Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

神戸新聞の100日

2010-02-21 18:27:00 | 書評
1月16日に放映された「神戸新聞の7日間」はこのブログでも触れましたが、その原作です。



震災の年の11月にプレジデント社から刊行され、1999年には角川ソフィア文庫から出版されていますが、実はこの本に目を通していませんでした。

ドラマを見て都内の主だった書店で探してみたんですが、全然ありません。角川ソフィア文庫自体が角川文庫の棚の隅の方に数冊と言う感じでは仕方がありません。角川文庫のサイトで検索すると、在庫切れで注文できずと言うことで、映像とのタイアップといえば第一人者の角川にしてはなんとも手抜かりです。

ところが先日八重洲ブックセンターに行くと、この本が平積みになっていました。
ドラマの帯もあり、奥付けを見ると1月30日に5版とあり、急遽刷ったようですが、他の書店では見当たらず、かつ角川文庫のサイトでも在庫切れのままと、どうなっているのでしょうか。



改めて目を通してみた感想ですが、時系列にいろいろなところで起きた出来事、エピソードをまとめている原作を、カメラマンを軸に再構築したことが分かります。ただ、原作ではあのカメラマンが出てくるのは新聞会館から京都新聞へ急行する時のエピソードのみ。なぜ彼が「主役」になったのでしょうね。

ちなみにドラマでは京都に直行したようになっていますが、原作を読むとハイテクパークの製作センターにまず立ち寄って、そこから丹波経由で向かったとのこと。燃える市街地を撮影したのは白川峠だそうです。

販売店のエピソードは森の赤鳥居の販売店だそうです。販売店主の犠牲はここ1件。
ドラマのクレジットに、青木と甲南の販売店が出てたので、あのあたりかなと思ってましたが、森でした。
そして「本青木」在住のカメラマンの元カノ?の話は別のエピソードを拾ったようです。

そして、あの社説を書いた論説委員長が被災した実家が本山中町だそうです。
父親が安置されたのが本山第三小学校。この学校は震災直後、多くのメディアが押し鰍ッたので名前だけは覚えている人も多いでしょう。
その本山中町の犠牲者は88人、販売店主が犠牲になった本庄町は97人が亡くなっています。



神戸新聞のサイトにこのドラマの感想を受け付けるコーナーがありましたが、やはりというか、新聞を出すことが大事なのか、といった疑問も呈されていました。
そしてなんで京都なのか、と言う声も。

しかし、15年経って、新聞を出す意味、そして今に、将来に記録を残す意味として考えたとき、確かに優先順位は低かったかもしれませんしたが、休刊せずに出し続けた意味は確かに大きかったです。
そして原作にちらりと書いてましたが、「なぜ京都か」の答えも。全国紙の大阪本社に頼るどころか、全国紙が何をしたか。

ちなみに全国紙の視点からこの震災を描いたコミックスがありましたが、あそこでさらりと書かれたエピソードと、本書で書かれたエピソード。同じような記者の奮闘に見えながら、その志には天と地ほどの差があると感じました。これは来年の「1.17」あたりで詳しく述べてみましょう。



ジャーナル社長交代

2010-02-20 01:42:00 | 書評
ジャーナルの4月号を入手しましたが、発売者の移管について何の説明もありません。
なんか最低限の説明責任くらい果たしてほしいのですが、一言の説明も無いと言うのは最悪です。

一方、別冊と旅と鉄道のバックナンバーの取り扱いを3月19日限りとすると言う告知にも驚きました。
在庫は棚卸資産とはいえ、「長期滞留」でもあるわけで、野放図に維持するわけにはいかないとはいえ、一斉絶版と言うのはさすがに驚きます。

本誌のほうは1年半は確保するとありますが、バックナンバーの維持は鉄道雑誌特有のサービスだっただけに、一般雑誌の常識に合わせにかかったとはいえ、寂しさを感じます。

そしてさらに驚きの変化がありました。
成美堂出版発売となった前号は従来通り「発行人 駐㈲I元」だったのに、今号は「発行人 深見悦司」となっています。発行所は鉄道ジャーナル社のままですから、社長が替わったということです。

