2019年5月号の鉄道ダイヤ情報は209系の特集ですが、「もう”走ルンです”とは呼ばせない」というコピーに、JRグループ編集協力と謳っていたくらいの雑誌があの「蔑称」を公式に使うとは、否定する方向での趣獅ニはいえ驚きです。
ただ、まあ内容は全力で209系の肯定ですから、敢えてあの「蔑称」を出して全否定してやろうという真っ向勝負の目的でしょうか。JR東日本がはじめて通勤型電車に取り組み、その後のスタンダードの源流になった節目としての評価が中心になっています。
確かに現代の通勤電車のあらゆる機構がここを源流としており、幅広車も209系500番台がその嚆矢でした。それどころかE231系もそもそも209系950番台であり、毀誉褒貶激しいなか、車両史を語る上では絶対に外せない系列と言えます。
(京浜東北線退役寸前のころ)
ただ、毀誉褒貶激しい、としましたが、実際には「総すかん」に近い状態だったわけです。
例の座面が硬くて高い座席が209系と乗客が直接接する部分と言うのに、進化したとはお世辞にも言えないわけで、しかも素人目にも安っぽさが目立つ車体。当初こそ告サでだいぶボロボロだった103系に対してSUSボディの輝きも眩かったのに、早々に歪みが目立ち、窓部などの噛み合わせに隙間が目立つようになってはいけません。
「走ルンです」が「写ルンです」から来たスラングというのは言うまでもないですが、「カメラ」に対する「レンズ付きフィルム」という存在が、これまでの電車に対する・・・という存在と相似形と言う認識がこれほどまでにマッチしたからこその「蔑称」でした。
しかしそれがアンチとか感情論だけで呼ばれたのであればここまで広まらなかったわけで、遂には鉄道雑誌の表紙に刷り込まれるような「一般的な名称」になったことに注目したいです。
ヲタではない一般人に「走ルンです」の由来を説明すると、けっこうな確率で納得してもらえる、クスリと笑ってもらえる、ということもあったわけで、それくらい「コスト半分、寿命半分」のコンセプトのために「攻めた」部分が徒になったと言えます。
(房総で余生を送る・・・)
209系と同様の「症状」はE217系に顕著に見られるくらいで、続くE231系や決定版ともいえるE233系、E531系になると時代のスタンダードと呼ぶにふさわしい作りであり、よく出来た電車ですが、少なくともE231系の500番台が出るまでは「走ルンです」一族として同類に見られていたわけで、最初にえぐりすぎて後々尾を引いた格好です。
結局そこは「安い車両」を「安物然として」作ってしまったことが失敗だったわけです。
901系という試作車がありますが、209系自体が試作車と言っていいくらいの存在であり、だからこそ早期に歪む薄さの車体や、最終的にはE233系までかかって最適を探った「硬くて高い椅子」など、あの「蔑称」を裏付けるが、後世に引き継がれなかった部分が多く存在します。
まあ車両の愛称は数多あれど、蔑称としか言いようがないのにここまで広まったのは、そう呼ばれるに足る現実があったからこその「走ルンです」であり、遂には鉄道雑誌も公式に取り上げてしまうほどの普及を見たわけです。その意味では出色の「愛称」でしょうね。