Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

年末のご挨拶

2016-12-31 19:34:00 | ノンジャンル
紅白も始まり、2016年が間もなく終わります。
今年はいろいろ変化があった年で、海外に本格進出?という極めつけに忙しい年でしたが、それでも何とか頑張ってきました。そして去年も同じ心配をしましたが、来る2017年はどうなるのか、という心配が頭を去らないのも事実です。

新しい展開を楽しむような余裕はまだないですが、それでも精いっぱい頑張っていくしかないので、今後も皆様のご指導ご鞭撻のもと、よりよりサイトや掲示板等の運営に務めていきたいと思います。

なお、サイト更新等は1月3日以降に行う予定ですので、悪しからずご承知おきください。


では皆様、良いお年を。

2016年12月31日
Straphangers' Eye 管理人
エル・アルコン拝


支出の妥当性を検証しない自治体disでは

2016-12-31 15:46:00 | 交通
地元自治体の支出で復旧へ大きく舵を切った只見線ですが、JR東日本の経営企画部長が「率直に言って残念」と鉄道復旧にかかる要求を地元が飲んだことを「残念がって」いるのは語るに落ちるというかですが、復旧して運行が再開されれば運営経費で持ち出しが必至なので、設備投資で吹っかけたのに、地元がそれを見抜いて復活すればこっちのもの、と気付いたということでしょう。

とはいえ明らかに止める気満々で「吹っかけている」経費の精査はどうなっているのか。「社会派」諸氏は自治体の決定を絶賛していますが、明らかにバス転換のほうが税金の支出は安く、サービスの展開性も優れているのに、敢えて鉄道を選択したうえに支出が不適切では目も当てられません。地元の負担することだから、というかもしれませんが、自主財源が乏しいなかでの支出ですから、本来であれば、「不適切な」部分は「余裕」があるとして交付税を減額しないといけない話です。

地元自治体の姿勢が只見線と比較される日高線ですが、税金支出の正当性という意味では日高線の対応のほうが妥当であり、「電車ごっこ」に目がくらんでいるから只見線を称賛しているにすぎない、という厳しい評価も可能です。

日高線沿線自治体を批判している人は見て見ぬふりをしているというか、口を閉ざしていますが、JR北海道は、「ご利用の極端に少ない駅」の維持コストの算出、提示において、実際には実施していない改修工事のコストを上乗せしてランニングコストの水増しを図ったという「詐欺行為」をしているわけです。
「詐欺」そのものと言える行為が何故かうやむやになりつつあるのも妙な話ですが、この状態でJR北海道から提示された数字を信頼するほうが間抜けであり、それをベースに税金を支出されては背任どころの騒ぎじゃありません。

前から言っているように、JR北海道の「経営問題」については経営を詳細に分析した公的な一次資料があり、そこで指摘を受けている論点はどうなっているのか、本来その論点の解消で賄うべき話ではないのか、という面がありますが、これも一次資料にアクセスすらできないのか、敢えて目を瞑っているのか、「社会派」諸氏は無視しているのも滑稽です。
そこに「詐欺」同然の吹っかけをしているのを受け入れろとはどういう了見なのか。税金の使い道という非常にシビアな問題に対し甘すぎるというか、結局は「電車ごっこ」の域で語っているだけと言えます。

もちろん交通モードの選択がまずあるわけで、鉄道が過剰という判断であれば、バスにするしかありません。「レールボーナス」的な妄想を振りまく人もいますが、その多くは地元をに要らぬ期待を持たせ、効果も定かでないが、そういう層が楽しめる、文字通りの「電車ごっこ」的な支出を強いる結果に終わっているわけで、冷たく突き放したり、「残念」という事業者のほうがまだ良心的です。

そして公共交通そのものがなくなるという事態をどうすれば回避できるのか。「電車ごっこ」で無駄金を使う余裕があったら、一日でも長く住民の足を維持する為に使うべき、というのが税金です。

ついでに言うと、本件も「公助、共助、自助」の最近の流れを反映しているわけで、より小さなセクター、最終的には個人という下流に責任を持たせるという流れを想定したら、国に頼るな、JRに頼るな、都道府県、いや、基礎自治体が何とかしろ、という「社会派」諸氏の主張はぴったりはまっていると言ったら言い過ぎでしょうか。
もちろん共助、自助も大切ですが、「鉄道を持続するために」国が決めたスキームが破綻したことに対し、国ではなく都道府県、さらには基礎自治体が何とかしろというのは、ちょっとお門違いも過ぎる気がするわけですが、国を批判することを極度に嫌う人たちも多いことがネット界隈では声が大きいだけに、問題をややこしくしているし、地元を異常に批判する結果になっていると言えます。



