5月号が出て久しいですが、4月号です。
特集は国鉄型車両の力走、と、どこの煽り雑誌か、というテーマで、成美堂になって営業を強化したがゆえという印象も受けますね。
ただ、慣れない?ことをしたせいか、若干「旬」の時期を逸しているわけで、「最後の輝き」の時期にはもう遅く、いよいよ終焉、という時にはちょっと早いです。
というわけで巻頭が485系改造の183系800番台の北近畿方面特急という地味なテーマ。ただ種々雑多なタネ車の掘り起こしもあり、飽きさせない工夫はあります。長大編成だがグリーン車の位置が「特別急行」の伝統で編成端部に寄っていた東北特急時代の要請で普通車の乗務員室を置いた中間車600番台の話は今では知らない人も多いでしょうし、その設備が今も活かされているというのもちょっといい話です。
(貫通路付200番台からの改造車。貫通路は埋めたけど愛称表示は原寸のまま。2006年、城崎温泉)
しかしモノ持ちがいいJRWとはいえ、あからさまにやっつけ仕事の183系800番台を結局26年半も使い唐キとは思いませんでした。381系を30年以上使っている紀勢線や伯備線のように外観や塗装を含めて手を入れているわけでもなく、2011年に「こうのとり」になるまでは愛称も地味でした。一時期「しらさぎ」から転じた編成が併結運用についていた頃がピークでしたが、最後は登場時のような使われ方に戻っています。そして287系に置き換え、じゃなく、それを日根野に投入して浮いた381系で置き換え、という国鉄チックな手法というのも、数奇な運命をたどった国鉄型車両にふさわしいでしょう。
(瀬戸内色、非ユニット窓がまだ元気に)
そして遂に新車投入がアナウンスされた広島地区と、岡山、下関の115系、113系。こちらは奇しくも旬の話題になりました。塗装変更のほか、アコモの改造、外観の改造などの有無で、ニュータイプ、偽タイプ、嘘タイプなどと酷評されていますが、どれも「末期色」になるとその見分けもつきません。
(中身はこんな魔改造)
中には「カフェオレ」タイプになる前の旧塗装もありますが、岡山のそれは原型セミクロスとはいえ300番台ですから見た目はしっかりしています。ところが下関のそれは「素晴らしく」、原型を良く保っているというか、分散式クーラー付きとかバケットタイプの車内とか、魔改造の度合いがすごいです。岡山と下関の117系を無視して、さらに言えば国鉄型ということでは103系、105系や213系もありますが無視して、改造履歴の羅列だけで6ページ充ててもまだ足りない勢いですが、新車投入を控え、ある意味貴重な記録です。
(昨年7月にようやく退役した折り畳み前提の乗務員室仕切りを保つ車両)
続く信越線も千葉支社からの211系転入で大きく変わります。「撮り鉄」を巡る騒動で妙な格好で有名になったしなの鉄道の169系ですが、保安装置に関する省令改正によりJR線への直通が出来なくなり、そのまま線内閉じ込めから引退です。
ここは211系に押し出された115系を導入するということで、169系への改造を見送ったそうですが、相対的には新しいとはいえ、有料列車にも充当されるというのに原型をとどめる115系というのも、台所事情がそうさせたとはいえやりきれないです。クロスよりロング、日常利用が大事、という「社会派」の大合唱が聞こえてきそうですが、時間はおろか料金面でも互角の新幹線が相手ですから、日常利用こそ差別化も必要でしょうに。
(千葉から退役した211系)
「北しなの線」区間についても言及されていますが、新幹線開業時に用意された「妙高」も縮小が進み、「JR SKI SKI」からも見捨てられた格好という現状は厳しいです。
(快速でもなく「普通」)
