goo blog サービス終了のお知らせ 

Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

鉄道ジャーナル最終号を見る

2025-04-22 23:16:42 | 書評
鉄道ジャーナル6月号が発売されました。5月号まで奥付のわずかな記載だけ休刊に言及していたので本当に終わるのか、という感じすらありましたが、最終号は闇に溶け行くN700系のテールランプが印象的な写真と「最終号」の文字だけというシンプルな表紙。特集の見出しもありません。裏表紙は本号の見どころではなく、過去最高部数を記録した99年10月号の表紙と、なんとか終刊を飾った格好です。なお裏表紙の英文表記には大きくFAREWELL ISSUEとあり、よほど終刊号らしいです。もっとも背表紙は通常のままで特集も記載されており、本棚に並べたら終刊号とは気づきません。

通常通りの特集という仕立てですが、東京の電車といいながら中央快速線のグリーン車初日ルポと関連記事がメインで、あとは山手線とE217系、それと京急2100系。石北線を扱った「凋落のメインライン」のほうが目立っていた感じ。中央快速線は拍子抜けにもほどがあるという感じの中の人の様子も隠さず伝えていましたが、その視点では1ヶ月後くらいのルポが最適なんですけどね。でも雑誌が力尽きた後ですが。東京駅での折り返し整備のラップタイムは面白かったですが。120秒で折り返しとすると客扱いは110秒後となり、これではかなりの頻度で「グリーン車のお客様のご乗車を待っての発車となります」というダイヤ乱れ時の総武快速線で見られる光景が常態化しそうです。

最終号といいながら、コラム記事などで最終号(最終回)への言及や、愛読ありがとうございました、というような挨拶がない記事も多く、今号の編集、入稿時点では6月号で終わりとわかっていたでしょうに、なんか半端に過ぎます。なかにはインフルエンサー(笑)の記事もありましたが、「経済ジャーナリスト」の肩書にはまあ眩暈がします。そして中身はまあ周回遅れの議論ですね。公共性を云々するのであれば、分割民営化スキームの問題であり、それへの批判は誰に向けるべきものかがずれてますから。

一方で鍋倉嬢、芦田氏のコラムがあり、また読者有志の寄せ書き風コメントもありましたが、これも中途半端です。編集後記もようやく宮原編集長が全面を使って最終号の辞を書いていましたけど、3月号、おそくとも4月号から続けて然るべきでした。

これまでの忖度のしがらみがなくなったからか、E217系がその嚆矢で、現時点では最悪の誉れも高いGV-E400系(H100系)も合わせて記事が取り上げていましたが、座席数の問題をストレートに指摘していましたね。まあ「大雪」「きたみ」も含めてなんとか座れるとか、1日1本のローカルはそれでも座席定員を大幅に割り込むとか、厳しすぎる現実も記していましたが。バリアフリー対応の大型化粧室がネックという話も、E721系やJRWの227系などの設計であればそこまでスペースを取らないわけで、機械室が原因なんですが、床下ではスペースが足りず客室スペースを相当食うという状態で電気式ディーゼルを旅客車として実用と見做すべきかどうかを問うべきでしょう。「半室機械室」というべき車両ですから。

E217系の記事は113系時代の話題も出していましたが、引退からも四半世紀以上とあってだいぶあやふやですね。
E217系の運用区間をきめ細かく書く半面、113-1000'系の運用区間は触れていません。おそらく君津、大原、成田までで夏ダイヤ時に千倉と安房鴨川まで、JR化後に鹿島神宮と成東へ、というレベルの知識でしょうが、72年7月改正から75年3月改正までの間は平休日でダイヤが大幅に変わっており、休日の多客期には快速が千倉、安房鴨川まで延長されていました、あるいは夏ダイヤの話題も含めてこたつで書けなかったのでしょうか。あとサロ111を他系列からの編入のように書いていますが、サロ111は111系、113系オリジナルの形式で(なおモハ以外は113系も111を名乗った)、SF直結対応として難燃化(A-A基準対応)改造を受けて1000番台に改番されただけです。サロ110(1000番台)、はサロ153からの編入です。これの編入で初めて近郊型サロに乗務員室がつき、現在に至っています。(70系、80系のサロにも乗務員室は無い)

