Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

レバ刺しは食文化ではない

2012-06-30 13:43:00 | ノンジャンル
レバ刺しが明日7月1日から禁止されるということですが、NHKをはじめとするメディアがどうしてここまで大騒ぎをするのか。
そもそも食中毒リスクがあり、特に凶悪なO157への感染リスクが現在の手段では回避できないということが出てきたのが今回の禁止の直接の引き金ですから、「駆け込み需要」に対して、危険な行為だから禁止は7月からと言っても控えるべき、となぜ言わないのか。

このあたり、他のリスクに対する潔癖症とも言える論調と正反対であり、法令で禁止されるというのに未練たらたらで、法律がおかしい、根拠がどうのと垂れ流すのは滑稽を通りこして異常とも言えます。

確かにレバ刺し、私がおいしいと思った大阪・鶴橋では「生肝」と言うのですが、きちんと調理されたものはとても美味しく、それは否定しません。しかし、リスクが発覚し、現実に事故例が出ている以上、それを禁止することを批判することはどうでしょうか。例えば、フグについて、これまで大丈夫とされてきた肉に毒があるケースがランダムに存在する、と判明しても、フグは美味だから自己責任で、と言えるのでしょうか。

今回のメディアの反応で決定的に疑問なのが、どうしてレバ刺しだけこんなに騒ぐのか。リスクを過大評価しているわけでもなく、現実に今回の駆け込み需要で集団食中毒を出しているケースもあるなど、特に注意が必要な時期でも食中毒が出るような代物です。

さらに理解できないのが、他の生食と同一視したり、食文化が、と大上段に振り被る論調で、生卵や生牡蠣における品質、安全管理の1%もレバ刺しでしているかどうか。生卵や生牡蠣の水準は、いうならば牛の飼育、屠畜の段階から感染防止の専用体制の管理下に置き、食中毒リスクを管理しているレベルであり、それに対してユッケもそうですが、焼肉店の生食は話にならない低レベルの管理でしょうに。

食文化の視点で見ても、我が国においてユッケに続いてレバ刺しが無くなっても何の文化的損失はありません。栄養学上の問題も火を通せばいいので問題にはなりません、舌先三寸、食味の問題に過ぎないわけで、嗜好品が消えるというだけの話です。

そもそも魚の刺身や生卵は日本の食文化ですが、レバ刺しは歴史自体が戦後の焼き肉店の進出と同じものですから、日本の食文化としてリスクや法令を無視してまで残すものではありません。
それを和食文化の基本ともいえる刺身と同一視するのは文化への冒涜です。だいたい、臓物の生食なんて日本の食文化にはありません。魚ですら魚卵、白子はともかく、その他は普通は生食の対象外です。

そもそも食文化を云々するのであれば、欧米の海賊行為に妨害されている鯨肉のほうがよほど日本の食文化であり、守るべき存在であり、食中毒リスクも圧涛Iに低いのに、こちらは無視どころか食文化ごときで可愛いクジラを殺すな、とメディアがご高説を垂れ流しているわけです。

クジラを食べる我が国固有の文化は滅んでも構わないが、よそから入って来たレバ刺しは何があっても守りたい、放射線を照射してもいいじゃないか、という主張をする動きを見ると、何のためにそこまでムキになってレバ刺しを擁護するのか、異常な発想の影に何か為にするものがあるのかもしれません。








甘くない親の扶養義務

2012-06-30 10:26:00 | 時事
扶養義務を巡る問題で、民法で定める3親等はさすがに無理だが、親は面東ゥるべき、と言う主張が多いです。たしかに親兄弟、とは言っても自分を育ててくれた親をないがしろにするというのは人間としてどうかと思う面もあるわけで、「親は別」という形で落ち着くことになるのかもしれません。

しかし、扶養義務を巡る問題点、つまり、別生計の扶養義務者がどこまで「犠牲」になるか、と言う根本を考えたとき、親に対する扶養義務の「強化」のほうが危険な流れと言えます。

そもそも年金で食っていけない親がのしかかるリスクを軽く見すぎです。
労働収入は期待できません。年金はありますが、特に父親に先立たれた母親の年金収入がどうなるのか。厚生年金でも激減するんですよ。しかも今後はどんどん年金も手薄になって行くわけです。
おまけに田舎には売るに売れない家屋敷があって、固定資産税だけは実際に売れない価格をベースに課されるという悪夢の状態で、これで病気でもした日には大変です。

