Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

神鉄粟生線問題を考える

2012-02-29 23:53:00 | 交通
神鉄粟生線の存続問題は、行政、神鉄ともに結論を先送りした格好でここまで来ています。
今回の決定も抜本的な対応ではなく、ずるずると現状維持、いや、現状のトレンド維持と言う漸減状態が継続し、出血が止まらない状態が続くでしょう。

鉄道の廃止というと長野電鉄屋代線、十和田観光電鉄が間もなく鬼籍入りしますが、これらと比較すると「まさか」と言うレベルの利用があることが、「先送り」と言う結果になっているのかもしれません。

経営的な視点で見れば、神鉄にとっては三田線などの「本丸」が補填するどころか守るのに手一杯と言う状況であり、このまま行けば「共唐黶vと言う危機感がありありと出ています。
逆に言えば、「本丸」の巻き返しが可能な段階で体力を維持するための「早逃げ」ですし、鉄道として存続することも可能な段階で地元に選択肢を突きつけることで、地元も地域交通のデザインにバリエーションを持てるのです。


(新開地にて)

ただそうは言っても感情論としては「切羽詰ってはいない」神鉄の「早逃げ」は許せない話でしょうし、今まで神鉄が何をしてきたか、という詰問にもなるわけです。
粟生線が決定的な坂道を転げだしたのは神姫バスの攻勢ですが、それだけ神鉄のサービスに不満を抱いていた人が多かったということでしょう。

そういう意味では経営危機に陥った際に法的処理に追い込まれたコトデン(現ことでん)、つまり、冷房も満足にないボロ電車に低サービス、という「酷評」にも共通する話であり、法的処理を経て一から出直したことで見違えるような会社になって地元にも愛されるようになった「前例」が気になりますし、そこまでしないと目が覚めないのでしょうか。

はっきり言えば、現状は地元に「必要とされていない」と言えます。
そういう状況でクルマが運転できなければ足がなくなる、と言われても、神姫バスがあるじゃないか、と言われるのがオチでしょう。


(観光資源も地味だ)

実際問題として、バスじゃ賄いきれない、r22の渋滞はどうする、と言う批判に対しても、恵比須快速、西脇急行の増発に加え、例えば三木や押部谷から西神中央への道路を整備して、三田地区で導入が決まった連接バスを投入したらどうなのか。
道路網が完備している西神地区は近いわけで、実質の要整備区間は予想以上に短く、神鉄の「出血」をダラダラと補填するよりも「新しいインフラ」の整備ですから、税金の使い道としては王道です。

そもそも三木やそれ以西からの神戸方面とのクルマの流動は、グダグダなr22ではなく西神地区と既存集落の境界を走る4車線のr65がメインですから、それの活用も考えられます。前開ランプから北神戸線に入れば恵比須快速の派生形になりますし。三宮BTなどの容量にしても、市バス7系統のように路上で扱ってメ[アイの車庫で折り返せば対症療法的ですが対応可能です。阪神三宮駅東口が完成したら道路もすっきりしますから。

それこそ高度化されたバスによる地域交通網の整備と言うブレイクスルーの可能性もあるわけです。
一方で神鉄の維持にそうしたビジョンがあるのか。いや、巻き返しの可能性すらあるのか。
粟生線が廃止になったとしても「公共交通」の喪失では決してないにもかかわらず、あたかも公共交通が無くなるが如き表現や、果ては地価が下がると言った根拠も疑わしい訴えに、鉄道を守る、と言う目的以上のものが見えないと言ったら酷に過ぎるでしょうか。


(「公共交通」は残るのだが)

そう、このャXターの下部に「クルマやバスの代わりに少しずつ粟生線を利用して」とあるのに違和感を感じるか感じないかでしょうね。要はバスと言う「公共交通」の利用を否定してまで守るべき、という主張なのですから。



私物利用の推奨

2012-02-29 23:33:00 | 時事
大阪市役所のメール調査については先にいろいろ書きましたが、本件で市長のスタンスを当然視する理由として一番多いのが「業務用メール」だから当然と言うものです。

