Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

九州場所千秋楽

2010-11-28 18:14:00 | ノンジャンル
夕方時間があったので千秋楽を見てしまいました(笑)

それにしても横綱と平幕の決定戦というのは編成を行う審判部の失態ですね。12日目の段階で審判部長の貴乃花親方が番付通りに組むとコメントしてましたが、まさに空気が読めないの典型。

さすがに14日目に魁皇と当てましたが、これも拙く、14日目に白鵬、千秋楽に魁皇と当てるのが定石です。それをしなかったから豊ノ島が優勝相星の次点という記録を残してしまいました。
本割で1勝及ばない次点と、相星の次点では価値が全然違うわけで、空気が読めない審判部長も困ったものです。そこまでして千秋楽結びの一番に据えた白鵬°ユ欧洲戦は解説の北の富士が嘆息するようなしょうもない一番でしたし。

だいたい、先に14番勝って悪くても決定戦というアドバンテージを与えてしまったわけで、それこそ一発勝負では豊ノ島の目もあったわけです。白鵬は「何でお前がここに」という感じがありありとしてましたが、顔が紅潮しており、言うほど盤石ではなかったと思います。

白鵬はさすが、というか、連勝が途切れてもこの面子ならそれくらい当然と言わざるを得ません。
終盤に魁皇、把瑠都を相次いで下しましたが、まあここまでは横綱と優勝を争う大関陣という「当たり前の光景」で、順当勝ちで優勝というところですし。

それよりも今場所の快挙というか怪挙は魁皇ですね。
星を買いまくったという陰口もありますが、12番も買う必要はないわけで、狂い咲きのような成績を花道に引退でもしない限り、必然性の無い星です(爆)

ただこの大関の分からないのは、他の数多の大関が引退間際になると如実に力が無くなるのに対し、魁皇に限っては右上手を取った時の底知れぬ実力。
なりふり構わずに右上手一本で勝負したら、あの怪力ですから三役レベルの実力は発揮できる。実際、恥も外聞もなく上手をつかんで引きずりまわしたり、取れなければ小手投げとか、これ一本で勝ってきたわけです。

特に全盛期は相手を壊しまくって破魁皇とまで言われた小手投げや極めをどうやら解禁したのか、今場所は繰り出してましたが、これがイメージチェンジとなってまだまだやる気なのか、それとも狂い咲きで終わるのか。

余談ですが、もし魁皇が優勝でもしていたら、来場所初場所は魁皇の綱取り場所です、となっていたのでしょうか。制度上はそうですが...

あとの力士はコメントを控えたいですね。
豊ノ島も賭博謹慎組ですし、白鵬も花札。脛に傷持つ同士の決定戦でしたし。
栃煌山も負け越しましたし、若手が全く伸びません。







大阪都構想の胡散臭さ

2010-11-28 17:41:00 | 時事
大阪府知事の「大阪都」構想ですが、先週民主党の岡田幹事長がかなり痛烈に批判しています。

批判の前段にある民主党の地方分権論もまた大概ですし例によって企画唐黷ナすが、批判はかなり正鵠を射ています。

「大阪市や堺市から権限を吸い上げ、府に持って行く印象を受ける」
堅物の岡田幹事長らしい直截的な物言いですが、端的言えば大阪府知事の構想はこれに尽きます。
前に神戸市の態度にブチ切れていましたが、要は府は政令市と同格が基本ということが我慢がならないわけです。そして税収が欲しいと。

大阪府知事として政令市を解体して大阪の権力を一手に集め、関西州と銘打って関西に君臨する。
非常に分かりやすい子供のような発想です。

これが地方分権に合致するかどうかといえば実は真逆の効果しか生まないわけです。
「東京一極集中」に対抗する地方分権と見せかけて、関西州の中で東京に代わって大阪が君臨することを狙っているにすぎません。

関西の基礎自治体にとって、「日本国」である以上首都東京と中央政府を無視できないところに、小姑のような「大阪」が君臨してきて、何かと介入してくるわけです。
実際、大阪府知事は兵庫がどうの、奈良がどうのと関西州構想への参加を巡って「介入」していますし、さらには四国や中国地方にまで関西州編入を仄めかして君臨できる範囲を広げようとしています。

要はサミット招致のように、こうした各地のメリットは「関西」として利用して、税収その他は大阪がおいしく頂く、という構造がバレバレといっていいでしょうし、拡大主義と合わせて下世話な詮索をすれば、「東京には負けへんで」といった東京への対抗意識を最悪の形で発露しているようにも感じます。