最終号関係のコラムですが、芦田氏のほうは「大人の対応」のようないかにも惜別という文章でしたが、鍋倉嬢は期待を裏切らないというか、編集長を「ミヤちゃん」呼ばわりとか、当時はいざ知らず分別ある大人というか結構な年齢になったはずですがそれはどうよという内容です。くだけた筆致で当時の雰囲気を出したつもリでしょうが、編集後記の編集部員のコメントでかつては時折あった特別版での「長文」のほうが簡潔で人となりをだしていましたから、やはり「現役」当時から批評されていた「何を言いたいのか・・・」の癖は治っていなかったようです。

まあそれでも「フツーの特集」よりは数倍最終号らしいわけで、「フツーの特集」なんかやめて「特集 鉄道ジャーナルの58年間」とでもした方がよかったのに。JR九州元社長の石井氏の記事もありましたが、「惜別」がテーマならもっと読ませる記事になったでしょうに。

ジャーナルの休刊(廃刊)を出版業界の苦境と重ねる報道も多かったですが、それこそ今こうやって発表しているGooブログが閉鎖されるように、ネットという空間での発表媒体が急激に消滅しており、将来の発表機会の喪失のみならず過去の発表コンテンツの消滅という「出版」ではありえない事態が常態化しています。
そうした中で個人レベルの発表媒体としてはネットではなく「薄い本」へのいわば「逆シフト」が決定的になっており、そうした「薄い本」の即売会は盛況となっています。その現状を見るに、出版物は時代遅れどころか一巡して再び支持を集めているともいえるわけで、どうすればそれを商業ベースに乗せられるのかを業界あげて真剣に考えてきたのか。刷り部数と実売部数のギャップの問題は「薄い本」でもある話ですし。あるいは一部のサイトのようにPDFベースの有料配信とし、残したい人は自分で「薄い本」に仕立てる(要はプリントアウト)という方式もあるわけです。

鍋倉嬢の竹島前編集長評に、「経営はテキトー」というものがありましたが、それでも成美堂に身売りするまで経営危機という話があったとも聞いておらず、道楽ではあったんでしょうが、会社経営はそこまで「テキトー」ではなかったのでしょう。強いて言えばそれこそ半世紀を超える歴史ある雑誌ですから、写真をはじめ、ルポ記事など「コンテンツ」が多くあったわけです。それを経営に資する形で活用しなかったというのは「経営はテキトー」という評価を許す余地があるでしょう。資産が全く回転していないのですから。なお竹島前編集長も上記の特別版の編集後記では、時には安全弁が噴いたりして老雄健在ぶりを示す、と評されていたくらいですから、鍋倉嬢が在籍していた頃と全盛期はかなり違っていたようです。

とにもかくにも鉄道ジャーナルは2025年6月号、通巻704号(増刊号を含む)で一巻の終わりとなりました。
リアルタイムでの購読としては足掛け49年の読者として、感謝と慰労の意を表したいと思います。



有終の美を飾る気もないのか

2025-03-25 21:55:27 | 書評
鉄道ジャーナルは「ラス前」となる5月号が発売されました。休刊とあって人気が出るかと思いきや、結構残ってますね。今月は関西特集というのにしっかり残っています。かつては関西特集の時は早々に売り切れていたんですが。