会社が変わり、運賃体系も変わることで、新幹線から直通バス、という商品形態になるのは必至ですし、県境区間で日常利用は少なめ、冬場の豪雪は半端ない、というなかでどう将来像を描くのか。佐久平と小諸の関係が例示されていましたが、特急が各駅停車のように止まっていた在来線時代から、新幹線駅にクルマで横づけ、という利用形態へのシフトが鮮明になる中、並行在来線の存在意義というものを見直すべきだったかもしれません。
(見た目は往年の「あさま」)
特集関連でしょう、183系、189系の記事もありますが、183系1000番台の投入にあたり、「あまぎ」への投入は1000番台がスタンダードになっていたから、という説明ですが、汎用車である183系は幕張区所属の初期車ですら「あずさ」で大糸線に乗り入れていましたし、冬季は「新雪」で石打まで行っていました。
(1981年頃。8時ちょうどの...は大糸線延長もあり幕張区の9連)
(1981年頃。スキー臨の定番「新雪」も幕張区)
田町区の183系は「あまぎ」と「白根」に運用されており、「新雪」を視野に入れると1000番台が妥当です。
(1981年頃。田町区の「あまぎ」)
(1981年頃。TS-M-Mを抜くと「白根」に)
あとは駆け足(苦笑)
ロンドン地下鉄の記事ですが、やるからにはとことんやる英国人気質というか、地下鉄にSLを「復活」するとはさすがです。ただ、1995年に訪英した時には駅での撮影禁止と書かれていましたが(まあ観光客のスナップ程度は散見されて黙認状態でしたので撮りましたが)、今回はさすがに「公認」なんでしょうね。ドイツあたりだと禁止しそうですが...
(1995年の「チューブ」)
島原鉄道「南目線」跡のルモヘ、廃止からもう5年という想いとまだ5年なのか、という想いが交錯します。
ただ、地元の意識にもあるように、普賢岳噴火がなかったにしても遅かれ早かれ廃止問題が浮上していたわけで、バス輸送への一本化による公共交通の維持、と考えれば、島原以北と共唐黷フようになって消える可能性も否定できなかっただけに、まだマシだったのかもしれません。
特集は国鉄型車両の力走、と、どこの煽り雑誌か、というテーマで、成美堂になって営業を強化したがゆえという印象も受けますね。
ただ、慣れない?ことをしたせいか、若干「旬」の時期を逸しているわけで、「最後の輝き」の時期にはもう遅く、いよいよ終焉、という時にはちょっと早いです。
というわけで巻頭が485系改造の183系800番台の北近畿方面特急という地味なテーマ。ただ種々雑多なタネ車の掘り起こしもあり、飽きさせない工夫はあります。長大編成だがグリーン車の位置が「特別急行」の伝統で編成端部に寄っていた東北特急時代の要請で普通車の乗務員室を置いた中間車600番台の話は今では知らない人も多いでしょうし、その設備が今も活かされているというのもちょっといい話です。
(貫通路付200番台からの改造車。貫通路は埋めたけど愛称表示は原寸のまま。2006年、城崎温泉)
しかしモノ持ちがいいJRWとはいえ、あからさまにやっつけ仕事の183系800番台を結局26年半も使い唐キとは思いませんでした。381系を30年以上使っている紀勢線や伯備線のように外観や塗装を含めて手を入れているわけでもなく、2011年に「こうのとり」になるまでは愛称も地味でした。一時期「しらさぎ」から転じた編成が併結運用についていた頃がピークでしたが、最後は登場時のような使われ方に戻っています。そして287系に置き換え、じゃなく、それを日根野に投入して浮いた381系で置き換え、という国鉄チックな手法というのも、数奇な運命をたどった国鉄型車両にふさわしいでしょう。
(瀬戸内色、非ユニット窓がまだ元気に)
そして遂に新車投入がアナウンスされた広島地区と、岡山、下関の115系、113系。こちらは奇しくも旬の話題になりました。塗装変更のほか、アコモの改造、外観の改造などの有無で、ニュータイプ、偽タイプ、嘘タイプなどと酷評されていますが、どれも「末期色」になるとその見分けもつきません。