道州制を導入するのであれば、まずこうした野心があると成功しません。
野心家にとってのみメリットがあり、他にとっては屋上屋を架す制度に終わるからです。
神戸という「吸われる」側の住民だった立場から見ると、そうした懸念が色濃く出ている関西州と大阪都の議論は、単に大阪が自分本位の皮算用をしているようにしか見えないのです。



廃線の危機

2010-11-27 01:30:00 | 交通
神鉄粟生線の存廃問題がいよいよ正念場を迎えました。
活性化協議会を設置し、「地域公共交通総合連携計画」に対して国からその取り組みに対しての補助を受けるというスキームでしたが、なんと事業仕分けにおいて地方公共交通への支援全般を必要最低限に絞るべきということになり、2012年までの予定だった事業を2011年で予算措置を打ち切ることになりました。

このため2011年度中に存廃を決めなければならないという剣が峰に立たされたわけです。
そのニュースの後、新開地で神鉄を見てみたんですが、2月に決まったばかりの活性化キャラクターのャXターが虚しいです。



沿線の小野市の小学生、高校生が作成したキャラクターですが、なんかゆるキャラとも言い難く、線が細く、まさに苦境にあえぐ粟生線を体現化した感じというか、酷な言い方ですが幸薄そうなイメージが漂っています。

粟生線の苦境はモータリゼーションの進行と神姫バスの攻勢ですが、よく聞く意見に神姫バスがケシカランというものがあります。
美味しいところだけ取っていって、ということですが、利用者の立場からすれば価格、本数、快適性、時間と総てに勝る神姫バスを「規制」したとして、では神鉄を使えと言われて素直に受け入れられるかどうか。



はっきり言ってしまえばボロくて遅くて高い電車と蔑まされて続けていましたが、ではそれを打破しようとする姿勢があったかというと甚だ怪しいわけです。



粟生線内ではろくに通過駅もない運転形態、一時期は鈴蘭台乗り換えもありました。活性化協議会が出来て押部谷まで通過運転となる快速が出来ましたが、それまでは木幡まで通過運転の急行が少々。大半は鈴蘭台以南で丸山、鵯越だけを通過する準急か普通です。
車両は6000系という新車は入りましたが、昭和後期のテイストの車両が未だ中軸です。



いろいろ言い分はあるでしょうが、乗客目線で見れば改善が全くない状態を無為に継続したことで、破局の淵に立たされたと言えます。



民意の偽造

2010-11-27 00:36:00 | 時事
名古屋市長が主導する名古屋市議会のリコール運動ですが、まさかの結果になりました。

なにせ集めた署名の1/4が無効というわけで、必要署名数割れになったそうですが、抜き取り調査だけで900件以上の名板借りというか架空署名が見つかったわけです。
本来ならこの時点でも全数に対して0.5%の不正票の混入という話にならない事態であり、全体を無効判定して然るべき数字と言えますが、念のため調査票を発送して確認したそうです。

その結果の無効判定が全体の1/4です。話になりません。
受任者欄が空白の署名が大半ということは、10人の請求代表者が自ら対面で署名を集めたことになるはずですが、調査票での回答は受任者相手に署名したとか、回覧板で回って来た(法定要件の対面ではない)といった「正直な」回答が続出したそうです。

奇怪なのはこれに対しては署名者が「いやいや間違ってました」と申し立てれば覆るので、リコール支持者が、当該署名者に対し申し立てするように依頼しているという記事も出ていたこと。
署名の効力にかかわることを一方当事者の「圧力」で変更できるっていったいどういうことなんでしょうか。まさか個別調査で確認するとは思っていなかったから「正直に答える」ことを阻止できなかったということでしょうに、それをいまさら修正するほうがおかしいです。

署名集め自体は選管が関与することもないのですが、その数字がリコール投票実施という重要な結果に直結するため、事後に厳しくチェックをするのは当然です。そう考えるとあの阿久根市で総務課の首を挿げ替えようとしたやり口は狡賢であり、正面突破が不可能なら搦め手からという発想を誰がしているのか。法や制度の抜け道を嗅ぎつけるやり方は、正義とは程遠いものです。

名古屋の場合は、とにもかくにも法治国家におけるコンプライアンス意識の欠如といえます。
手続き、様式にしても規則は規則であり、それを守らないで自分たちの意見だけ通ると思ったら大間違いです。
今回は手続きの不備どころか架空署名まであり、まさに目的のためには手段を選ばないというアウトロー的発想といえるわけで、税金を使って調査票で確認する必要すらなかった事案です。

