Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「訂正記事」を読み解く

2017-06-30 23:51:00 | 交通
車椅子利用は事前相談があれば断っていた、というバニラのコメントは正しくない、とねとらぼが報じたのですが、ねとらぼが指摘した毎日の記事のほか、ハフャXト、琉球新報も同内容の報道をしており、バニラ側の否定だけでメディア側が間違っていると言い切れるのか、と疑いましたが、ハフャXトがねとらぼ同様の訂正記事を出したので、メディア側が端折っていたと見ていいでしょう。
(7/1修正)琉球新報は毎日の孫引きなので、実質2社でした。従って両方とも元記事の表現を相手から、あるいは自分から修正しています。

やっぱりマスコミの捏造、と一部で噴き上がっていますが、ハフャXトの訂正記事でのバニラの「正確な」コメントの中で、今回のケースは断っていた、というのがやはり気になりますね。
車椅子を使っている人で、「自分で歩ける」というのは微妙な想定でしょう。特にあのタラップを自力で上がり降りできる、ということが条件というのなら、車椅子でなくても足腰が弱い老人なんかは「無理」なケースが相当数出てきます。少なくとも私の親なんかは難しいですね。

そう考えると、車椅子に乗っていて、でも歩いてタラップを上がり降りできる、という人は「一般的」なのか。
そうでなければ、一般的な車椅子利用者は事前相談で拒否されるということになるわけで、端折ったことに特段の問題はないといってもおかしくありません。

ねとらぼの記事では「断った事例としては介添えがおらず、まったく動くことができない場合」とあるわけですが、本件、5人の同行者がいるわけです。既にエクスキューズなしで「断っていた」というのが致命的な対応と評判になっていただけに、回答を吟味した可能性も想定した方がいいでしょう(本人をクレーマーや当たり屋呼ばわりするくらいなら、それくらいの邪推も許されるでしょうね)。



無理な二正面作戦

2017-06-29 23:13:00 | 交通
10月29日からANAの成田<鴻X線が増便されます。羽田シフトを進めている同社らしからぬ成田増便ですが、東南アジア*k米需要への対応と明記しているわけです。既に同時間帯に設定があるため、1時間程度の間隔で雁行するイメージですが、ANAの東南アジア便を考えると、成田発は乗り継ぎ時間が冗漫なケースを埋め、成田着は乗り継げなかった便への乗り継ぎをカバーする格好です。

これ、SQなどが東南アジアから西海岸への直行便を設定してきていることへの対抗もあるんでしょうね。


(A380時代に成田までで乗った成田経由ロス行き)

SQはシンガメ[ル$ャ田<鴻Xの便をA380からダウンサイジングしているように、直行便シフトが鮮明です。そうなると成田ハブを確立しているANAとしても無視できないわけで、ネットワークの穴を塞ぐ格好に出てきています。


(成田にて。いったん降機するが乗り通す人は多い)

東南アジアへはSQによるネットワークが便利であり、1時間程度で接続が成立するチャンギ乗り換えとどう対抗するか。


(ANAは「全通路側」を売りにするが)

ANAの直行便より時間帯が良く、本数もあり、値段も安い(ANAは総じて強気)、という状況で、羽田成田の二正面作戦がいつまで通用するのか。SQの羽田便のようにチャンギ接続のネットワークという売りもないのですし。(シンガメ[ルとバンコクはインド方面との接続がありますが)
ついでにいえば、C席のレベルもSQの方が上ですね。


(SQの772はなんと通路を挟んで1席ずつの4列)






論者の意識がよくわかる

2017-06-29 22:49:00 | 交通
奄美空港のバニラエアの一件、ネットでの議論百出を見ると、雉も鳴かずば撃たれまい、というか、なんか暗澹たる気分になりますね。障害者の利用そのものが「迷惑」というコンセンサスが、俗にいう「一般大衆」だけでなくいわゆる「中の人」やその周辺にもあるということで。

あるいは法は事業者による対応を義務付けている、この厳然とある一線を前に事業者無謬の論理が構築できないとみてか、障害者は権利意識ばかりと詰ったり、事業者を批判している人は障害者をサメ[トしているのかと批判したり、悪いのは自分だけじゃないという大阪のオバちゃん論理で相対化を図る毎度の様式美も見飽きましたが。

