Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

果たして中身を理解しての記事か

2015-02-26 22:04:00 | ノンジャンル
昨日、朝日の「吉田証言」に関する第三者委員会報告書に対し、産経が報じた「外部有志」が立ち上げた独立検証委による報告を「お手盛り」と批判しましたが、今日産経が報じた「第三者委報告書格付け 8人中5人が最低評価の「F」」は良記事です。
はっきり言ってしまえば、「仲間うち」のような独立検証委を大きく取り上げるより、朝日の報告書の評価という意味ではよほどしっかりしています。

「第三者委員会報告書格付け委員会」という最近旗揚げしたと思われる耳慣れない団体の手によるものですが、報告書の第三者性、具体性などを問うスタンスは、「お手盛り」とは比較になりません。中には産経の主義主張とは相容れない理由で最低点をつけているものもありますが、それを冷静に評価しての記事が書けてはじめて報道機関といえます。

まあ2月18日に発表されたものが今更の記事ですが、誰かが産経にご注進したんでしょうね。それで記事にしたのでしょうが、ひょっとしたら「評価が最低点」というところだけ斜め読みして記事にしたけど、中身はきちんと読んでいないかもしれませんね。

乗らずの評価は何が目的

2015-02-26 21:31:00 | 交通
スカイマークの羽田$_戸線の3月28日までの値下げが発表されました。
前割復活、と言ってますが、一方でフリーフレックスが廃止になっているので利便性という意味では若干不便になった感じで、普通運賃の値下げが目玉と言えます。

ちなみにフリーフレックスは7日前まで取消手数料がかからない分、最初から1000円かかる前割より有利ですが、前割も変更が可能(差額精算で普通運賃への変更も可能)なので、レガシーの特定便割引とは比較になりません。

そして目玉の普通運賃値下げですが、14000円が11500円(金土日は12800円)とのことです。
普通運賃が14000円と言うのも神戸開港当初の10000円から見たら強気にすぎる設定ですが、この運賃体系で足下の急減した搭乗率でも6割程度を確保しているわけで、ANAのビジネスリピートと1740円しか違わない(しかもビジネスリピートは伊丹・関空・神戸♂H田・成田のマルチ利用が可能)のを見ると、価格競争だけでないと言う証明にもなっています。

とはいえSKYの強みはやはり変更可能な安い運賃でしょう。手荷物などの取扱いを含めて、運賃体系はレガシーと同じロジックであり、ちょっとの付加サービスでもがめつく追加料金を取るLCCとは全く別物ですが、レガシーに対する優位性は無視して、体系が違うLCCと金額だけ単純比較してネガキャンを張る向きが未だ散見されます。

そもそもSKYにまともに搭乗したかも疑わしいのにもっともらしい批判をする向きが多すぎるわけで、その際たるものが「SKYは狭い」というものでしょう。モノクラス同士、ということで同じ738でもANAの73Mと比較すれば分かる通り、ANA176席、SKY177席。どちらも30列で、ANAは最後尾に片側2人だけ、SKYは最前部が片側3人だけ、という違いであり、LCCの詰め込みには目を瞑っての批判は絵に描いたような「為にする」意見でしょう。神戸空港開港以来、SKYには何回も搭乗しましたが、各方面から聞こえてくる「SKYは狭い」という評価と裏腹に相対的な狭さを感じなかったというのが実体験に基づく結論ですし、そもそも実際に搭乗しなくてもカタログスペックでもわかる話なんですが。(かつてあった767は本当に狭かったそうですが、2009年までに引退しており、未だに「狭い」という人は何なんでしょうね)

ちなみに交通論の論客に評判の良いレガシーでもANAの787(789)は最悪で、足下の余裕がなくなっています。
横9列で詰め込んだものだから、窓側席は椅子の脚と壁面の間の隙間に足が入らず、椅子の脚の通路側には謎の弁当箱のようなものがついており、それを交わすと中列の人の足の置き場に干渉する、という有様です。
それでも(国際線仕様の臨時運用だけの体験で?)787は広くて綺麗、と宣伝する人が多いわけで、宣伝の力というか、思い込みが激しいというか、それで事実が曲げられてしまうわけです。

そうそう、経営破綻して今にも運航が止まる、と吹聴していた人も少なくなかったですが、あれも何だったんですかね。



俺に恥をかかせやがって...

2015-02-26 21:30:00 | ノンジャンル
首相のヤジ問題のきっかけになった農水相の献金問題で、結局農水相が辞任しました。理解してくれない、と未練たらたらのコメントを残しているあたり、「辞任」ではなく「更迭」ですが、最初からそうしておけばいいのに余計なことをしたせいで話がかなりこじれました。

まあ話がこじれた原因は首相筋にあるわけで、正面切って庇えないからヤジったら、品位を問われるばかりか内容も事実誤認でしたという情けない状態に追い込まれ、とんだ赤っ恥というか、キジも鳴かずば、を地で行ったわけです。

一度は首相自らが庇う姿勢を見せながらの更迭劇は、献金問題という農水相の問題というよりも、「俺に恥をかかせやがって」という感情に任せたものとしか見えないわけです。民主党議員に対する日教組の「献金」問題の真贋が農水相の責任にリンクするわけはないわけで、庇う姿勢を一転させる理由は首相のメンツしかないのです。

