Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

契約社会の歩き方

2009-01-31 23:08:43 | ノンジャンル
日本人が苦手と言われるものがあれこれ言われますが、その中の一つに「契約」があります。
気がつかないことが多いですが、我々の日常の行動のいたるところで契約が発生し、その履行をしたり、受けたりしているわけです。

買い物、サービスの提供などあらゆることは契約であり、その条件の提示、また決定も契約で仕切られているのです。ですから「なぜこういう取引になるのだろう」ということも、契約書、もしくは契約の前提として提示してある約款を見れば、実はその通り規定してあるわけです。

例えば昨今話題になっている「派遣切り」の問題にしても、例外はありますが、契約期間が満了したらそこで終了するという条件であり、特約がない限り継続する義務は実はないわけで、「そういう条件で契約したんだろ」と冷たく突き放されたら法律上は何も言えないことが多いのです。
そしてそういった契約は、公が私人間の行為にあれこれ介入しないという契約自由の原則(私的自治)の前提から、業法その他の法令に違反しない限り、当事者が合意している限り有効なのです。

実際に日常生活の中で目にするいろいろな契約書を見てみると、実はとんでもない条件が平気で書いてあることもあるわけで、もちろんそれが適用される事態は極めてイレギュラーな時がほとんどとはいえ、万が一実際にそれに当たったら目も当てられないことになるわけですが、現実はそこまであまり確認していなくて、いざと言う時に泡を食うことがほとんどです。
仕事で契約条件のチェックをするときには、そのような不利な条件に対しては目を皿のようにしてチェックするわりに、日常では案外と無頓着と言うことも多いです。

そうしたサブマリン的な条項のほか、契約条件の変更も案外無頓着です。
仕事だと単価の銭単位、原単位の小数第×位の数字にもこだわって交渉するのは当然なのに、契約条件の変更である約款の見直しによる値上げや条件の悪化にこだわらないことが多いわけです。

大したことはない、その程度の瑣末な改訂にこだわる必要はない、というのでしょうが、そうした「契約条件」の変更を提示する企業が、では企業間取引で仕入れ条件などを一方的に悪くさせられたらそれがいかに些少であってもすんなり受け入れることなどあり得ないわけです。
ですから変更を提示する側がいかにもっともらしい理由を述べても、提示を受けた側が望んでいない、納得していない以上は、受け入れる義理も謂れもないのです。

本来こうした契約条件に関してはもっと注意する、そして条件の変更に対してもこだわるべきであり、そうすることによって「騙された」と後で悔やむようなことの大半は回避できるものなのです。
もちろんそもそも我が国においては、生き馬の目を抜く、と言う言葉はありますが、基本的には「誠意誠実」であるという信頼がベースにあるからこそ、そういう細かい部分にこだわらない国民性が出来上がったとも言えます。

法人間ですら信義誠実条項、とでも言うのでしょうか、契約の条件は基本的な部分にとどめ、契約で規定がない場合はお互い誠意をもって協議して解決する、という条項を入れるケースがほとんどでした。
しかし、その原則が崩れた言える現在、法人はもちろん個人もまた生活のあらゆる局面で避けることができない「契約」を意識し、その条件に対する感性を磨かざるを得ません。

そして、自分の権利、利害に直結する契約条件の決定、合意の重要性について、意識を高めることを促すことはあっても、軽視したり、こだわるべきでない、ということは、足元の社会における消費者保護の観点において望ましくないと言えます。

もちろんそんなギスギスした社会は御免蒙りたいのですが、嫌であってもそうなってしまっている以上、対応しないといけないのです。










ぬるま湯体質

2009-01-31 22:30:56 | ノンジャンル
ぬるま湯の中で鼻歌を歌っていたら冷や水と言ったところでしょうか。

初場所を強行出場するということで、これでようやく朝青龍を引退に追い込めると思っていたら、よもやの優勝、しかも文句のつけようがない成績とあってフラストレーションがたまっていただけに、あのガッツメ[ズを鬼の首でも取ったようにケチをつけて、重大な不祥事のように騒ぎ立てて溜飲を下げていた矢先の若麒麟の逮捕です。

角界に山積する問題が本質的には何も解決していないというのに、その問題から逃避して朝青龍叩きに明け暮れていたツケが出たわけです。
角界や一部の好角家、マスコミにとって何とも居心地の良かった朝青龍叩きと言うステージ。その陰で大麻問題、さらには時津風部屋のリンチ殺人問題と、対症療法に終始して本質的にはなにも片付いていないのが現実です。