さらに高齢化で、今回「コウムインガー」と批判している年代でも両親どころか曽祖父が健在、というか入院して延命中、と言うケースも少なくないわけです。
ネズミ算の逆で、1世帯に「両親」は4人、「曽祖父」は8人いるということを忘れていませんか。親の扶養義務を残した場合、曽祖父は別としても、4人家族に対して同じ数の人間を扶養する義務が偶発リスクとして存在するのです。

ですから、親の扶養義務も「出来る範囲で」としないと、子供世帯の生活は簡単に破綻します。
このあたりがきちんと見えての話でないだけに、軽率、拙速な議論で決めると後で大変な事態になるのです。

「敵」を造って件p否定

2012-06-30 09:56:00 | ノンジャンル
大阪市の文楽に対する補助が問題になっています。
補助を受け取る文楽「協会」の体質が、と主張していますが、残念ながら協会組織を通さずに文楽と言う件pが残せるわけもなく、「敵」を無理やり作って自説を押し通すいつものやり方以外の何物でもないでしょう。

文楽、江戸時代は人形浄瑠璃と言ってましたが、そもそも少なくない歌舞伎の演目が文楽由来であり、江戸時代は重要な娯楽でしたが、人形遣いが緻密な撃ゥせるというスタイルが時代にそぐわないようで、娯楽としては廃れたといっていいでしょう。

しかし件pとしては素晴らしいものがあるわけで、それを断絶させる選択肢はないでしょうから、他の伝統券\などと同様、伝承のための補助は必要であり、それを否定する人はいないでしょう。

今回の騒動ですが、確かに協会のぬるま湯体質も大きな問題ですが、それを差し引いても文楽の保護育成、維持に関して理解をしている感じがしない市側、端的に言えばあの市長の体質が問題です。

他の伝統券\と違い、世襲制ではない実力本位の「近代的」なシステムであるがゆえに、伝承という局面では「宗家」として継がなければならない、という義務感も無いことから、逆に伝承が難しいとか、日本人好みの「襲名」と言ったイベントが立てづらい特殊性を理解して判断しているのも怪しいですし。

特に呆れるのは今回、面談を拒否したから補助金の執行を停止する、ということ。ガキの喧嘩じゃないんですから、政令市の首長が公言する内容じゃないでしょう。いや、ナントカ広域連合と称して「関西の王」を目指しているお方ですから、さもありなんかもしれませんが。

人間国宝は会うと言っているから反市長のマスコミの捏造だ、と言う人もいますが、団体組織として対応する話で、直接コンタクトを取るということはあり得ません。まさか大阪市は何かの交渉事で、組織同士の話なのに市長に直接話を付けたら通るというような組織体なんでしょうか。それを考えれば「反論」のおかしさ、無意味さがよくわかるはずです。

そもそも文楽に理解があるかも怪しいけど、権力はあり、「代言」で弁が立つ人間と、月魔ミと筋のある意味「世間知らず」の人が対面したらいいようにあしらわれ、致命的な言質を取られかねないリスクがあるのです。どんな組織でも「必ず組織を通して下さい」と言うのは社会常識ですが、市長に理があるとする人はそれも分かっていないようです。

ちなみに、市長がまだ政界に打って出るまえの2002年に、レギュラー出演していた「サンデージャャ刀vで、「能、狂言のファンと言うと恥ずかしい、変質者っていうか」と言う発言をして多くの伝統券\ファンの怒りを買いましたが、今回の文楽を巡る問題を見ても、基本的な体質が当時と全く変わっておらず、そういう色眼鏡で見ているが故の行動と強く推測できます。

まあ、文楽は近松の昔から大坂が育んできた件pで、今もミナミに国立文楽劇場があり大阪がメインの数少ない件pですが、その首長がこういう対応を取るようであれば、古のように娯楽文化として土着する必要も残念ながらないのですし、吉本辺りと同じ土俵で勝負させられかねない現実を見れば、きちんと件pを理解する土壌である首都東京に移転したほうがいいかもしれません。