3月号の際に何の音沙汰も無かった公式サイトを見てみると、会社概要のところがいつの間にか変わっており、「代表取締役社長 深見悦司」と社長交代が公式にリリースされています。

この深見氏を検索してみたところ、成美堂出版の代表取締役会長とのことで、名実ともに成美堂出版の一部門になったといえます。

ちなみに、上で触れたバックナンバーの件ですが、注文先を「鉄道ジャーナル社(営業部)」としていますが、これも2月号までの奥付に記載の組織には無かった部署であり、今回の会社概要で初めて出てきた部署です。

こうなると、いよいよ「名前だけ残った」と言う状態になった感があります。


指弾すべきは

2010-02-20 01:02:00 | 時事
バンクーバー冬季五輪、例のお騒がせのスノボ選手は8位入賞でした。
個人的には厳しく指弾したように認めたくはないのですが、入賞という最低限のハードルはクリアしたことは素直に評価せざるをえません。有力選手がいないとか、メダルには程遠いといった批判材料はありますが、それでも入賞という事実に変わりはありません。

しかし一部のメディアはもう引っ込みがつかないのか、競技後おそらく不本意で異常な精神状態であろうところを取材して、文字通り言葉尻を捉えてそれを大見出しで批判記事にするというのはいかがなものか。
朝青龍の時にも熱心にバッシングを繰り広げたメディアグループのスメ[ツ紙だけに、「敵」とみるや業績も何も見えなくなってしまったのでしょうか。これでは「新聞」の名にも値しません。

そして優等生ならいいのか、と言うとそうでもないわけで、女子のスケルトンにリュージュと、規定合格シールをはがして失格とか、重量制限オーバーで失格とか、競技外のお騒がせどころか、凡ミスで競技をさせてもらえないと言う論外の事態が連続しているわけです。

本来、競技をしに行ったのに競技をさせてもらえなかった、という自らのミスでバンクーバー行きの目的の入口にすら立てなかったことは、まさに「何しに行ったの?」であり、厳しく指弾しなければいけないのですが、スノボ騒動に目を奪われ、もっと「悪質」なアクシデントが半ばスルーされています。

この2種目は論外中の論外ですが、その他でも毎度恒例?の「その他大勢」に沈んだ選手たちもいかがなものか。一例をあげれば、「最年少選手」として脚光を浴びたスピードスケートの選手がいましたが、結果は事実上の最下位でした。

いかに「参加することに意義がある」とはいえ、いくつもの競技が「事業仕分け」で厳しく指摘を受けている現状で、この選手のようにメダルどころか入賞すら程遠い結果しか残せない選手と、それを大量に派遣している競技団体など、本業に疑義があるケースを批判しないで、本業外の騒動にご執心というのでは、スメ[ツメディアの底の浅さを感じます。













ジャーナル3月号

2010-02-14 13:11:00 | 書評
鉄道ジャーナルの発売所が成美堂に移管されたことに関して何回か書きましたが、肝心な中身についてまだ書いてませんでしたね。

特集は相互直通運転ということですが、東はJR℃・Sの直通特急2題、西は阪急と大市交の1題と実に渋いと言うかささやかです。
半分グラビアの現状解説記事でお茶を濁した感もなきにしもあらずで、羊頭狗肉っぽい内容です。

内容云々の前に記事の紙数が少ないのでは?と言う印象。そういうハンデを考慮したら内容自体はまあまあといえます。

「あさぎり」に関連して箱根高速バスへの言及がないのでは、という指摘がありましたが、「箱根」高速バスと言いながら相模西部、御殿場高速バスとして「あさぎり」を圧唐オている現状を正直に書いたら「記事にならない」と言う配慮かも、とやぶにらみ的に思ったりもします。
まあ沼津延長の意気込みと空回りと言う現実が伝わっていることで良しとしましょう。