もちろん官給品を私用に使うことは原理原則論から言うとおかしいのですが、実際には常識の範囲内で私用に供されるケースもあるわけですし、逆に完全に峻別することのほうが難しいでしょう。
そういう意味で市長のこれまでの行動、言動は都合のいいときだけ原理原則論を振りかざしているようにもみえますし、言い方を変えれば教条的というか、不文律、慣習法と言う概念に欠けた存在ともいえます。

余談はさておき、官給品の私用について一切認めないのであれば、そのメールの中身は必ず業務に関係する事象しかないわけで、それを確認すると言う大義名分も立ちます。ただし業務の中には個人情報に関する部分も当然ありますから、外部の第三者にその監視、確認を委託する場合は、まず個人情報保護に関する諸手続を全うする必要があります。

しかし現実は私用で使うケースもあるわけです。組合に関する事象でも、私用と同一視すれば、常識的な範囲での連絡に使うことを否定できません。そうなるとやはりメールの監視については厚労省のガイドラインに従うべき事象です。

さて、市長に盲従するが故の原理原則論の支持であればわかりやすいのですが、真顔で一般則として原理原則論を唱えるとなると厄介です。
官給品、いや、こうした人たちは民間でも、と言いますから、官民問わず備品什器を私用に使ってはいけない、ということでしょう。

そうなると、目の前に電話があっても、メールがあっても業務以外の連絡には使えません。
一方で勤務時間において一切の外部との接触は禁止、というのはいかに職務専念義務があったとしても、労働条件に明記すべき重大な制約ですし、この場合は内部でも連絡手段がなくなります。

そこまでの連絡等の制限は出来ない、と言う前提で考えると、備品什器を使用しないで連絡を取るには、私物の携帯やスマホを使うことが正解になります。

もうお分かりでしょうが、原理原則論を前提にすると、職場で自分の携帯やスマホをいじることが公認されるというおかしな状態になるのです。
いかに手空きの時間帯であっても、デスクで私物の携帯やスマホを扱うのはいかがなものか。そのうち当たり前になるのかもしれませんが、少なくとも携帯が普及して久しい今日でも、職場で私物の携帯を堂々と開く人は稀です。

大阪市長は官給品のメールの私用がケシカラン、というのであれば、常識的な範囲内であれば私物の携帯などを堂々と使っていいというスタンスなんでしょうか。組合活動は時間外ですが、今日常議員会がある、といった連絡まで執務時間内に行ってはならない、という杓子定規な話は無いですから、組合員同士が私物の携帯やスマホで連絡を取り合うというような無秩序な行動を市長は推奨していることになりますね。



正にバランスを欠いた議論

2012-02-29 23:31:00 | 交通
自由化すれば何でも良くなる、と言うトンデモと並んで目に付くのが民営化すれば何でも良くなる、という勢力です。
同じ業務でも「官」がやれば無駄で、「民」がやれば喝采と言うステレオタイプの議論には辟易しますが、自由化と同じで、民営化も儲かる部門の独立による「利権」の存在が見え隠れしています。

基本的に民営化できる部分は民間に任せろ、と言う夜警国家的発想は初期資本主義の発想に近く、「見えざる手」が働くのだから市場に任せればよく、力のあるものがより多く稼ぐ、というどこかで聞いたような体制は、時と姿を変えて現代に再来しています。

しかし、そうした批判とともに、民営化の追及は構造的な矛盾を抱えているのです。
つまり、民間が手を出す事業、すなわち収益性の高い事業を切り離すことで、残された側の収益性は悪化します。「官」の業務はどちらかと言うと営利事業ではない持ち出しの面が大半であり、その原資は基本的には税金となります。

それを補っていた事業収入がなくなれば、見合いの支出が不可能になる、つまり、行政サービスが低下するしかないですし、それを回避するためには収入を増やす、つまり、増税しかないのです。
行財政改革があるじゃないか、というおめでたい人も多いですが、コストカット、リストラは必然的に行政サービスの低下をもたらします。