そもそも車椅子利用と事前連絡していたら断っていた、というバニラのコメントが報じられている時点で詰んでいるんですけどね。事前連絡したら対応してもらえるどころか断られるのですから。これは複数のメディアが報じていますが、なぜかネットでは普通に乗れたという話も出ていて、さっそく拡散に勤しむ人も出ていますが、だとしたら余計に詰んでますよ。普通に乗れるのに、這い上がらされるのならまだマシで、乗れないと言われて高いレガシーにしたり、旅行を諦めるという被害、損害が恣意的に生まれているのですから。

まあ権利ばかり主張するな、お互い様、感謝の気持ちで、というところまで来てそこから「迷惑」に行きつくのも「残念」であり、世の中には普通に障害を持つ人とかサメ[トが必要な人はいる、という前提で、そういう人が来たら「配慮」「対応」するのが当然、というのが「お互い様」の本来でしょう。そこで「ありがとう」「どういたしまして」が自然と出てくる、ただそれだけです。

私自身はいわゆる健常者ですが、子育てではベビーカーを使い、帰省すれば足の不自由な老親と行動する、という感じで、バリアフリー、ユニバーサルデザインの現状を身を以って感じているわけです。で、周囲の対応や配慮が必要な利用においては事前連絡が必要というような前提がついたとき、移動に制約があると感じないで済むのか。乗降時に荷物を持ってもらった、というようなボランタリーな「親切」も人によっては心苦しいと感じていますし、あるいは幾許かの心付けを渡している人も知っていますが、そういう負い目を感じないで済む社会じゃないんですかね。目指すべき姿は。

ちなみに権利意識ばかりというのも困りますが、逆に感謝と謙虚を強制するのもその裏返しでしょうね。障害者への対応が、という事象に批判的な意見はまず「謙虚であれ」という発想に根差しているわけです。2004年に発生したイラク人質事件がおそらくその潮目でしょうが、まがいなりにも「被害者」が「感謝が足りない」と批判されたわけです。それはあの連中の対応に起因する特殊要件であるべきだったのに、一般化してしまったわけで、山や海での遭難ならまだしも、震災など天災であっても被害者、被災者がまず救助や支援に感謝する、というお約束が出来上がってしまったことが、障害者批判を正当化する一因ともいえます。
地元の電車に伊豆大島の観光案内が掲出されていますが、いまだに「大きな支援に大きな感謝」と、あの豪雨禍から4年が来るというのにエクスキューズを強いられて?いるのも、そういう歪んだ空気でしょう。

話がずれましたが、あらゆる障害に対応できるかというとそれは無理ですが、少なくとも今回のように車椅子を使っている、というだけのケースは、特別な対応を必要としないというレベルであるべきであり、ユニバーサルデザインとして対応されていく範疇でしょう。その意味ではJR東日本などで実施されている「ご案内」は、一見親切な、手厚い対応に見えますが、車椅子で無理なく動ける人でも特別扱いじゃないと電車に乗せません、と言っているに等しく、ユニバーサルデザインの概念とは逆の動きです。ついでに言えば、居合わせた利用者総てに乗車号車と降車駅を晒すのもプライバシーのかけらもない話ですね。

もちろんこれが常時人工呼吸器を装着しているといった障害であれば、「特別な対応」が必要であり、事前準備のためのリードタイムを要求することへの合理性も認められますが、本件はそこまでではないケースです。
あれこれ想像を逞しくして批判している人も少なくないですが、こねくり回しているうちに前提からずれていることくらいは気付いてほしいものです。

経済テツの流れなのか、対応にはコストガー、と振りかざす人もいますが、それ自体がユニバーサルデザインを「特別な対応」と認識しているわけで、その時点で心得違いということを自覚すべきです。競争上不利益になる追加コストではなく、事業をするうえで必要不可欠なコストという理解が必要です。製造業が直接的には1円の儲けにもならない公害対策に巨費を投じるのも、万が一発生した時の事業継続リスクとその損失はさらに膨大という面もさることながら、それが社会のルールだから、対策を全うするうえでのコストは吟味しても、必要な対策そのものを削ったり否定する発想も選択肢もありません。

ついでに言えば、変化球で、障害者対応をしたとしても、大勢やってきたらどうするのか、だから事前に連絡すべき、というものを目にします。確かに現状はそういう問題、リスクはありますが、だから事前に、ではなく、本来はそれでも対応できる用意をする、というのが「公共」交通としての責務です。車椅子ではないですが、高齢化が進む地方のバスでは老人同士が席を譲りあい、相対的に元気な老人が立つというシーンも目にするわけで、障害者や地域も含めて、100%の対応が不可能であればどこに線引きをするのか、というコンセンサス作りがまず必要であり、「乗れる」という原則を抜きにして「要連絡」という例外を本則にする流れではいけません。