(中身はこんな魔改造)
中には「カフェオレ」タイプになる前の旧塗装もありますが、岡山のそれは原型セミクロスとはいえ300番台ですから見た目はしっかりしています。ところが下関のそれは「素晴らしく」、原型を良く保っているというか、分散式クーラー付きとかバケットタイプの車内とか、魔改造の度合いがすごいです。岡山と下関の117系を無視して、さらに言えば国鉄型ということでは103系、105系や213系もありますが無視して、改造履歴の羅列だけで6ページ充ててもまだ足りない勢いですが、新車投入を控え、ある意味貴重な記録です。
(昨年7月にようやく退役した折り畳み前提の乗務員室仕切りを保つ車両)
続く信越線も千葉支社からの211系転入で大きく変わります。「撮り鉄」を巡る騒動で妙な格好で有名になったしなの鉄道の169系ですが、保安装置に関する省令改正によりJR線への直通が出来なくなり、そのまま線内閉じ込めから引退です。
ここは211系に押し出された115系を導入するということで、169系への改造を見送ったそうですが、相対的には新しいとはいえ、有料列車にも充当されるというのに原型をとどめる115系というのも、台所事情がそうさせたとはいえやりきれないです。クロスよりロング、日常利用が大事、という「社会派」の大合唱が聞こえてきそうですが、時間はおろか料金面でも互角の新幹線が相手ですから、日常利用こそ差別化も必要でしょうに。
(千葉から退役した211系)
「北しなの線」区間についても言及されていますが、新幹線開業時に用意された「妙高」も縮小が進み、「JR SKI SKI」からも見捨てられた格好という現状は厳しいです。
(快速でもなく「普通」)
会社が変わり、運賃体系も変わることで、新幹線から直通バス、という商品形態になるのは必至ですし、県境区間で日常利用は少なめ、冬場の豪雪は半端ない、というなかでどう将来像を描くのか。佐久平と小諸の関係が例示されていましたが、特急が各駅停車のように止まっていた在来線時代から、新幹線駅にクルマで横づけ、という利用形態へのシフトが鮮明になる中、並行在来線の存在意義というものを見直すべきだったかもしれません。
(見た目は往年の「あさま」)
特集関連でしょう、183系、189系の記事もありますが、183系1000番台の投入にあたり、「あまぎ」への投入は1000番台がスタンダードになっていたから、という説明ですが、汎用車である183系は幕張区所属の初期車ですら「あずさ」で大糸線に乗り入れていましたし、冬季は「新雪」で石打まで行っていました。
(1981年頃。8時ちょうどの...は大糸線延長もあり幕張区の9連)
(1981年頃。スキー臨の定番「新雪」も幕張区)
田町区の183系は「あまぎ」と「白根」に運用されており、「新雪」を視野に入れると1000番台が妥当です。
(1981年頃。田町区の「あまぎ」)
(1981年頃。TS-M-Mを抜くと「白根」に)
あとは駆け足(苦笑)
ロンドン地下鉄の記事ですが、やるからにはとことんやる英国人気質というか、地下鉄にSLを「復活」するとはさすがです。ただ、1995年に訪英した時には駅での撮影禁止と書かれていましたが(まあ観光客のスナップ程度は散見されて黙認状態でしたので撮りましたが)、今回はさすがに「公認」なんでしょうね。ドイツあたりだと禁止しそうですが...
(1995年の「チューブ」)
島原鉄道「南目線」跡のルモヘ、廃止からもう5年という想いとまだ5年なのか、という想いが交錯します。
ただ、地元の意識にもあるように、普賢岳噴火がなかったにしても遅かれ早かれ廃止問題が浮上していたわけで、バス輸送への一本化による公共交通の維持、と考えれば、島原以北と共唐黷フようになって消える可能性も否定できなかっただけに、まだマシだったのかもしれません。