だからといって増税は絶対に肯定しませんから、結局突き詰めれば行政サービスの否定とまでは言わずとも極小化であり、夜警国家の発想に収斂します。

一つの事業体の中にあった収益事業を切り離せば、残る事業だけで計算された収益は悪化するという当たり前のことに過ぎないのに、鬼の首を取ったように赤字だケシカランと騒ぎ立てるのは、マッチャ塔vに等しい愚ですが、大阪市交通局を巡ってはそれが「正論」のようです。

地下鉄とバス事業を分離して、地下鉄によるバスへの補填を中止するという例の市長の政策で、年度末にバス部門が資金ショートを起こす見通しです。

大阪市は現業職員の高給ばかりがクローズアップされていますが、大量輸送機関である地下鉄から、ミニマムアクセスである赤バスまで一環経営する全国でも数少ない事業者であり、交通政策と言う面でも効率的な運営が可能な形態です。

地下鉄の収益を利用して福祉的なバス路線の維持も可能ですし、それによって地下鉄の迫{路線を維持していると言う見方も出来ます。内部補填も使いようと言う例であるわけで、これを分離すれば、地下鉄には剰余金がたまり、バス事業は維持するために値上げもしくは増税となります。
ちなみに地下鉄が値下げできるじゃないかと言うでしょうが、確かに可能ですが、さらに進めて民営化になったとき、その剰余金はまず間違いなく配当に回りますよ。民営化されて利益を確保している交通事業者において、利用者に値下げの形で還元されましたか?

バスの黒字路線と言うのは、利用者が多いわけで、やがては軌道系交通を導入していくことを考えるべき区間です。そうなると地下鉄の勘定の方に組み込まれ、バス事業の採算性は悪化します。
地下鉄とバスの勘定を完全に分離して、「経営責任」を問うのであれば、儲け頭の路線を「他社」に移管するというのは「背任」です。また、地下鉄とバスがお互いの領分を越えて儲かる路線への進出を図ってもおかしくないわけで、折角の一元経営のメリットが無になります。

地下鉄の開業による減収補填(路線を買収するという感じでの評価ですね)もしないで、単純に赤字だと言う発想は、経営の基本も理解しているように思えない発想です。結局は「高給」の交通局を叩けば受けると言う発想でしょうが、それとて二重のトリックがあるわけで、平均年齢、正社員か否か、と言った条件が揃っていないし、さらにそもそも比較している民間事業者の給与水準自体が、「官」としてその業務に見合う給与水準として「お墨付き」を与えて良いレベルなのか、と言う問題もあります。

一将功なりて万骨枯るじゃないですが、己が欲求の実現のために官民揃って低収入で、と言うスタンスでもあるわけです。
だいたい、ここまで低下した民間事業者が年中求人広告を出してようやくかき集めていると言う現状を見れば、安全どころかサービスそのものの維持すら綱渡りになる危険性があるわけで、行政サービスの低下に収斂します。


透けて見える政党の姿勢

2012-02-27 23:15:00 | 時事
NHKの日曜討論で原発再稼動について各党の議論がありましたが、なんというか、安全が確認できると言う大前提はともかく、地元の理解を前面に押し出すあたりが選挙で選ばれるのが「政治家」だな、と言う感じでした。

さらに再生可能エネルギーなど原発に頼らないエネルギー源を、というお花畑系を公党を代表して語られると眩暈がします。まあ依存度を下げてベストミックスを計るのがベストですが、それと安定供給、発電コストを天秤にかけないといけません。何度も言いますが、日本経済が沈没したら放射能の比ではない犠牲者が出ますから。

そういう意味では、公党を代表する彼等が国民に対する「責任」を本当に負っているのか。軽佻浮薄な議論にしか見えません。

そうした中で「出色」だったのがみんなの党です。
自由化すれば大丈夫、というのには失笑を通り越す理論です。選択が可能なレベルの供給力がないことはいまや朝日新聞ですら認める事実なのに、自由化してどうするのか。
発送電分離も、というところを見ると、結局は既存電力会社を解体して、見た目の選択肢を増やすことで「自由化」ということでしょうが、電源自体は増えませんし、原発を忌避したら電源は減少したままです。