さて3月号で発表された休刊はヲタ界隈のみならず社会的な話題となりましたが、一時の話題にとどまった感じです。とはいえ58年間、700有余号の歴史に幕というのであれば、休刊(廃刊/終刊)に向けた企画があってよさそうなものですが、最終号となる次号6月号の予告を含めて何もないというのはどうなのか。奥付部分に「6月号を最終号として以後の発行を取りやめます。」という小さな説明以外に休刊の案内は無く、編集後記で編集長が長年の思い出を語るということもないばかりか、休刊の事実への言及すらありません。本文でも常連のライター、編集部員の記事ともども休刊の言及がないのは同様で、本当に次号で終わるのか、というような状態です。特集も今月が関西の電車、来月が東京の電車と「普段通り」ですし。

唯一休刊に反応しているのが表2に掲載されたJREバンクの広告に「鉄道ジャーナルさま 58年間ありがとうございました。」の文字が出ているだけ。
まあ2022年から表4の自社広告すら出さなくなった誌面ですが、アイキャッチの高い表紙回りで唯一広告が掲載されていた表2の広告ですら休刊に言及はこれだけというのに至っては、発行会社以外は休刊という事実すら認めようとしていない感じすらうかがえます。

唯一「バスコーナー」が欄外で担当の鈴木文彦氏が今回が最終回ですとあいさつしているのがあるだけですが、しかしそれも休刊に伴うものとは触れていません。ちなみに「バスコーナー」は1985年1月から40年続くコーナーですが、誌齢の2/3を超える長寿コーナーなんですね。開始当初は異色のコーナーと言われていましたが。

まさかとは思いますが「旅と鉄道」のように別会社で「復活」するのか。ただ「旅と鉄道」も編集元の資本関係が変更されるとともに発行元が二転三転しており必ずしも順風とは言えない状態です。とはいえもし万が一「復活」(引き継ぎ)となるのであれば救いではありますが、雑誌のコンセプトは大きく変わるでしょうね。そして「ジャーナル」「タビテツ」
のコンビ復活となれば出版界の歴史に残る流転になるでしょう。



散り際の謎

2025-01-23 20:42:32 | 書評
鉄道ジャーナルの看板と言えば「列車追跡」ですが、交通事業者が乗客のプライバシーなどを理由に取材を制限したことで「目玉商品」を失った格好です。「北斗星」からですかね、取材制限があると本誌でも記載がありましたが、国鉄時代のように車掌が「本日は取材が入っております」とエクスキューズすればいい話をしないで単純に規制ですから、面倒事はいやということなでんしょうね。邪推すれば「事実」を書かれると困るという腹もあったんでしょう。

購入するなどして取材側が煮て食っても焼いて食っても文句は言わせないと辛口評論が確立しているクルマは、ある意味自腹で勝負している、という姿勢ですよね。「暮らしの手帳」に通じるものがあります。ほかのジャンルでも自分で利用した結果を踏まえた紹介、評価、批評があるのですが、「公式な」取材が出来なくても可能な手法を確立できなかったことで自爆した感じすらします。自腹切って乗車した際の「様子」を発表することまで事業者は規制し得るのか、という話ですよ。説明に必要な写真を添えることだって規制できないはずです。単純にそこまで規制を認めたら「批評」というジャンルが否定されるわけで、それは権利の濫用というコンセンサスがありますから。それこそコンビニの「上げ底」問題を取り上げると、許可なく商品を語るな、という理由で規制し得るのか、という話になります。
 
片手落ちとしか言いようがないのは、ユーチューバーのようなセミプロの動画投稿は事実上容認しているわけで、編集部のチェックもない投稿は野放しで、チェックがある「オールドメディア」は取材規制というのも原因でしょう。読者の求めるものはライト志向という解説もありましたが、趣味界のようなこだわりが渦巻く世界だと「本物」志向が根強いはずで、逆にそれを徹することができなかったがゆえの「乖離」だったと思いますけどね。