このあたりは、名古屋城の本丸御殿再建は無駄!と威勢良く主張した名古屋市長に対し、市民がこぞって異を唱え、市長もいつの間にか本丸御殿の再建どころか名古屋城の伝統建築での再建まで言いだしたのと比べると、数段落ちる件pへの認識、対応と言えます。




忘れられた?マナー

2012-06-28 22:39:00 | ノンジャンル
新入社員も配属されてしばらく経ち、そろそろいろいろなしきたりを身体で覚える頃ですが、そうしたしきたりの一つに、お客様を優先する、というものがあります。
会社のエレベーターや通路での「お作法」であり、お客様を押しのけて、と言うことのないようにするのは基本中の基本です。

なぜそういう話をヤブから棒に、というと、最近そういった「お作法」が忘れられていることが多いと感じるからです。

特にどうなのかな、と思うのが、「業者」の行動で、まあ例によって交通の世界ですが、駅構内で売店や清曹ネどいろいろな業者の人が作業をしているのは当然として、混み合う構内で作業は仕方がないとしても、では作業場所への行き来で通路の真ん中を堂々と歩くのはどうかと思うのです。
それも2人で並んで談笑しながら、と言うのを見ると、何か違うのでは、と思います。

駅なんかでは乗務員もコンコースを歩くことが多いですが、これも乗務員詰所への職員用通路があるのにコンコースを通ったり、エスカレーターで止まっていたり(止まるのが「正当」とはいえ、乗客の大半が歩いているところではどうでしょうか)、上記の業者の人のようなケースもあるわけで、気になる部分です。

このあたりは客商売としてもっと厳しいはずのスーパーでも最近は目立ち、まあ営業時間の拡大で本来開店前、閉店後に行うべき清曹竢、品の入れ替え、補充が営業時間内に行わざるを得なくなったと言う事情はありますが、通路を塞いで台車を持ち込んで作業をするケースを目にすることが増えており、バックヤードとの分離がなくなっている感じです。

そこまで客は偉いのか、と言われそうですが、客の邪魔にならないようにする、と言うのは基本的なマナーのはずですし、そうせざるを得ないのなら一言断るとか、それなりの作法があるわけです。スーパーでもそのあたりが厳しかった「名残」としてか、お客用のトイレに「このトイレは従業員も利用させて頂いております」と掲示しているわけです。

まあそういう流儀がおかしかったと言われればそれまでですが...


記録に何の不都合が

2012-06-28 22:37:00 | 時事
テレビ番組を国会図書館で保存することにメディアが反対しています。事後検閲に当たるという理由を振りかざしていますが、そのために貴重な放送記録が散逸してしまう危険性が高く、文化の保存と言う意味で、紙メディアに対する意識の低さが目立ちます。

そもそも事後検閲というのであれば、出版物も同じであり、なぜ放送のみ特別扱いが必要なのか。
そう考えた時、紙メディアは発表=「記録」ですが、放送は録音、録画と言う行為を経なければ「記録」出来ないと言う特性があるわけで、逆に言えば、そこに抵抗するということは、「記録」されることに何か不都合があるということになります。

有り体にいえば、紙メディアのように「記録に残る」と言う前提がないことを「利用」(「悪用」?)した番組作りがなされていると疑う余地が大きいわけで、その効果としては紙メディアのように内容を「検証」されないことがあります。

つまり、言い方は悪いですが、「口から出まかせ」であってもこれまでは検証不可能だったものが、保存されることでそれが出来なくなる。それを恐れているのでしょう。
そういう意味では、紙メディアならそうした編集スタンスのものもありますが、それに対する評価は低いわけですが、放送メディアもそうした評価を社会から受けるべきところ、それから逃げていると言うことができます。

改正著作権法で「違法アップロード、ダウンロード」への規制が強化されましたが、これが動画サイトへの番組内容のアップを完全に抑制する方向に働くことから、メディアが社会の批判から回避できるから今回の改正を大きく報じない、と言う批判があるわけです。

そして国会図書館での保存への反対とあわせると見えてくるものは「やりたいほうだい」です。
本来メディアに対する「報道の自由」は、国民の「知る権利」へ奉仕するツールとして与えられたものです。ですから「知る権利」に寄与しているかを国民が検証することは当然の権利であり、メディアはその義務を負うといえますが、現実は自分たちの権利だけ最大限に享受して、義務を無視していると言えます。