ところで、航空機においては、あくまでレガシーであり、国内線だとあまり目にしないので気が付かないでしょうが、国際線で到着すると、ボーディングブリッジのところに車椅子と係員がずらりと並んでいるのをかなりの確率で目にします。
障害者の団体、ということでもなさそうなのにそれだけの利用が日常的にあるわけで、「当たり前」として考え、対応すべきなのです。であればおそらく非常時の問題も含めて対応は確立しているはずであり、だからこそバニラも非常時対応を理由にした搭乗拒否はしなかったのでしょう。

最後に、今回の乗客が「確信犯」的に行動していることを以ってクレーマーと批判している人も少なくないわけです。
確かにバニラで唯一対応できていない奄美空港を「ターゲット」にしているのは「やる気満々」としか言いようがないですし、過去にも同様の「トラブル」を引き起こしているのもまた事実です。

しかし見方を変えれば、15年前と同じ「トラブル」が発生するというのは、社会の意識もインフラも法律も変わっているのに何をしているのか、としか言いようがないわけで、こういう極端な事例が発生しないと問題の存在自体が世に知られないのです。
逆に本来なら胸を張って「なぜ対応できないんですか」とクレームしてもいいくらいの立ち遅れなんですが、現実は事業者側の拒絶に遭い、利用を諦める、割高な交通機関を使うといった泣き寝入りが何件発生していたかに思いを及ばすべきでしょう。

重箱の隅というよりも典型的な部分での立ち遅れであり、顕在化、可視化することで問題を世に知らしめるという評価こそあれ、クレーマーとして色眼鏡で見ることは失当でしょう。だいたい、本人だってここまでとは思わなかったでしょうし、障害者差別解消法に則って対応を自治体やバニラに依頼し、真摯に対応されて実際に解消された、というほどの事案だったのですから。



6時台に出勤しよう、ということか

2017-06-28 22:35:00 | 交通
働き方改革という名のもとに進められている朝方勤務シフトという労働強化については以前批判しましたが、さらに深度化するようです。

東京都が7月中旬の2週間、朝の通勤ラッシュの緩和プロジェクトとして「時差Biz」なるものを実施するのですが、東急と東京メトロがそれにタイアップした増発等を行うそうです。
朝方シフトと言いながら、京王を除けばラッシュ時に遠く及ばない本数しかないことで、却って「痛勤」になるなかで、今回は期間限定とはいえ増発に取り組む会社が出てきました。

東急田園都市線は史上初の「特急」として「時差Bizライナー」が設定されます。中央林間を出ると長津田、あざみ野、溝の口、渋谷から各駅とこれは速いですが、将来の「特急」があるとしたらこの停車駅でしょうか。
東京メトロは田園都市線絡みで半蔵門線が増発されるほか、東西線でも増発です。このうち1本は西船橋発九段下行きの快速で、朝のB快が消えて久しかったものが復活しました。

なるほど、朝に速達列車を運行して、スジが寝ているピーク時よりも速く快適に、ということなんでしょうが、その設定時刻を見ると何とも微妙です。
東急の「特急」は中央林間を6時4分に出て、長津田6時14分、あざみ野6時21分、溝の口6時29分、渋谷6時43分、永田町6時50分、大手町7時、終点押上は7時15分です。
東西線の快速は西船橋を6時15分に出て、浦安6時23分、東陽町6時30分、大手町6時39分、終点九段下は6時44分です(東西線は約10分後に妙典始発の九段下行きも運転)。

要は都心部に7時前に着くわけです。標準的な勤務時間が9時スタートのところ、実に2時間の「早出」を前提にしている、というか推奨しているわけです。おりしもJR東日本で実施される総武緩行線におけるキャンペーンでも、7時までに売店でSuicaを使い購入したら抽選でャCント進呈とあるので、7時(前)の出社を官民挙げて推奨しています。

家を5時台に出るのが当然、という生活が何を生むのか。しかも総労働時間の管理に全くなっていないわけで、2時間早く出たからといって15時や15時半を定時として帰れるわけがないのです。それでも17時や17時半であれば「今日はお先に」と言われても受容できる空気がありますが、早出なら早上りとならない。これが朝方シフト最大の罠であり労働強化の部分です。これがフレックスなどでピーク後の出社になった時、その分余計に残業するかというと、これは逆に帰りやすくなるわけで、総労働時間の短縮を目指すのであれば取るべき方策が真逆なのです。