あと、落日の出版社系週刊誌じゃないですが、読者層の高齢化を踏まえた特集を組むといった工夫もなかったですね。
それこそバリアフリーのチェックとか、高齢者であろう「大御所」クラスのライターや、一時期誌面にも出ていた障害者のライターとか取材者兼書き手はいますよ。そういったブレイクスルーが出来なかったのは結局編集部なんですけどね。

経済誌の鉄道記事が突っ込みどころ満載という現実を見ても、やはり専門誌に一日の長があるのですが、それを打ち出せない、というかネット媒体では鉄道ジャーナルの記事を経済誌が抄録して掲載というようなタイアップをしていたわけで、これでは差別化もできませんでした。

あるいは須田氏の訃報が影を差しているか。
そもそも今月号で追悼記事を出すでもなく、月次の出来事の中でした取り上げていない時点で不義理どころじゃないんですが、どうしたことか。そして急な終刊決定は、それこそ「身売り」の際に須田氏にお世話になり、そして須田氏が鬼籍に入ったということでこれ以上義理立てする必要もない、という事情だって邪推できますが、義理を欠いた号での終刊発表も何とも後味が悪いです。



ついにこの日が来る

2025-01-21 19:14:18 | 書評
鉄道ジャーナルが58年の歴史に幕を閉じます。
ネットニュースで速報が入りましたが、今月発売の2025年3月号を手に取ると、奥付の編集後記あたりに何も書いてないな、と思ったら表2を1面使って「みなさまへ 本誌休刊のお知らせ」と出ていました。
鉄道ジャーナル社名義で、発売元として成美堂出版の名前が添えられていましたが、別会社名義で発行してそのまま終了という寂しい最後です。

10年前に亡くなった創始者の竹島氏による「竹島イズム」が強い雑誌でしたが、18年前の代替わりと15年前の身売りを経て、終刊に至るまでの誌面を見るに、編集長交代の時に幕を閉じていたほうがよかったのかもしれません。残念ながら2代目編集長の宮原氏は「宮原イズム」をうち出すでもなく、「竹島イズム」を引き継ぐでもなく、惰性で刊行した感が強かったです。強いて言えば技術面にフォーカスを当てる傾向が見て取れましたが、中途半端でしたね。

購読するようになって半世紀近いですが、小学生で趣味誌に手を出すようなませたガキでした。古本屋で仕入れたバックナンバーを含めると終刊時点で49年半のバックナンバーを保有することになります。それこそ初期は「国鉄の動力近代化」が特集になるような時代で、ちょうど実用としての蒸気機関車が国鉄の線上から退役した時期でした。リニアというパラダイムシフトを特集するまでは持つかと思いましたが、先行きが不透明になり、私自身もリニアの営業運転やそれを報じる誌面を生きて目にすることができるか怪しくなったと感じながら近年は正直惰性で買い続けた感が強く、それなりの年齢になってくるといつまで買い続けるのか、死んだらどう処分するか、と漠然と考えるようになってきていましたが、あと4冊しか増えないことになりました。

その昔はバックナンバーも価値がありましたが、コレクターも資料的価値という視点ではいわゆる「自炊」をしてデジタル化してしまう時代であり、おそらくそれが共有化されているでしょうから、スペースを取る雑誌の現物の価値は激減しており、処分するしかないのでしょう。時刻表も1975年以降の夏臨掲載号(1980年以降は大型)と1980年以降の全国改正号をもっていますが、こちらは復刻版がそれなりに需要を集めているとはいえ、復刻版以上の価値がつかないことが確定した格好です。そもそも家族でこの趣味を共有している人はいないわけで、処分以外の結論になりません。

研究者肌の鉄道ピクトリアル、今を映す鉄道ファンの両誌に対し、「社会派」の看板を掲げて鉄道のみならず交通の論点を扱うというのが鉄道ジャーナルの立ち位置でしたが、真っ先に力尽きた格好です。
時代がどう変わろうと「論点」はあるわけですが、それを誰もが納得する格好で「料理」する論者がいないわけで、一方でネット社会の深度化で誰もがオピニオンを発信できるようになりましたし、一定のレベル以上のコンテンツの提供が可能な人であれば「薄い本」で世に問うことも可能になったことで、存在意義を失ったのでしょう。

