Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

東播の相克

2018-04-26 22:09:00 | ノンジャンル
兵庫県の東播磨県民局の「自虐動画」が波紋を呼んでいます。
ミナト神戸と世界遺産姫路城を抱える姫路に挟まれた東播地区の存在感が薄い、というところから知名度を上げていくという内容ですが、著名と自負する明石市が反発して動画配信を停止したところ、知名度に悩む加古川などの残る2市2町はなぜ停止する、と動画に肯定的なスタンスで不満を示しています。

「魚の棚」「天文台」と名所を持つ明石市に対し、「高砂や」の舞台とされながら知名度が低い高砂市、そしてかつめしでまちおこしを図る加古川市などは、話題を作って知名度を上げたいわけですが、加古川市からは明石市は他の東播地区との差別化で知名度アップを図ってきたという趣獅フ不快感を示すなど、かなり根深いものがあります。

確かに明石は「播州」という括りで語られたくない、という印象を持っていますし(ただし神戸市ですら垂水から西が播磨国)、明石市というと神戸市の西側にあるそれなりに大きな市、と思われがちですが、実際には海側の一部が市域で、駅でいえば魚住付近に相当するあたりまで山側に神戸市西区が張り出し、他所者がイメージする「明石」は市域の東端に近い、という現実があるわけで、市域の大半は播州平野に位置して他の東播地区と変わりません。あるいは市内でも「明石」だけ脚光が当たって大久保や魚住、二見は埋没、という声がくすぶっているのかもしれません。

まあそれでも、えっ、こんなところに郡部があったの?と思われがちな播磨町や稲美町に比べれば、加古川市や高砂市はまだ存在感はありますが。


世論の潮目

2018-04-25 21:30:00 | 交通
両備の無期限ストは5月7日以降に延期されましたが、時を同じくして東京地裁が認可差し止めの提訴を却下しており、このまま突入しても成算はないし世論の支持も得られないし、という自爆になるという判断でしょう。

一部ではそれすら「さすが両備」ともてはやす神経が理解不能ですが、自社が他社のドル箱に仕鰍ッる競争は良い競争、新規事業者がやることはとにかく反対、というダブスタというのも恥ずかしいような「我儘」が続くことで「王様は裸だ」と言い出す人が増えているわけです。

そして時限の集改札ストに戦術を変更したようですが、これは運休を伴わないので利用者の負担にはならないわけで、しかも「ただ乗り」出来るので、これは世論を味方につけ得る戦術です。
まあ組合が自発的に戦術変更をしたのか、それは謎ですが。

ちなみに八晃の出自を職業蔑視全開で貶したり、反社のようにネットで垂れ流す人も少なくないですが、それを無条件で拡散している人も含めて、一連の事態が収束した後に検証すべきでしょうね、足元の状況は名誉毀損の要件を十分に充足していますから。

自治体の調整能力ガー、という人もいますが、参入規制が撤廃された状態で、自治体が事実上の事前審査となる調整をすることが本当に正しいのか。参入は「認可」であり「許可」ではないのです。それこそまさに「岩盤規制」であり、国による認可プロセスに現状瑕疵がない以上、もっともらしいことを並べても「規制」の域を出ません。瑕疵があるんだ、という主張もあるようですが、それは両備の主観ですから。

今回の一連の両備の「法廷戦略」を見て図らずも露呈したのが、自由化や競争を謳いながらそれが機能していない理由の一つが停留所の設置ということでしょう。
「新高速バス」の際にも顕在化しましたが、停留所の設置が既得権益化しており、自由化の際に停留所設置の問題をセットで解消しなかったことで、既存事業者保護以外の何物でもない状態になったわけです。

停留所の設置許可がおかしい、という両備の主張は、そこを握っておけば参入を阻止できる、という認識が既存事業者にある証左であり、そこに手を入れないと自由化などの施策は骨抜きになります。
自治体の調整能力というのは、公平な競争環境の整備と維持がまずありきであり、例外としてオーバーストアの防止などの規制方向の調整になります。

岡山の場合はオーバーストアの問題は確かにありますが、それは新規事業者参入の時にだけ発動するような恣意的な規制であってはならないわけで、既存事業者による競争がまず対象となるべきです。それが無問題というのであれば、新規事業者だけ排除する理由はないのです。その意味では両備がやったことは「一石」にすらならないというのが私の評価です。

ついでに言えば、今回の件でなぜ両備は益野西線を開設(増便)したのか。
オーバーストアであれば新設(増便)することはありえないはずですし、八晃に加えて自社で新設(増便)する余地があるというのであれば、八晃の開設を否定する根拠が崩れ、単に競争が嫌だ、というだけになります。要は整合性が取れていないんですよ。そして残るは八晃が嫌い、というだけ。ネットで八晃に対する誹謗を繰り返している「応援団」と根は一緒です。




強訴で通る先例を作ってはならない

2018-04-24 23:40:00 | 交通
両備のストですが、無期限ストも、という話になっています。
なんか何がやりたいのか、という感も否めませんが、結局は争議権を行使する正当な理由がないからこうなるわけです。賃上げや待遇改善といった正当な理由があれば、それをテーマに妥結すればいいのですが、八晃の参入がケシカラン、という経営側でもない第三者の行動を理由にしているのですから、妥結のしようがないわけです。