多言語対応の問題点

2016-12-30 01:00:00 | 交通
ネット界隈で公共交通の多言語対応が定期的に話題になっています。
拙サイトでも過去に記事にしていますが、やはり日本語の表示がないタイミングがあるということが問題の元凶と言えます。
切り替え表示にするしかない狭い表示スペースでこれまで日本語と英語を窮屈ながらも同時に表示していたのを、中国語や韓国語を含めて交互表示にしたことで、日本語の表示時間が1/4になるという弊害をどう見るのか。実際に発生している問題に対し、テーマが韓国語ということでありがちな反韓感情での主張が絡み、収拾がつかなくなるとともに、真面目に取り上げる機会を逸しているのは残念です。

少なくとも駅などのスペースに余裕がある場所においては交互表示ではなく同時表示とすべきであり、日本における母国語とは、ということを考えたら、日本語は固定表示として、英語、中国語、韓国語を交互表示にするのがベストですし、さらに一歩進めれば「漢字が読めない」人に配慮して、神戸市交のように交互表示側に「ひらがな」を入れるべきでしょう。

では余裕がない車両側面などの対応はどうすべきか。2段表示が可能であれば、日本語固定の他言語交互表示が落としどころですが、不可能な場合はどうするのかとなれば、一部事業者のように割り切って敢えて日英2ヶ国語のみ、とすることもありでしょう。

この問題の本質は、必要な情報を十分に提供できているか、というところにあります。
交互表示で日本人が判読できない時間が発生する。車両は走っているのであり、見れる時間は極めて限定的なのに、判読できない時間帯は致命的です。これは多言語表示に限らない話で、行先を知りたいのに「見ればわかる」レベルの路線名や、はては「6号車」という号車表示に交互表示の1パターンを充てるのは韓国語表示の比ではない欠陥案内といえる問題です。

ついでに言えば、韓国で日本語表記があって助かっているのに、という声も聞きますが、確かにバスで日本語表記を出していますが、いろいろな情報を交互表示している中の一つに過ぎないわけで、走っているバスはもちろん、信号待ちや停留所で停車中であっても日本語表示になってくれるのは「運がいい」レベルです。実際、釜山で日本語表記を見て「おおっ!」となり、カメラを構えましたが、その場所で日本語表記に出会えるまでかなりの時間を要したわけで、これで乗りたいバスを識別するのは不可能です。
結局は系統番号で確認するしかないですし、乗った後は日本語表記どころか英語表記すらないわけで、どこで降りたらいいかが分からないというトラップが待っているのでは、あれを有効とする神経が分かりません。

また地下鉄でも日本語表記はありますが、これも「読み」ではなく「漢字で書いたら」という表現に過ぎないので、コミュニケーションの手段にはなりません。つまり、「どこそこに行きたいのだが」という会話には出来ないのです。
これは中国語表記にも共通する話で、適当な「和訳」がないと両国語とも韓国語の読みをカタカナで書いたり漢字は当て字にしていますが、コミュニケーションツールとして見たら、それが正解です。
釜山では、地下鉄のチャガルチ駅がそうなりますが、一方で釜山きっての繁華街があるソミョン駅は「西面」と書いても「ソミョン」とは読めません。「日本語表記」として「西面」とか「釜田」とか書いてあっても、ソミョンからプジョンまで、と読めなければ通じませんから。

なお、余談ですが、釜山駅ではKTXの窓口で「英語で大丈夫ですか」と聞いたら思いっきり拒否られて筆談でしのいだ経験もあるわけで(漢字は日本の新字体でOKだった)、日本でいえば新大阪駅の新幹線きっぷ売り場で英語が通じない、というのが現実のようです。

余談はさておき、その意味では、都バスのバス停のローマ字表記が読みそのまんま、というのが嘲笑の的になっていますが(Tokyo Biggu Saito など)、コミュニケーションツールとしては正解なわけで、政府はこの手の表記を排除しようとしていますが、では「国会議事堂前駅はどこですか?」と聞きたいときに、「Kokkai Gijidomae Eki?」ではなく「National Diet Station?」と聞かれてどうする、という想定はないのでしょうか。