あるいはこの編集方針の影響で「社会派」とされる勢力が趣味界に蔓延る原因となったとも言えますが、「事業者無謬」というが如き歪んだ発想が大手を振るようになったのは、その「社会派」が結局は中途半端だったということでしょう。経済誌が「経済テツ」なるジャンルを確立しようとしましたが、「経営」に関するセンスも知識も致命的に欠如していることが露呈したわけで、結局「事業者無謬」「私設大本営」と揶揄されるように、会社が正しい、という単純化に走ってしまったのです。

ここは本誌と編集部を責めるのは簡単ですが、「ヲタ」を相手に経済や経営を説ける人はそうそういないでしょうし、編集部がそれを見分ける、見極めることは極めて困難でしょう。鉄道会社の決算発表の解説記事が一時期寄稿されていましたが、四季報を読むが如き内容というか、その数字から何が言える、見えるかが示せないレベルでした。
いわんや会社組織やガバナンスといった「経営」の解説など夢のまた夢でしたが、そこは趣味誌に求めるというのは酷な話とはいえ、であれば深掘りしたい趣味的欲求に応えられない、という袋小路が約束されていました。

論者がいない、というなかでネットメディアに流れた筆者も少なくないようですが、忖度メディアと揶揄するように「上っ面」と「パブリシティ」の傾向が払拭できない媒体です。このあたりはネットと「オールドメディア」の関係にも似ていますが、であれば検証記事とか「オールドメディア」が得意とするジャンルが確実に存在するのにそれが出来なかったわけです。そして「忖度」の根源ですが、交通事業者が「公共機関」「私企業」の立ち位置を恣意的に使い分けており、都合が悪いときは「私企業」として取材どころか議論すらコントロールするような風潮になっているわけで、交通事業者の胸先三寸で「おまんまの食い上げ」になってしまうようになったことも大きいでしょう。

鉄道ジャーナルは「社会派」の看板と同時に「列車追跡」というルポルタージュの側面がありましたが、これも交通事業者によるコントロールが厳しくなり、それこそ「事実を活写することはまかりならん」というに等しい事態になっています。
他の乗客のプライバシーが、とかいいますが、一方で交通事業者の意向に沿った「成果物」となるのであれば取材大歓迎で、ほかの乗客の映り込みや立ち居振る舞いの紹介を全くしないとも言えない状態での発信を容認していますよね。「インフルエンサー」とやらを集めての試乗とか。まあ「書き手」のほうも「インフルエンサー」として招待されて喜んでいるわけですから、ジャーナリズム、ルポルタージュといったジャンルが成立しないのも当然でしょう。

国鉄末期からJR化初期の1980年代後半には、合理化というのはわかる、しかし、という利用者目線での批判というものがありましたが(1987年3月号の特集「坐れない列車を考える」)、今だと書いた瞬間に出入り禁止になるということなんでしょうね。歴史に閉じこもったり、あるいは外見が変わってる列車、経路が面白い列車、新車はこれだ、新ダイヤはこうだ、というようなパブリシティに徹するしかないんでしょうね。それとてネットの忖度メディアがあれば十分という感もなきにしもあらずですが。

あるいは「鉄道」にこだわらない「総合交通体系」の主張も先駆的でした。須田氏、山之内氏といった国鉄改革派と近しいこともありましたが、赤字ローカル線問題では存続ありきの議論ではなかったですし、航空や高速バスへ紙幅を早い段階から割いていましたね。1980年1月号の特集「鉄道は航空機と共存できるか」はジャンボジェットを表紙にした伝説の特集でしたし、のちには日航の利光常務と国鉄の須田常務(当時)の対談という経済紙誌でもなかなかできないような記事もものにしていました。それが今世紀に入ると鉄道至上主義が目に付くようになり、LRTにしてもまず必要性から問うこともなくなりました。まあこれに関しては過去の路面電車の記事からしてクルマ=悪のスタンスが露骨で、唯一バランスが取れていなかった部分でしたが。