その第三者の行動も、八晃の運行ではなく運輸局の認可などの許認可をターゲットにしているわけですが、参入規制を原則撤廃した現行の法体制における参入認可へのクレームははっきり言って正当性がありません。というか、逆に事ここに至れば、認可の取り消しなどは絶対にしてはいけないでしょう。

今両備グループの労使がやっていることは土一揆や強訴のレベルです。ちなみに江戸時代の百姓一揆は、例外はありますが、首謀者が死罪になる代わりに要求を受け容れる、という暗黙の了解があったわけで、とにかく自分たちは満額回答、というスタンスはどうなんでしょう。

もしこれで認可取り消し(再協議などの手戻りも含む)に至れば、行政が歪められたことになるわけで、八晃が無事に運行を開始することを行政としても保障していかないと、行政の信頼は地に落ちます。
両備寄りの「識者」からはあれこれ正当化する理由が出ていますが、ルール上認可されるべき(却下する理由がない)案件に対する行政の決定を既存事業者の実力行使で覆す、ということの重大性を全く無視しています。

運行開始自体は受け容れて、今後の在り方について協議する、というような、今回の認可そのものを否定することはなく実を取るような対応であれば可能性はありましたが、こうなっては行政側もメンツがありますから絶対に譲らないでしょうし、譲るべきではありません。



取材ではなく事件

2018-04-24 23:39:00 | 時事
その財務事務次官のセクハラ問題で、被害者の女性記者を「犯罪」と講演会で言い放った元文科相、「犯罪」は言い過ぎと謝罪しましたが、情報を売った、というだけでも論外なんですが。
まあ「かけ」で疑惑の主と昵懇と囁かれているだけあって、少しの芽でも摘みたいということなんでしょうね。

セクハラは直接の犯罪に非ず、というのは有名ですが、少なくとも男女雇用機会均等法の11条で職場(出張先なども含む)でのセクハラ防止や対応を雇用主に義務付けているわけですし、民事訴訟においては「不法行為」による賠償責任を負うことが確定しているので、罪刑法定主義の絡みから刑事罰を課すことはできないレベルも含めて「違法」であり、いわば犯罪被害者に対して犯罪者と言い放った元文科相の桃ヤりは出色です。

情報を売った、という下司な説明で評判を貶めるのもお約束ですが、そもそも意図的に誤解、混同させているのが、「次官のセクハラ」は取材ではないのです。「本業」での取材内容をテレ朝で報じずに新潮に持ち込んだのであれば、「取材」倫理の問題になりますが、取材過程の中で自ら被害者となった「セクハラ事件」は、報道しようがなんだろうが、別に被害者の了解など必要ないはずです。

そしてテレビ朝日は報道を見送った。ただそれだけです。この状態でテレビ朝日が報道を差し止める権利はあるのですか、という話です。変な喩えをすれば、事件に巻き込まれた記者が他社のインタビューを受ける、というのと同じレベルの話でしょう。その事故の情報は取材中だからテレビ朝日以外に対応するな、と言えるのか。少なくとも取材倫理とやらを問う話ではないでしょう。



贔屓の引き唐オ

2018-04-24 23:38:00 | 時事
贔屓の引き唐オとは言いますが、あまりに斜め上な応援は見ている側をドン引きさせます。
国士様御用達新聞が自社世論調査で「財務大臣の辞任不要」が上回ったという結果が出たので笛や太鼓を鳴らして報道し、ネットのメ[タルにも配信しまくっていますが、昨日の段階では「問題を明らかにして改革するほうがいい」という趣獅フエクスキューズてんこ盛りの選択肢で辞任不要を誘導していたことを記事に掲載していたのに、今日になるとその記載が消え、世論調査の設問も「辞任すべきか」と味もそっけもないものに変わっています。

まあ日頃他紙をどう批判していたかを考えると、ダブスタというかどの口で言うかの世界ですが、特にメ[タルで見出しを出すことによる効果を考えると、世論操作の疑いすら感じます。

さらに今日は、「『ちびまる子ちゃん』にも圧力?透けるメディアの悪意」と、名古屋市での前文科事務次官の講演内容を探らせた国会議員を擁護してきました。さすがに見出しが酷いと気が付いたのか、後段を「前川喜平氏批判の自民議員に噛みつくメディア」と差し替えたようですが、「友達に国境はない」というキャッチコピーに、国家意識がない、と斜め上の批判をしたことはさすがに隠せないとして、2年前のことをほじくり返した、国家意識は当然、と斜め上どころか見当外れ、何で批判されているかが分かっていないというか、隠蔽して被害者扱いしているわけで、話になりません。

2年前をほじくり返す、って、問題は文科省に前次官の講演内容を探らせたという「異常事態」があって、それを持ちかけた議員にこういう過去もある、という話です。要は前からこんなことをしている、という趣獅ナすから2年前の話が出てくるわけです。ケシカランと事実上の圧力をかけまくっていた、というのに「圧力?」と否定するんですから、メディアではなくアジテーターの域です。「透けるメディアの悪意」どころか、「的外れな国士様御用達新聞の擁護」でしょう。

まあ事実上の親会社のドル箱番組に汲ュような記事で、それが言いがかりの域ではたまったもんじゃないでしょうね。記事の最後では国会議員の知名度が上がった、という支持者の声を掲載していましたが、斜め上の行動でしか注目を引けないような陣笠を持ち上げるような新聞では底が知れるというものです。