朝青龍がバッシングに耐えて久々の優勝をもぎ取った素直な喜びの発露がなにか問題なのでしょうか。大麻問題やリンチ殺人のような法律に触れる重大問題とは比較にもならないのです。そして法令違反、虞犯行為に対する真摯な反省と再発防止の取り組みこそが、朝青龍叩きにうつつを抜かす間があったら石にかじりついても実行しないといけないことだったのに、今回のこのざまです。

そもそも昨秋の全関取への「抜き打ち」テストの際に「再試験」を繰り返してようやく陰性になったのがこの若麒麟です。要注意、要観察としておけばまだ今回の無様にはならなかったかもしれないのに、これも朝青龍叩きと根が一緒とも言えるのですが、「不良外国人力士」が排除できたからそれでよし、といわんばかりの一過性の対応で済ませたからこそ、こういう事態になったと言えます。

協会はもちろん、横審、さらには時津風問題がテーマのはずが朝青龍叩きに精を出す委員を抱える再発防止委員会と、「不法行為」から事実上目をそむけてきたという点において、揃いも揃って管理監督責任を厳しく問われる事態です。

今朝のNHKニュースでデーモン小暮閣下がコメントしたように春場所の短縮、いや、春場所を中止して襟を正して出直すべきでしょう。

やはり朝青龍

2009-01-25 22:42:17 | ノンジャンル
朝青龍が優勝しました。

場所前の横審総見で白鵬に惨敗したうえに怪我を押しての強行出場と言うことで「カウントダウン」的なムードが漂っていましたが、蓋を開けてみると最初こそバタバタだった相撲内容も日ごとに調子を上げており、終わってみれば本割で白鵬に敗れたものの、決定戦では盤石の相撲で寄り切ったわけで、まだまだ朝青龍、いや、まだまだ第一人者と言う感じです。




面白かったのは前半戦は「いつ負けが込んで引退するか」と高見の見物だったメディアが、終盤戦に入ると「こんなはずじゃ」といつものバッシングモードに戻ったこと。とはいえ時すでに遅しで、まさに引かれ者の小唄を地で行ってましたが、見方を変えればひじの故障や体力の衰えと言った格闘家の本分としての衰えに期待できないと分かった瞬間に、以前やって効果があった精神的に追い詰める陰湿な手法をまたぞろ繰り出してきたといえます。

ひじの故障を抱えての出場というのに、本割で敗れたとはいえ結果として当たった全員から白星を挙げての優勝には文句のつけようがなく、これ以上横綱に何を求めるのか。所作に対するネチネチとした小姑のような批判など論外です。

メディアは白鵬を持ち上げてましたが、なんですか、3場所朝青龍不在の場所を守ったとか歯の浮くような褒め方は。朝青龍は3年以上にわたり一人横綱だったわけで、まさにご都合主義です。

まあそれにしても両横綱の楽日決戦となったのも大関陣が不甲斐無さすぎるからです。
魁皇はなんとかカド番を脱出して特急「かいおう」ともども守りましたが、黒星を並べて休場した琴光喜に、勝ち越すのがやっとの千代大海に琴欧洲。さらには新大関でいきなりの4連敗など昇進させたこと自体を疑いたくなる日馬富士と、五大関もそろえて何をやってるのかと言うところです。

特に14日目の日馬富士と琴欧洲の取り組みはひどすぎます。すでに勝ち越しを決めた琴欧洲のやる気のない取り口に日馬富士があっさり勝って勝ち越しと、俗に言う大関互助会いしてもあからさますぎます。
なにせ当日のNHKラジオの中継で、アナと解説が言葉を選びながらもかなり直接的に「ガチンコでない」と言う趣獅フ発言をするという異例の展開でしたから。これまで「公共放送」の解説で「うがった見方をされても仕方がない」などとアナが言うなんて例がないはずです。

ちょっと寂しい初詣

2009-01-25 01:40:10 | ノンジャンル
習志野原の掲示板にも書きましたが、成田山に初詣に行ってきました。
小雪舞う寒い1日でしたが、境内の霊光館で開催中の「成田山と京成」の展示も楽しみ、いつもの鰻屋で鰻を賞味して家路につきました。

で、肝心な初詣ですが、今年はちょっと新年からもやもやが(苦笑)
せこい話を言うと罰あたりなと言われそうですが、護摩札の値上げ。
81年以来据え置いていたのを昨年6月、27年ぶりに値上げをしたのは知ってましたが、実際に値上げ後に護摩札を受けるのは今回が初めてです。