あとは編集者、趣味界とも交通事業者の幹部と対等に渡り合える人がいなくなったことも大きいでしょう。結局は国鉄の記録映画製作を介して築いた竹島氏の人脈、コネですが、管理職になった気鋭の時代に須田氏や山之内氏との接点ができていたのが後年財産になっており、両氏とも本社の課長時代から、鉄道管理局長(須田氏=名鉄局、山之内氏=東京北局)を経て局長(須田氏=旅客局長、山之内氏=運転局長)、常務理事と出世したことも大きかったです。

須田氏や山之内氏の世代がJR第一世代の経営トップだった時代は蜜月でしたが、そういう人脈がなくなると、メディアは趣味誌であっても広報を通じて接触すればいい、趣味誌と付き合うくらいなら経済誌や技術誌のほうが広報するメリットは大きい、ということなんでしょう。経営トップも第二世代となると労務問題で苦労した世代であり、企画畑、労務畑ということで組合問題もあり政権との距離も近かったことから、「鉄道」よりも「経営」に軸足を完全に置いており、趣味人からも受けが悪かったです。

その第二世代ですら松田氏、葛西氏と鬼籍入りという時代が流れましたが、須田氏の訃報を聞いたのはつい先日です。
鉄道ジャーナルは須田氏の理解によって育てられたといっても過言ではないだけに、須田氏が去ったタイミングでの終刊というのは、最後に仁義を切ったと思いたいです。ただ、これとて過去の誌上でお馴染みだった諸氏の訃報に際しての「不義理」にも見えるような扱いを見ているだけに、たまたまなのかもしれませんが。



適材適所を考えていたのは今何処

2024-10-28 20:35:06 | 書評
ジャーナル12月号は地域鉄道の希望と題してローカル線特集です。
特定地交線廃止時にはナイーブな廃止反対論を合理的判断で批判してきて、鉄道にこだわらない総合交通政策といいう切り口をウリにしてきた同誌が今やかの頃が嘘のように鉄道を残していれば、という思いを隠さない感じというのが何ともです。まあ当時ですらヲタを敵に回した格好でしたが、紙媒体の雑誌が総じて危うくなっている今日、「お得意様」を敵に回す特集は難しいのでしょう。

土屋氏の木次線、芸備線の紹介ではさすがに「無理」という判定ですが、落石問題で代行バスになっていることで道路事情を目の当たりにできたのは収穫でしょうに。東城付近のバスについて小奴可以西の西城交通まで含めて言及できているのはいいですが、中国バスの東廻り東城線は既に最小限の存在になっており、旧神石町から上下町を結ぶ西廻り東城線などの路線も消えて久しいですがそれでもなおバスがあるという判定です。東城は水系も違い岡山県の阿哲地区との結びつきがあるという指摘もようやく見ることができましたね。野馳以東の備北バス(岡山県の会社のほう)も紹介できれば良かったんですが、そこまで時間がなかったか。岡山県側は新見の拠点性と近さもあって、芸備線もまだ使われている感じですし。

そしてよかったのは記事の深みです。県境の高梁川水系同士の谷筋を跨ぐ小さな峠をゆく道は牧水の有名な「幾山河」の歌の舞台という紹介。今でこそ国道が走る明るい道ですが、当時の「寂しさのはてなむ国」という情景が今の芸備線に重なるというのは情を感じます。ヲタが18きっぱーの混雑に揉まれて通り抜けるだけでは決して感じえないものでしょう。

