Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

勝てば官軍のお為ごかし

2018-06-29 21:51:00 | ノンジャンル
W杯で日本代表は薄氷を踏むような決勝T進出を決めましたが、勝ち点が並んだ時の判断基準として存在する条件のうち、得失点差、得点数、直接対決の勝敗までが並んでしまい、イエローカード、レッドカードの枚数でようやく交わしており、あとは抽選という状況ですが、単純な順位決定にとどまらないグループリーグ通過でこれは先例があるのでしょうか。初の事態という説もありますし。
まあイエローカードの枚数差が2なのでそこまで揉めませんでしたが、1だったりすると審判のクセが重大な要因になるわけで、審判の「品質」がそこまで平準化されていない状態で判断材料とするのは微妙です。

もともと引き分け以上で進出という楽観的な状況だったのが、唯一あり得る敗退パターンである「1勝1敗1分」に魅入られたように吸い込まれてしまったのがケチのつけ初めです。日本が負ければコロンビア、セネガル両国は引き分ければ仲良く進出となるため頑張る必要がない。案外あり得るパターンでした。
それがコロンビアがリードとなり、セネガルとの順位争奪戦はイエローカードの数で優位、となったことで、「無気力試合」になったわけで、状況の変化を総合的に判断しての戦略というつもりなんでしょう。

あの無気力試合を批判したら「サッカー通」から雨あられのように「決勝T進出のためには・・・」と返ってくるのでしょうが、結局それは「サッカー」という「ゲーム」の論理であり、「スメ[ツ」の論理とは到底言えないと申し上げましょう。

勝つためには手段を選ばなくても「勝てば官軍」というのでしょうが、戦略的に正しくても「敗退行為」がスメ[ツとしてあり得るのかというとそうでないわけで、サッカーという特異なジャンルだけで正当化される行動は絶対的に胸を張れる行為ではないですし、これまで狽チてきた信頼などを失った瞬間と言えます。

そもそも日本が2位に滑り込んだ決め手が「フェアプレーャCント」というのが壮大な茶番です。
イエローカードやレッドカードよりも、「敗退行為」は最大のアンフェアでしょう。引き分け狙いならまだ一分の理がありますが、勝ちに行かずに負けで良しとした日本に「フェア」とはなんという皮肉か。
ロンドン五輪で女子サッカーが引き分け狙いでバッシングを受けていましたが、無気力試合で没収試合があったバドミントン然り、攻めないと「指導」を喰らう柔道然りで、そもそも「スメ[ツ」は勝ちに行かない行為を容認していないのが通常であり、サッカーの論理はスメ[ツの非常識ともいえます。

「守り」に入らずに総てを失ったのがあの「ドーハの悲劇」という声もありますが、1点リードを守るというのは立派な「勝ちを目指す行為」であり、1点差で負けていてるのに点を取りに行かない今回とは似て非なるものです。
勝つためには手段を選ばないのが当然、としないのが日本の甘さ、という人もいるようですが、サッカー以外ではそれが大きく批判を浴びるわけで、先日も米国のゴルフでグリーンを転がり出るくらいなら罰打を払ってでも、と動いているボールに対して「返しのパット」を打った選手がバッシングを受けてましたよね。ルール上は可能でも本当にやることが正しいのか。世界は常識で動いています。サッカーを除いては。

ちなみに我が国には「スメ[ツ庁」なる行政庁がありますが、スメ[ツ基本法なる法律には、

「スメ[ツは、世界共通の人類の文化である。」
「スメ[ツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。」
「スメ[ツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を狽「、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。」

という基本原則が記されています。
で、「敗退行為」を是とするゲームが上記のように定義されるスメ[ツ足り得るのか。国や公共によるサッカーへの肩入れは相当なものがありますが、次代を担う青少年に「勝てば官軍」の精神を涵養すべきなのか、ぜひ長官にコメントしてほしいものですね。

おりしも決勝T進出に舞い上がった報道が国営放送、民放問わず垂れ流されるなか、「重要法案」の成立がベタ記事のように報じられていましたが、あれだけ問題ガー、と批判していたのにW杯が始まると批判のヒの字もないわけです。「もり」「かけ」然りであり、いわゆる「3S政策」を地で行くような展開です。
そしてやるべき報道をしないで舞い上がった報道を繰り広げるメディアは、今回の試合展開の弁明、正当化に懸命ですが、これが「バブル崩壊」になるのか、あるいは「3S」に溺れたままになるのか。