要は電源確保よりも「自由化」で美味しく頂きたい、という欲望があからさまです。
大衆受けする主張で支持を集めて、実際に取り組むことは、と言う疑念が絶えない政党ですが、今回もお馴染みのパターンのようです。

そういう意味で最近の「トレンド」は、市民団体を装った「別動隊」による支持拡大作戦でしょうか。共産党あたりがよくやる手法ですが、みんなの党も負けてはいません。
1人1票を主張する意見広告を定期的に全国紙上で見かけますが、民主党や自民党の主張は×で、みんなの党の主張が○、という表で「わかりやすく」解説するという、まさに「わかりやすい」運動です。

全国紙での運動はそうそう出来るものではないですが、どういうスャ塔Tーがついているんでしょうね。「自由化」で既存勢力になりかわってご馳走に与れる勢力でしょうか。そういう疑念を抱かせます。
さらに言えば、「1人1票」は公平に見えて、人口の多い都市部に確実に有利に働きますし、あくまで国会議員による選出の候補決定とはいえ、事実上首相公選制になるというのもどうでしょうか。

要はャsュリズムの徹底的な追及です。より多くの有権者を振り向かせれば勝ちということです。
そして一度権力の座に就けば任期一杯は何でもできる、と言うシステムです。
「1票の格差」は問題ですが、地域の声を全く汲み上げない結果になる純粋な「1人1票」もまた問題と言わざるを得ません。

手段を選ばぬ、でいいのか

2012-02-26 18:33:00 | 時事
大阪市長の「怪進撃」が止まりません。
まあ府知事になってみて、政令市は事実上管轄外だから、「府市合わせ」、いや、都構想で権力簒奪をはかり、市長になったのはいいですが、どうも「事。」が少ないようで、早くも国政を狙う発言で世間をにぎわしているのを見ると、府政や市政は自分の権勢欲のための道具にすぎないと言わんばかりの扱いであり、そういうトップを仰ぐ住民が不幸せです。

そうは言いながらも結果を出さないと飽きられるということなのか、一番簡単な「敵」を叩くことで人気を上げようとしています。要は労組問題ですが、確かに府や市の労組の質もひどいもんですが、ではだからと言ってやっていいことと悪いことがあるのは雇用、この場合は行政側も同じです。

住民、有権者が喝采するから何でもやっていいのか。特に問題なのはアンケートとメールの問題であり、普通の企業でこれをしたら労務担当の重役は首が飛んでもおかしくありません。

企業だってやっている、という人もいるかもしれませんが、少なくともあの手のアンケートは論外ですし、気をつけるように、と管理職1年生の時に教育されるようなテーマです。
メールにしても、確かに企業は社用メールの中身を監視はしていますが、もっともらしい理由をつけていますし、批判を受けないように定期的、継続的にやることで、何か意図をもってやっているということがないようにしています。

要は今回問題なのは、反組合のスタンスで取り組んだということです。
第三者委員会の弁護士はさすがに問題と気付いたのか市長の発言を否定していますが、市長がひとたび「この目的です」と言った以上、どう取り繕ってもそれは違法行為であることを誤魔化す方便にすぎない、と見られます。

もともと弁護士であり、行政庁のトップとなった現在は、法令順守は厳しく問われる存在ですが、日本第二の都市のトップが法令順守をないがしろにしているというのは論外です。あの阿久根の前市長もたいがいでしたが、今回はまさかのそのスケールアップ版です。
法律家であれば法律や政省令のほかに、通達や指導も法体系の中にあり、順守すべき対象であることは分かっているはずですが、通達はおかしいと思う、という理由で強行した発想を疑います。

おかしいのであれば裁判所の有権解釈を仰ぐ道もありますが、負け戦必死の状態であれば、訴訟費用に賠償金と税金の無駄遣いでありこれも論外です。
とにかく、「俺はこう思う」で行政を取り仕切っていること自体が論外なのです。

それでも喝采を送る人が少なくないのが現状ですが、間違った手段を結果が正しいからと許容しても、それは結果への信認ではなく、手段への信認なのです。
間違った手段を容認してしまったことで、その手段で「間違った結果」を惹起したとしても、既にその手段を容認、追認してしまった以上は文句が言えません。