今は一年でいちばん日が長い時期ですから気が付いていませんが、冬場になると出勤時点で夜が明けるかどうかの時間です。
サマータイム推進派の言い分として、自然に合わせた生活云々、というものがありますが、だったら一律の朝方シフトは「起きるべきでない時間」に起床どころか通勤までこなし、場合によっては仕事も始まる、夜勤じゃあるまいし、ということで論外のはずですね。


安ければ何をやっても許されるのか

2017-06-28 22:03:00 | 交通
成田空港で4月と6月の二度もイミグレ素通りで入国させてしまったバニラエアですが、直接はランプバスを運行する東空交のミスとは言え、他のキャリア、特に同じような環境にある他のLCCで発生していないのにバニラだけというのは、東空交だけの問題でないような気もします。

そう考えることを後押ししそうな事例がバニラで起きています。下半身不随で車椅子を利用している乗客が関空♂t・ヨを利用しようとしたところ、奄美空港では普通のタラップしかなく歩けないと利用できない、と案内されたが、同行者が対応するということで搭乗し、現地で降機したのに、復路便では同行者が介助することはまかりならんと制止され、腕の力だけで這い上がったという信じがたい対応を受けたというニュースが流れています。

確かに車椅子を担いでタラップを上がり降りというのは危険ですが、おんぶもダメとした対応は俄に信じがたく、責任問題を心配するのであれば、会社が責任を負うという前提で社員が対応するか、会社は免責されるという前提で同行者が対応する、という選択になるだけでしょう。
こういう対応を真顔でする、というか、そうとしか取れないルールを現場に周知している会社ですから、国際線の到着時の手順で東空交に適切な情報を流しているのか、疑いたくもなるのです。


(成田でのバニラエア)

それはさておき、今回のバニラの「事件」は、障害者に対する「虐待」も疑うべき事例です。にもかかわらず、こんな酷い事例でも事業者無謬で擁護するトンデモがいるわけですから呆れます。
車椅子利用を事前に通告していないのが悪い、クレーマーだ、というのですから恐れ入るわけで、車椅子での利用は通告が必要な特別なこと、と信じている段階で、「2020年」を迎える資格がないと言えます。

中には「非常事態の対応が難しいから事前に連絡しないのが悪い」と可能性を無限に広げて批判している向きもありますが、当のバニラがそんなことを理由にせず、単に奄美空港の施設問題だけを理由にしているのですから、何でそこまで忖度して事業者をかばい、被害者を貶めるのか、その情熱の源泉がどこからきているのでしょうね。

さて、バニラで車椅子利用の対応が出来ないのは奄美だけとのことですが、だったら奄美への参入は出来ないのです。バニラの奄美参入は現地に大きな経済効果をもたらした成功例として喧伝されていますが、だとしても「許されない」というべきです。
なぜ対応できないのか。要は専用の設備は世の中に存在しているわけで、実際、この「事件」後に導入していますが、それを導入するコストを惜しんだからです。安ければいいじゃん、という人もいるでしょうが、バリアフリー対応をしなければ安くなるから導入しません、というのは許されないのです。

10年以上前に、東横インがバリアフリー対応の部屋を勝手に潰していたことで大きな批判を浴びましたが、代替施設が容易に確保できる環境であっても、安価なサービス提供が理由であっても、バリアフリー対応を逃れる行為は許されない、という教訓を日本中が理解していると思ったのですが、どうも違うようです。しかもバリアフリー新法や障害者差別解消法の存在もご存じないような状態ですし。

どうも極端に履き違えているとしか言いようがないですね。LCCなら何をやっても許される、安さ大正義、と言う勘違いです。
通常なら世間の指弾を浴びて然るべき事態でも、「LCCなんだからそういうことも想定しないと」と甘やかしてきたツケでしょう。国ですら勘違いモードから目が覚めないようで、乗客が少なくて採算割れの時は運休可能にする、という検討をしているのはその典型。決められた区間を決められた日時に運行するのが公共交通であり、そんな「定期便ごっこ」が許されるのなら、ツアーバス規制は何だったのか。安全が担保されればそれ以外の「規制」は不要なのに、既存事業者を守るが如き規制がバスでは許されて、航空では何でもアリ。まあ既存事業者とすみ分けているから、ということが大きいのでしょうが。

安さを理由に消費者保護のレベルが低い、ということを踏まえると、LCCこそ野放図ではなく厳しい規制や監督下に置くべきでしょうね。ちなみに深夜になってもバニラのサイトに1行のお詫びも出ていないあたり、本音はネット上の擁護者とシンクロしているのでしょうね。