もともとこの手の「時間稼ぎ」にわざとらしくひっくり返って反則をアピールするとか、フェアプレーと対極にある印象がその昔のサッカーには付きまとっていました。後者はさすがに反則行為となって消えていきましたが、今回の「勝てば官軍」はそういう時代の記憶を呼び覚ますものです。



失敗と騒ぎ立てるが

2018-06-29 21:35:00 | 交通
佐賀県上峰町の「核」として位置付けていたイオンのSCが撤退してさあ大変、というネットの記事を受けて、大規模SCを軸にした「まちづくり」はやはり論外、とコンパクトシティ論者が吹き上がっていますが、そもそもイオンSC(当初はマイカル)を軸にした「まちづくり」がコンパクトシティの概念をもつものだったわけで、集約のリスクという方が妥当です。

じゃあどういうコンパクトシティにすればよかったのか。
基本的に東西方向の交通となっているエリアに、南北に細長い町域。長崎道、長崎線、R34と名だたる幹線交通がありながら、町域にICや駅はなく、広域的に見れば久留米市と佐賀市が拠点となり、近隣でも吉野ヶ里を挟んで西側に神埼市がある。大きな病院、高校と頑張れば歩けなくもない数キロの範囲で隣町にある。町の北部に佐賀東部中核工業団地があるが、長崎道の東背振ICを基準に開発されたエリアで上峰町としての核にはなりにくい。そもそも町の全人口が1万人弱しかいない。

この状態でどうするのか。おそらく正解は「核を作らない」でしょう。イオン云々ではなく、核を作って集めたことに無理があったのです。東西に幹線交通が伸びる中で数キロごとに市町境が現れる。それぞれに核を作って食い合ってどうする、と考えた方が合理的です。

あるいはそれでも核を作るのであれば、大規模SCを中心としたこれまでの施策が正解です。駅もない、ICもない、という近隣市町に比べてもハンディがあるなかで「核」を成立させるには、周辺から人を呼び込む施設が必須です。「まちづくり」の意識高い系のイオン嫌いのバイアスが鰍ゥりまくって失敗例として拡散されていますが、じゃあどうすればいいのか。ありもしない「中心市街地」を核に、最寄駅からLRTでも引けば万々歳だったとでもいうのか。

イオンがいなくなったから、という受け身の前提がそもそも見当違いの評価でしょう。もともと人が集まる環境にないところに「核」を作るのであれば、常に人を集める努力が必要です。クルマ社会で久留米や佐賀に出ることすら出来ない、いや、神埼やそれこそ町内のロードサイド店にすらアクセスできない、ということは相当な高齢化が想定されるわけで、消費性向が大きく下がる中ではイオンでなくとも撤退は必至であり、極端な話地元の利用がなくても維持できるレベルの集客努力が必要です。

全国で死屍累々ともいえる「まちづくり」に共通することとして、人を集めることに失敗して中心市街地に公共施設だけ立ち並ぶ、というものがありますが、大規模SCを否定した「まちづくり」をしていたら、一足飛びにこの状態になるわけですが。

ネットを見ていておもしろいのは(皮肉)、JR北海道の廃線問題で自治体がJRにおんぶにだっこ、と批判している人が、だからイオンはダメなんだ、大規模SCを核にしたコンパクトシティなんてありえなかったんだ、と拡散しまくっていること。大規模SCがあれば安泰、というのではなく、常に集客を考えていく、イオンが逃げ腰なら他を探す、というかそもそもアクティブに動いていれば逃げることなんかないですし、受け身であればイオンでなくてもほかの流通大手でも同じ結果になったでしょう。
そう、自治体が努力しないでJRケシカラン、というのを批判するその口でイオンはケシカラン、と言っている時点で、JRは無謬、イオンは努力しろ、というご都合主義ですと言っているようなものです。



「既存不適格」という意図は

2018-06-23 00:27:00 | 震災・災害
痛ましい犠牲を招いた高槻市の小学校のブロック塀悼ナ、市が建築基準法違反と発言したのに対し、「違反ではなく既存不適格」という主張がネットで一時期目につきました。
要は建築当時は合法だった、市側は悪くない、と言いたいのでしょうが、市が違反を指摘している中であえて「既存不適格」と主張するのはなぜか。厳格を求めるとだけには到底思えません。