ヤジの問題もさることながら、実は自分のメンツが潰れた時点で掌を返すような対応のほうが問題と言えるのですが、そのあたりを誰も突っ込まないのもメディア、野党の資質でしょうか。


お手盛りでないのなら

2015-02-25 22:53:00 | ノンジャンル
朝日新聞の「ダブル吉田」などの問題に対する問題に対し、朝日が立ち上げた第三者委員会の報告書に対し、「外部有志」が立ち上げた独立検証委が報告書を出し、第三者委員会の報告書は朝日の責任逃れであり、朝日の報道が外交に大きな影響を及ぼしたなどと批判しています。

これを大きく取り上げたのが産経ですが、どんなご大層な委員会なのかとメンバーを見ると、何というか、産経など国士様が集うメディア御用達の面々で、それならばその結論も当然、と腑に落ちてしまいます。

もちろん本人たちは大真面目に論じているのでしょうが、客観的に見て「結論ありき」の印象は否めず、それを普段自分たちのオピニオンを掲載するメディアが大きく取り上げる、というのは、言い方は悪いですが「お手盛り」でしょう。

このやり方、産経の独自手法ではなく、どちらかというと左派系の団体がよく使う手段です。ありがちな例として、「市民オンブズマンが声明を発表」と体制側を批判して、それを左派系メディアが大きく取り上げる、というマッチャ塔v。どうです、既視感ありありの話でしょう。それを保守系がやったに過ぎません。

このやり方をしてしまったからには、左派系のこの手の手法を「是」として肯定的論調で取り上げないといけませんね、公平な報道を謳うのであれば。その意味では独立検証委の報告書と記者会見をニュートラルに淡々と報じた朝日はさすがにそこに気付いたのかバランスを取ったわけで、今後の産経の報道が問われるのですが、気付いているのでしょうか。


ありがたがる前に考えること

2015-02-25 22:51:00 | ノンジャンル
先月末、元西ドイツ大統領だったヴァイツゼッカー氏が亡くなりましたが、訃報記事の多くが1985年5月に当時の西ドイツ連邦議会で行われたドイツ降伏40周年の記念演説をその主たる業績としており、そのおかげであの有名な一節、「過去に目を閉ざすものは、現在に対して盲目になる」に久々に注目が集まっています。

岩波による邦訳ですが、「荒れ野の40年」という演説テキストの邦題は確かに名訳です。
私も学生時代にドイツ語の授業で使った記憶があり、四苦八苦しながら邦訳した、というより岩波ブックレットにお世話になりました(苦笑)

そして上記の一節が、「戦争を反省しているドイツ、反省していない日本」というステレオタイプの日本批判となってきましたが、今回の再注目でも左派系メディアを中心に同じ反応になっています。
いわゆる近隣諸国からの批判に寄り添う勢力にとって、「過去に目を閉ざすもの...」というフレーズは非常に心地良いもののようです。
しかし、そうした勢力は、この演説の本当の意味に気がついていません。この演説は、ドイツの「戦争責任」の「転嫁」の総仕上げとも言えるものだからです。

ヴァイツゼッカー元大統領は戦争中、ドイツ国防軍の大尉として終戦を迎えています。兵役で招集されているため志願した職業軍人とは違うともいえますが、連合国と戦ったバリバリの将校(大尉ですから日本なら中隊長クラスであり、決して低い階級ではない)であったことには注意すべきです。

ちなみに戦後日本の総理大臣で将校経験者は、大正時代の一時期志願して陸軍少尉だった石橋湛山、海軍の短期現役制度で終戦時は主計少佐だった中曽根康弘、学徒動員で終戦時は陸軍少尉だった忠コ登、同じく学徒動員で終戦時は陸軍主計少尉だった(戦後シベリア抑留された)宇野宗佑で、下士官、兵卒を含めると兵役で招集され日中戦争に従軍し上等兵で除隊した田中角栄、学徒動員で終戦時は陸軍軍曹だった村山富一まで入りますが、ヴァイツゼッカーの「軍歴」と比べると、日本の首相で「軍隊出身」とは言えないレベルですし、旧西ドイツの大統領や首相を見ても、我が国の首相よりも立派な「軍人さん」が揃っています。

なのにドイツは戦争を反省し、という「誤解」が広まったのはなぜか。
要は「荒れ野の40年」が総仕上げとなった、ドイツの戦争犯罪はナチスという異常集団が実行したものであり、一般のドイツ国民や国防軍はナチスの命令で戦争に参加した、というロジックを定説化することに成功したからです。

「一億総懺悔」と国民全体で罪を背負い、特定の勢力に責任転嫁をしなかった我が国は「戦争を反省しない」と詰られているのですから割に合わない話ですが、日独伊の枢軸3国で、その指導者を「民主的に」選んだ唯一の国であるという負い目があるドイツがそれだけ必死だったということです。なにせ「偶発的な」政権奪取ではなく、2度の総選挙で第1党になりながら、当時のヒンデンブルグ大統領がヒトラーの首相就任を避け続けた末に万策尽きた大統領側が大命を降下させたのですから。

文字通りの黒歴史ですが、それの集大成を未だにありがたがるというのも困ったものですし、それを後生大事にして我が国を貶めると言うのも勘弁して欲しいものです。