名古屋市長が今回の結果に対し、民主主義の恐るべき危機だ、などと言っていますが、架空署名に代表される「民意の偽造」のほうが悪質極まりない民主主義への冒涜と言えます。

市長支持者は気付いているのか、それとも本当に知らないのか、本件は本来、請求代表者を事情聴取すべき事案です。この手の偽造は罰則の対象となるからです。
それくらい重いことをしておいて、民主主義を語って欲しくありません。








罪と罰

2010-11-23 23:55:00 | ノンジャンル
先日の裁判員裁判での死刑事案についてメディアどころか裁判所まで死刑回避の誘導をしていると批判しましたが、そもそもこうした裁判において死刑回避の言い訳として聞こえてくるのが「更生可能性」です。

犯した罪に見合う刑罰を受けるという応報刑の発想に対し、どうやったら社会に復帰させられるかという教育刑の発想がありますが、前者が前近代的で後者が近代的というのが学界や実務者を含む「業界」の「通説」のようです。

ですから被告の反省などを重視し、更生可能性があれば懲役刑を通じた矯正による社会復帰を図るということを重視しているのですが、被害者、特に殺人事件における遺族感情として、人の命が奪われたのになぜ被告の事情ばかり考慮するのか、という批判が根強いです。

確かに教育刑の発想は社会全体を考える法制度としては優れているかもしれませんが、犯した罪の重さに応じた報いを受けるという概念というのはこれも法制度の根幹のはずです。
あまりにも被告の事情に立ち入り過ぎた斟酌は逆に公平を欠くものであり、そのバランスが崩れているからこそ批判が強まっているのではないでしょうか。

はっきり言ってしまえば、司法関係者は「犯人」の可能性を過大に評価し過ぎているのです。
更生するかもしれない、という「期待」を犯した罪という「現実」と天秤にかけてしまっている。そこには更生しなかった時のアンバランスへの対応はなく、結果として犯罪のやり得となってしまっています。

人間は司法関係者が思うほど善人ではないのです。子供ですら法のアンバランスを見抜き、法を犯してもそれによる処罰が軽ければ安易に法を犯そうとします。端的なのは「少年法があるから」とうそぶく虞犯少年の類でしょう。教育刑の発想に貫かれた大甘の処罰が見透かされているわけです。

交通の世界で言うと道交法もそうでしょう。先日の新聞に自転車の無謀運転や死亡事故の問題が出ていましたが、自動車のような交通取り締まりが事実上ないことでやりたい放題になっている面は否定できません。また歩行者も無謀横断など明らかに交通事故を惹起している行動が少なくないのですが、いったん交通事故になれば責任の相当部分が自動車に負わされることを熟知しているが故の行動とも言えます。実際、「歩行者が優先なんだから」と手前勝手な理屈で行動している人はごまんといます。

こうしたうすら甘い処罰が招いているのが犯罪への敷居を下げているということ。
刑罰に期待される機能の一つに犯罪抑止力がありますが、刑罰のアンバランスによる「やり得」の露呈は犯罪抑止力を大きく損ないます。

「近代」を強調する人々は否定したがりますが、厳格な摘発と刑罰による犯罪抑止力というのは確実に存在します。犯罪者の更生も確かに重要ですが、まず犯罪が起きない社会づくりが必要です。何でもありの戦国末期、「一銭斬り」の厳罰で民心を把握した信長の例や、十両盗めば首が飛ぶ、と人口に膾炙した江戸時代の体制はそうした社会づくりに有効であるという証左でしょう。

それが前近代の例という人には、海外旅行者に対する「警告」で、安易に見知らぬ人から荷物を預からないでください、という麻薬密売の片棒担ぎ防止なんかはどうでしょう。
これも比較的甘い日本と違い、いかなる事情があっても死刑を含む重罪で臨むアジア各国の例を挙げて警告するその姿勢は、まさに厳罰による犯罪抑止効果を狙っており、それで実効性を挙げているということです。

刑罰は被害者による自己救済権を取り上げることと引き換えに国家が課すものですが、そこに罪と罰のアンバランスがあったら、公平というものに程遠いことになります。現状は教育刑としての側面を重視するあまり、法の根幹として求められる公平というものが損なわれているのではないのでしょうか。