3000円の初穂料がなくなり、5000円からとなったのですが、問題はその上です。もともと最低ランクと言うのも、と思って5000円の初穂料としていたのに、今回5000円の初穂料に据え置いたところ、やはりというか護摩札は去年まで3000円だったものでした。

木札は比例して小さくなるだけなんですが、問題は小型札。交通安全は車内安置用の小型札がデフォルトなんですが、木札と違い、小型札は旧3000円と旧5000円では造作もデザインも全く違うということ。
今のクルマで3代目ですが、20年近く続けているお札が今年初めて違うデザインと言うのも何か引っかかるわけです。

値上げなんだから、と言われそうですが、旧5000円の場合、このランクの護摩札は1万円になっているのです。旧3000円の値上げと比べるとこれはちょっと厳しいわけで、2倍、5000円の値上げと言われますと、いかに相手は霊験新たかな御不動様といえども、ちょっとぼやきたくなります。

ほんの2、3年くらい前までは5000円の初穂料で護摩法要の時に信徒願主の名前読み上げに入れていただいていたのに(縁起の読み上げの時に「何某殿~」と呼ばれる)、去年一昨年は呼ばれなくなり、今年は、となったわけです。

志納にとやかく言うのも野暮ですし、罰あたりなんでしょうが、ちょっと風変りな「諸願」ということで失礼ながら御不動様にぼやいてみました。



ジャーナル2月号

2009-01-21 00:48:06 | 書評
もう3月号が出てますが、遅ればせながら先月号の寸評をしてみましょう。

2月号と言うと昔から地味な特集が比較的多いのですが、今回もジャーナル得意の地方ネタでした。
と言うか昨今の様子からすると「得意だった」と言われかねないのですが、2月号は比較的良かったというか、珍しく読み応えがあったというのが率直な感想です。

取り上げた地域も盛岡近郊北部を中心としたIGR、常磐線水戸≠「わき間、静岡近郊とあまり取り上げられないエリアで、掘り下げや分析の程度はあれど、まずその紹介があったと言うだけでも興味を引くものがあります。

強いて言えばやはり掘り下げが弱く、特にIGRは地域医療ラインへの着目や、連携するタクシーへの言及は良いのですが、盛岡近郊で試行錯誤が続く路線バスの取り組みなどへの言及があれば「地域の公共交通」としての位置づけや共闘が入り、深みが増したのに惜しまれます。

気になったというか残念なのは「電車まんだら」の終了。昔の「RJメカニズム」ほどはくだけてませんが、技術を平易に解説してくれる好企画だったのですが、24回は一区切りとはいえ、最近の誌面では異色だっただけに惜しいです。

そしてここ数年来で最大のチョンボもありました。
ブラジルの都市鉄道の記事で、筆者が移動中に目を通そうとしていた本が石川達三の「蒼氓」とありましたが、そこになんと「そうみん」とルビが。
もちろん「そうぼう」であり、第1回の芥川賞受賞作のタイトルすら知らないというのは編集者として致命的と言えます。

記事の筆者がわざわざルビを打つとも思えず、これは完全に校正ミスとしか思えませんが、編集者の問題もさることながら、筆者に対して筆者が物を知らないと勘違いされかねないという意味で非常に失礼なミスです。今日発売の3月号でも2月号の訂正の中に入っておらず、どういうことでしょうか。

かつて駐≡O編集長は漢字の読み一つにも広辞苑に依拠するなど厳格さがあり、漢字そのものも「坐る」「独擅場」というように誤用が転じた別字ではない本来の表現を誌面でも使うなど、意固地ではありますが編集者としてのャ潟Vーを感じたものですが、今回のこれをどう見ているのでしょうか。

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ついでにタビテツ終刊号ですが、結局立ち読みだけ。

予告しての終刊と言いながら、終刊号らしからぬ構成。連載記事も続くのかいな、と思わせるような書きぶりで、原稿をかなり集めてから急遽休刊を決めたような感があるのが痛々しいです。

比較するように思い出すのが1981年、キネマ旬報社から出ていた「蒸気機関車」の終刊。
増ページで最終号を彩るべくの企画をしていると当時ジャーナルに載っていた広告から窺えます。
それと比べると、タビテツはタイトルこそ「線路はつづく」ですが、中身が「普段通り」に近く、長い歴史がある雑誌の休刊として、もうすこしやりようがあったのでは、と思いました。