要はこういう事故があるとありがちな、「被害者にも落ち度が」を主張し得ないシチュエーションなので、どうにかして同等の効果を出したいという意向がぷんぷんとしていますが、特に利害関係者でもないのにどうして事故や事件の犠牲者、被害者に対する「セカンドレイプ」ともいえる被害者批判や加害者免責に走るのか。日本人の悪しき陋習である「出る杭・・・」の変形ですが、こういう発想を抱き、行動に移すことは絶対的な悪として徹底的に教育すべきでしょう。

さすがに「手抜き」具合いが具体的に明らかになり、かつ問題を指摘されながらお茶を濁した「検査」が明るみになるにつれて「既存不適格ガー」の声が聞こえなくなってくるあたり、お察しの世界なんでしょう。

さて開校時点ではブロック塀に関する建築基準法の基準はありました。宮城沖地震を受けての改訂は開校の7年後。その時点で1981年ですが、既存不適格というのであればそこまで古いのか。
この塀はもともとプールの土台にフェンスだけだったのを、後から塀を積み上げたのですが、開校から7年以内で追加工事になったのか。

一方で3m以上の高さというものの、半分近くはプールの土台です。ブロック塀として積み上げたのは建築基準法の範囲内であり、控え壁の建設はともかくとして、高さ規制の範囲内という意識で建築したとも考えられます。
これは高さ規制が強化される前の既存不適格というよりも、法令解釈のミスと言った方がいいかもしれませんが、構造物の上に積み増す場合の規制はどうなのか。そこも焦点になります。

ただ土台がそもそもプールという構築物であり、地面が支えている構造ではない状態では、いわゆる「お神楽」のように非常に弱い構造になります。しかも鉄筋が入っていたのは「土台」に13センチ、ブロック側に20センチの33センチ分。ブロック1段の高さは規格で19センチですから、最上段どころか事実上1段分しか貫通していないわけで、だから一部が崩れるというようなレベルではなく、ブロック塀だけが丸ごと悼オたわけです。

宮城沖地震の記憶が生々しい時期に建設した、あるいは既存不適格としても、ブロック塀のリスクが広く認知されていたはずの時期にこんな手抜き同然の建築はあり得ない話です。




ひらがなも有効だが

2018-06-23 00:26:00 | 震災・災害
今回の地震でNHKがひらがなのルビ付きでテロップを出しましたが、数年前から実施されているこの取り組みが改めて評価されています。

まあやらないよりはやった方がいい取り組みではありますが、優先順位という意味ではどうか、という疑問が残ります。本当にヤバいとき、つまり津波警報のようなときは「きけん すぐにげて」とひらがなで単純化したメッセージを大書きしており、多言語放送もあるわけです。

一方で震度情報などはどうか。緊急を要する事態ではないですが、正確な情報を遍く伝達する目的です。
ただ、漢字が読めない人のためにルビを振ることが最優先なのか。老若男女問わず即座に伝達する「すぐにげて」とは意味合いが相当違います。二者択一的に優先するのであれば英文テロップですが、なぜそうならなかったのか。

漢字を知らない子供や外国人でひらがななら読めるという声に、とNHKは説明していますが、「すぐにげて」と違い、子供が理解して単独で行動するような情報でもないでしょう。そして外国人ならひらがなよりも英文表記のほうが分かるはずです。アルファベットを使うのは欧米だけではないですし、在留者、観光客とも海外に出てくる層ならひらがなで日本語で伝えるよりも、簡単な英語のほうが理解出来るはずです。

冷静に考えたら英文よりもひらがなのほうが、というのは非常にニッチです。簡単な英語は理解できないが、簡単な日本語はひらがなでなら読んで理解できる、という分類になります。
外国人で日本語はわかるが英語は全くダメ、というのはどういう層なのか。第一外国語が日本語ということになりますが。

あるいは日本人で漢字がダメという層。識字率の高さを誇る日本ですが、実際には繁栄の谷間に落ちたような人がいるわけで、夜間中学はこうした人たちの受け皿になっています。
実際には「国民」であるこうした人たちを見捨てないため、ということであれば腑に落ちる対策ですが、そこまで考えているのか。

二者択一にするようなものでもないのですし、英文表記も出したいものです。