こういう表意と表音の関係もあるわけで、どういう情報を提供すればいいのか。そして母国語の情報提供を犠牲にしていいのか、よく考えて設計し直すべきでしょう。







しがらみがないはずの公共放送だが

2016-12-30 00:35:00 | ノンジャンル
国民的アイドルグループが解散しましたが、それに至る経緯は券\プロダクションとタレントの関係の「異常さ」を世間に植え付けました。しかしそういう視点でモノを語るとおまんまの食い上げになる券\メディアが「お涙頂戴」的な美談に仕上げて円満解散に仕立てて、ファンや世間もコロッと騙されている格好です。

その意味では「公共放送」であるはずのNHKの対応は「大罪」としか言いようがないわけで、紅白に何とか出演させて視聴率と話題を取りたい、という営業政策が優先されて、出演の可否を握るプロダクション側を刺激しないように、解散に至る経緯や問題点を封印したわけです。

本来であれば、ここ数年の連ドラブームの礎となった作品のヒロイン然り、また、趣は異なりますが、唐突な引退宣言をしたタレントなど、今年の券\界を総括するにあたり、「券\プロダクションとタレントの関係が取りざたされた一年でした」と本来言い切って然るべきなのが、民放のようにしがらみがないはずのNHKなのに、紅白を優先して公共放送としての矜持も何も捨て去ったわけです。

まあ券\関係ですら営業優先なんですから、他は推して知るべしでしょう。会長の政治的偏向を云々するよりも、券\のジャンルですらこういう状況が罷り通っていることは、政治的偏向での編集も当然あり得るという結論になるわけで、会長の首を今回挿げ替えたとしても、本質は別の所にあるわけですから意味のない更迭劇と言えます。

紅白に限って言えば、国民的アイドルグループの件を別にすれば、それこそ今回「更迭」(再任しない決定ですから「更迭」ではないですが、再任の意向を拒否した点で事実上の更迭でしょう)された会長の成果として、他の券\プロダクションとの馴れ合いを排除して、ヒット曲もないのに不自然な選出が罷り通っていたことにメスを入れ、視聴者の疑問に答えたことは大きな実績です。

それだけに国民的アイドルグループを巡る未練がましい行動は残念でした。



「合意」と「靖国」に見る国益不在

2016-12-30 00:17:00 | 時事
やっぱりというか案の定というか、ちょうど1年前のあの「合意」とやらはなんだったのか。
韓国第二の都市釜山で、「慰安婦像」の設置が強行されました。一度は市当局が撤去を命じたものの、結局韓国内の世論に押されて承認したわけで、既設の像の撤去を謳った「合意」の履行どころか、外国どころか国内、それも第二の都市での新設は、「合意」が全く履行されていない、無視されているとしか言いようがない状況です。

誰がどう見てもおかしい、藪から棒にとしか言いようがないあの「合意」に対し、保守とされる層、特に国士様御用達新聞とそのシンパは「ボクたちの大好きな首相のすることだから」とあれこれ理由をつけて肯定してきたわけですが、それから1年、結果が示すものは日本の外交的敗北であり、まさにあの当時批判されてきたことそのものです。

おりしも首相が真珠湾で「和解と同盟」を強調した外交的成果を上げてきた直後に防衛相が靖国を参拝し、中韓両国はともかく、米国からも不快感を示されるような外交的センスゼロの行動を平気で取るわけですが、この防衛相も国士様御用達新聞やそのシンパの評価が高く、シンパ愛読の雑誌では「未来の首相候補」などと持ち上げる眩暈がするとしか言いようがない評価に満ち溢れている状況ですが、こうした「保守」とされる層の支持する連中の行動は、国益を損なっているとしか言いようがないわけで、いわば「白猫でも黒猫でのネズミを獲るネコがいいネコだ」の真逆の「ネズミを獲らなくても白猫だからいいネコだ」と言わんばかりの状態です。

何度も言いますが、右翼は愛国、左翼は売国、ではなく、右翼も左翼も愛国があり、売国があるのです。左翼の売国は分かりやすいから批判の対象になりやすいですが、右翼の売国があり得ることに気づいていない人が多すぎます。そして今足下の危機として、右翼の売国による浸食が急速に進んでいる。そうとしか言いようがない状態です。