なお、木次線出雲横田から伯備線生山に抜ける観光タクシーを紹介していましたが、同じルートで日南町に入った阿毘縁で奥出雲交通と日南町営バスの乗り継ぎができます。奥出雲交通は記事にもあった三井野原までの路線や、庄原市に入った道の駅たかのまでの路線もあり、三井野原以南はつながっていませんが、かろうじて県境を越えて交通をつなぐ稀有の存在ともいえます。「ローカルバス乗り継ぎの旅」で紹介してほしいようなルートですね。

一方で鈴木氏の廃止代替バスの分析は最近氏の論調に顕著なバス転換を否定する流れです。じゃあ鉄道だったら残っていたかという話で、池北線のように万策尽きた格好で廃止というのが関の山でしょう。今に至るまで残る鉄道が特定地交線のボーダーラインを大きく割り込んでいるという解説も、だから鉄道で残せたではなく、いまある鉄道こそ鉄道で残すべきなのかを考える時期という評価であるべきでしょう。「赤字83線区」を中途半端に先送りした結果が特定地交線ですし、特定地交線を廃止あるいは切り離したことでJR各社の経営基盤を確立したという史実がお留守になっています。

バス研究の泰斗である鈴木氏ですが、最近の論調はどうかと思うことが多いです。
廃止代替バスの分類と評価にしても、既存路線に埋没というのは何かマイナスのような印象すら与えますが、実際には今現在の交通に即した路線が盛業中ということに他ならず、逆に流動に合わない「代替バス」を後生大事に維持して赤字を垂れ流すケースのほうが問題でしょう。そもそも廃止当時の理由として「流動にあっていない」という鉄道路線だったのにその路線をトレースしてどうなるという話です。運転手問題もじゃあ鉄道の運転士は集まるのかという当たり前の話になります。地方鉄道ではすでにその問題が顕在化していますし、大型2種持ちのほうがまだ母数は多いですから取り得る方策は広いです。

今回の特集では岩成氏の記事はナイーブすぎるわけで、公共交通全体が使われなくなっているなかで鉄道という大量輸送機関を維持する必要性があるのか、という視点が欠けています。大都市通勤鉄道ですらCovid19を経て永久不滅のはずの通勤輸送の蒸発すら想定されるなかで、鉄道というツールを残すという判断はハードルが極めて高くなっています。その意味では鶴氏の近江鉄道の記事はその判断をした鉄道の分析になりますが、記事では税金を投入するからにはその透明性が問われるとしているけど、必要性が問われるというそもそも論を語り切れていません。会計上の赤字やキャッシュフローとしてのマイナスの相当部分が公共持ちになり自治体の予算、会計の中に埋没するなかで、必要性の検証ができているのか。
もちろん近江鉄道レベル、特に近江八幡-八日市間が維持できないようでは地方鉄道というジャンルそのものを否定するしかない事態ですが。

岩成氏の記事でその後の変革を考えたら廃止は早計だった、としていますが、そこまでセットで考えてもいなかったのにそれは後知恵でしょう。逆に近江鉄道のように琵琶湖線の盛況を前提にできる段階であればもちろんそれを推せるでしょう。
高砂線など旧播州鉄道の一族は確かに大化け出来たでしょうが、新快速が圧倒するようになるまで10年以上待てたかどうか。それと加古川を拠点とする各線が大化けした世界では、山電や神鉄が需要を吸い上げられる世界でもあり、最悪は別の路線が消えていたかもしれません。

あとは米大統領選に絡めてアムトラックなど広域鉄道に対する施策の話題。共和党を中心に鉄道軽視(蔑視)の政策といいますが、大都市部では公共交通に対する施策が手厚い、しかし税金の使い途として厳格に審査する、というスタンスも忘れてはいけません。リンカーンやJFKの霊柩列車や鉄道車両を使った遊説は今までなかった話題ですね。
ワシントンDCのユニオン駅にこの手の展望車が留置されているのを見たことがありますが、現役だったとは。