました。5月号まで奥付のわずかな記載だけ休刊に言及していたので本当に終わるのか、という感じすらありましたが、最終号は闇に溶け行くN700系のテールランプが印象的な写真と「最終号」の文字だけというシンプルな表紙。特集の見出しもありません。裏表紙は本号の見どころではなく、過去最高部数を記録した99年10月号の表紙と、なんとか終刊を飾った格好です。なお裏表紙の英文表記には大きくFAREWELL ISSUEとあり、よほど終刊号らしいです。もっとも背表紙は通常のままで特集も記載されており、本棚に並べたら終刊号とは気づきません。
通常通りの特集という仕立てですが、東京の電車といいながら中央快速線のグリーン車初日ルポと関連記事がメインで、あとは山手線とE217系、それと京急2100系。石北線を扱った「凋落のメインライン」のほうが目立っていた感じ。中央快速線は拍子抜けにもほどがあるという感じの中の人の様子も隠さず伝えていましたが、その視点では1ヶ月後くらいのルポが最適なんですけどね。でも雑誌が力尽きた後ですが。東京駅での折り返し整備のラップタイムは面白かったですが。120秒で折り返しとすると客扱いは110秒後となり、これではかなりの頻度で「グリーン車のお客様のご乗車を待っての発車となります」というダイヤ乱れ時の総武快速線で見られる光景が常態化しそうです。
最終号といいながら、コラム記事などで最終号(最終回)への言及や、愛読ありがとうございました、というような挨拶がない記事も多く、今号の編集、入稿時点では6月号で終わりとわかっていたでしょうに、なんか半端に過ぎます。なかにはインフルエンサー(笑)の記事もありましたが、「経済ジャーナリスト」の肩書にはまあ眩暈がします。そして中身はまあ周回遅れの議論ですね。公共性を云々するのであれば、分割民営化スキームの問題であり、それへの批判は誰に向けるべきものかがずれてますから。
通常通りの特集という仕立てですが、東京の電車といいながら中央快速線のグリーン車初日ルポと関連記事がメインで、あとは山手線とE217系、それと京急2100系。石北線を扱った「凋落のメインライン」のほうが目立っていた感じ。中央快速線は拍子抜けにもほどがあるという感じの中の人の様子も隠さず伝えていましたが、その視点では1ヶ月後くらいのルポが最適なんですけどね。でも雑誌が力尽きた後ですが。東京駅での折り返し整備のラップタイムは面白かったですが。120秒で折り返しとすると客扱いは110秒後となり、これではかなりの頻度で「グリーン車のお客様のご乗車を待っての発車となります」というダイヤ乱れ時の総武快速線で見られる光景が常態化しそうです。
最終号といいながら、コラム記事などで最終号(最終回)への言及や、愛読ありがとうございました、というような挨拶がない記事も多く、今号の編集、入稿時点では6月号で終わりとわかっていたでしょうに、なんか半端に過ぎます。なかにはインフルエンサー(笑)の記事もありましたが、「経済ジャーナリスト」の肩書にはまあ眩暈がします。そして中身はまあ周回遅れの議論ですね。公共性を云々するのであれば、分割民営化スキームの問題であり、それへの批判は誰に向けるべきものかがずれてますから。
一方で鍋倉嬢、芦田氏のコラムがあり、また読者有志の寄せ書き風コメントもありましたが、これも中途半端です。編集後記もようやく宮原編集長が全面を使って最終号の辞を書いていましたけど、3月号、おそくとも4月号から続けて然るべきでした。
これまでの忖度のしがらみがなくなったからか、E217系がその嚆矢で、現時点では最悪の誉れも高いGV-E400系(H100系)も合わせて記事が取り上げていましたが、座席数の問題をストレートに指摘していましたね。まあ「大雪」「きたみ」も含めてなんとか座れるとか、1日1本のローカルはそれでも座席定員を大幅に割り込むとか、厳しすぎる現実も記していましたが。バリアフリー対応の大型化粧室がネックという話も、E721系やJRWの227系などの設計であればそこまでスペースを取らないわけで、機械室が原因なんですが、床下ではスペースが足りず客室スペースを相当食うという状態で電気式ディーゼルを旅客車として実用と見做すべきかどうかを問うべきでしょう。「半室機械室」というべき車両ですから。
