道路交通において、歩行者や自転車のルール違反を指摘すると、脊髄反射のように「クルマガー」と頭のてっぺんから湯気を噴いたように怒り出す人がいます。
じゃあよしんばクルマのルール違反が日常茶飯事だとしても、だからといって歩行者や自転車のルール違反(≠マナー違反)が免罪されるわけではないのであり、「クルマガー」というのは、典型的な「大阪のオバちゃん」理論に過ぎません。
そもそも足下の状況は、「違法行為」という性質に着目すれば、歩行者や自転車のほうが並外れて悪質です。
反則金制度がないため、道交法上は違法行為でも、罰金刑(ただし前科にはならない)にいきなりなることに配慮してか、ほとんど摘発されないことをいいことに、クルマでは考えられない、あり得ないレベルの「故意」の違反が多すぎます。
特に「信号無視」は交通ルールの原則というか、信頼の原則を大きく損なう行為ですが、あまりにも当たり前に「犯行」に至る歩行者や自転車が多すぎます。「クルマガー」と言いますが、街中で信号無視をするクルマがどれだけいるか。ほとんど無いわけで、それを棚に上げて何を言うのか、という感情を覚えます。
歩道等で歩車が分離されているのにそれを無視する。目の前に横断歩道があるのに乱横断する。言うならば、どこの世界に故意に歩道に乗り上げて走行するクルマがいるのか。走路帯や進路を全く無視するクルマがいるのか。という話です。
(高齢者の死亡事故の6割以上が...)
確かに歩行者や自転車は「弱者」ですが、だからといってやりたい放題できるわけではありません。「弱者」とされる存在が「犯罪」を引き起こすことは稀ではありませんし、交通の世界でもまた同じです。
いや、「弱者」として保護されており、本来クルマに責任を負わせるべき理由がない事故でもクルマは免責されない、という不公平極まりないルールが存在することで、クルマはリスクを回避するために「違法行為」に従い、歩行者や自転車は相手が引くと解っているから益々つけあがる、という悪循環になっています。
本来、歩行者から特大車、路面電車まで規定している道交法においては、各存在は「法の下の平等」が保証されるべきです。
ところが原因行為を全くの故意に引き起こしても、クルマの責任が問われる、という本来あってはならない不公平が制度化されていることがなぜ罷り通っているのか。実際に歩行者など「弱者」側に原因があると認定されている事故は実は多いわけで、交通事故を減らす、交通安全を図るのであれば、本来何をすべきかは自明です。
要は公平な責任を負う。というルールに変更すべきなのです。
故意による「違法行為」が原因で、対応が困難(よしんば対応、回避が出来る余地があるとしても、それをすることはクルマの側の利益が損なわれる場合も含むべきです。本来「違法行為」によって善良な行為が阻害されてはいけません)であれば、0対100の「犬死」になることを例示すれば、赤信号で平然と横断するような「違法行為」は激減するでしょう。
別にクルマの罰則を軽くしろとは言っていません。責任を公平に負担するようにしろ、という当たり前の主張に過ぎません。もちろんあり得ないようなイロハのイの注意義務も守れていないクルマによる悲惨な死亡事故が後を絶たないことも事実です。それを踏まえてもなお、法律が公正に機能してないから、歩行者や自転車の無法状態が目に余るのです。それを「正常化」するだけの話なんですが。
いい加減「善良な歩行者、自転車が悪魔のクルマに蹂躙されている」という空想の世界から目覚めるべきでしょう。歩行者や自転車はあなた方が思うほど善良ではないどころか、遵法精神という意味ではクルマの比ではないほどの「悪党」なのですから。