E217系の記事は113系時代の話題も出していましたが、引退からも四半世紀以上とあってだいぶあやふやですね。
E217系の運用区間をきめ細かく書く半面、113-1000'系の運用区間は触れていません。おそらく君津、大原、成田までで夏ダイヤ時に千倉と安房鴨川まで、JR化後に鹿島神宮と成東へ、というレベルの知識でしょうが、72年7月改正から75年3月改正までの間は平休日でダイヤが大幅に変わっており、休日の多客期には快速が千倉、安房鴨川まで延長されていました、あるいは夏ダイヤの話題も含めてこたつで書けなかったのでしょうか。あとサロ111を他系列からの編入のように書いていますが、サロ111は111系、113系オリジナルの形式で(なおモハ以外は113系も111を名乗った)、SF直結対応として難燃化(A-A基準対応)改造を受けて1000番台に改番されただけです。サロ110(1000番台)、はサロ153からの編入です。これの編入で初めて近郊型サロに乗務員室がつき、現在に至っています。(70系、80系のサロにも乗務員室は無い)
最終号関係のコラムですが、芦田氏のほうは「大人の対応」のようないかにも惜別という文章でしたが、鍋倉嬢は期待を裏切らないというか、編集長を「ミヤちゃん」呼ばわりとか、当時はいざ知らず分別ある大人というか結構な年齢になったはずですがそれはどうよという内容です。くだけた筆致で当時の雰囲気を出したつもリでしょうが、編集後記の編集部員のコメントでかつては時折あった特別版での「長文」のほうが簡潔で人となりをだしていましたから、やはり「現役」当時から批評されていた「何を言いたいのか・・・」の癖は治っていなかったようです。
まあそれでも「フツーの特集」よりは数倍最終号らしいわけで、「フツーの特集」なんかやめて「特集 鉄道ジャーナルの58年間」とでもした方がよかったのに。JR九州元社長の石井氏の記事もありましたが、「惜別」がテーマならもっと読ませる記事になったでしょうに。
ジャーナルの休刊(廃刊)を出版業界の苦境と重ねる報道も多かったですが、それこそ今こうやって発表しているGooブログが閉鎖されるように、ネットという空間での発表媒体が急激に消滅しており、将来の発表機会の喪失のみならず過去の発表コンテンツの消滅という「出版」ではありえない事態が常態化しています。
そうした中で個人レベルの発表媒体としてはネットではなく「薄い本」へのいわば「逆シフト」が決定的になっており、そうした「薄い本」の即売会は盛況となっています。その現状を見るに、出版物は時代遅れどころか一巡して再び支持を集めているともいえるわけで、どうすればそれを商業ベースに乗せられるのかを業界あげて真剣に考えてきたのか。刷り部数と実売部数のギャップの問題は「薄い本」でもある話ですし。あるいは一部のサイトのようにPDFベースの有料配信とし、残したい人は自分で「薄い本」に仕立てる(要はプリントアウト)という方式もあるわけです。
鍋倉嬢の竹島前編集長評に、「経営はテキトー」というものがありましたが、それでも成美堂に身売りするまで経営危機という話があったとも聞いておらず、道楽ではあったんでしょうが、会社経営はそこまで「テキトー」ではなかったのでしょう。強いて言えばそれこそ半世紀を超える歴史ある雑誌ですから、写真をはじめ、ルポ記事など「コンテンツ」が多くあったわけです。それを経営に資する形で活用しなかったというのは「経営はテキトー」という評価を許す余地があるでしょう。資産が全く回転していないのですから。なお竹島前編集長も上記の特別版の編集後記では、時には安全弁が噴いたりして老雄健在ぶりを示す、と評されていたくらいですから、鍋倉嬢が在籍していた頃と全盛期はかなり違っていたようです。
とにもかくにも鉄道ジャーナルは2025年6月号、通巻704号(増刊号を含む)で一巻の終わりとなりました。
リアルタイムでの購読としては足掛け49年の読者として、感謝と慰労の意を表したいと思います。