ただ趣味誌として見た場合、「連絡急行」のネーミングに言及するのなら、準急時代の「特別準急」がまずありきと言うことくらい触れて欲しかったですね。

西の阪急、大市交は老舗ながらなかなか話題になりづらいケースだけに、良いタイミングです。
相互乗り入れ自体が少ない関西では、阪神なんば線、阪神・山陽直通特急、けいはんな、日生エクスプレスと後発のケースをその時々で話題を拾うのが精いっぱいですから。

日本縦断はまあ可もなく不可も無く。信越線高崎♂。川間はルモニ地方鉄道レメ[トの合わせ技で読ませます。
このところレベルが上がっていた「鉄道の町の記憶」は今回は松浦鉄道佐々駅ですが、かつての「要衝」と町がもともと釣り合っていなかったのか、町が廃れてから歴史が経ち過ぎたのか、掘り下げるにも掘り下げられなかった、という空振りのイメージが残りました。このあたりは事前のリサーチが必要でしょう。

来月は北海道特集だそうですが、例年5月発売の7月号あたりに北海道特集を組み、夏の旅行誘発効果を担っていたのですが、2月発売で冬の魅力と言っても、いかに冬が長い北海道と言ってももう遅い感じで、このあたりのセンスは疑問です。せめて3月号と特集を入れ替えていれば、と言う感じです。

それにしても未だに成美堂への移管が両社のサイトに出ていません。
それどころか本誌のほうには記載しなくなった会社概要(組織、サイトには社員数も)が未だに残ってますが、そこらへんのメンテナンスやディスクローズが等閑と言うのは困ります。

今回の移管に対して、本誌でもかつて数々の作品や記事でおなじみの写真家の南正時氏が自身のブログでかなり辛辣な批判と言うか訣別文をアップされていましたが、長年の読者であればあるほど今回の移管がやむなしのことだったとしても、それなりのディスクローズを読者に向いてしてほしいと言う感情が鬱積していることは想像に難くありません。

ひるがえって見てみれば、2008年ごろから裏表紙の広告が様変わりしており、このあたりから編集ではない「経営」スタッフが変化し、最終的に事実上の「身売り」に至ったのだろうと想像しますが、途中経過はともかく、雑誌コードの変更も含めてその結果に対する説明責任が果たせないようでは、2010年2月号を最後に「鉄道ジャーナル」という雑誌は「消えた」と考えざるをえません。


事後法ではないのか

2010-02-14 12:37:00 | 時事
前に検察審査会の対応が一事不再理の原則に抵触するのでは?と批判した際に、時効の撤廃との組み合わせを一つのリスクとして提起したわけですが、その時効の撤廃に関して、現在進行中の時効に対しても遡及適用する方向だそうです。

「逃げ得は許さない」というのは十分理解できる社会正義であり、当然と思う人がほとんどでしょう。
しかし、一事不再理の原則を定めた憲法39条は同時に事後法の禁止も定めています。
「犯行」当時に犯罪で無かったものを後からの法改正で犯罪として処罰することはできない、という原則ですが、今回の遡及適用はこの原則に抵触しないのか。

これに対しては、処罰対象となる行為自体は殺人など既に犯罪とされており、刑罰も変更が無いのだから事後法には当たらないと言う批判があり、それが通説化しているようです。




しかし、刑訴法と言う手続法の変更は本当に事後法にならないのか。
こういうと批判を受けるのは必至ですが、人が故意に犯罪を犯す時の心理を慮ると、そこには刑罰と同時に時効の存在も存在するでしょう。

刑法事案ではないですが、「飲み屋のツケは1年で時効」、と言うのは有名ですが、それによる「逃げ得」を期待する向きは少なからず存在します。
このケースで、もし「飲み屋のツケに時効は無い」となったらどうでしょうか。おそらくそうした不心得者は激減するでしょう。

もちろん社会正義に実現という立場に立てば、非常に歓迎すべき話ですが、ここで問題視したいのは、「時効」は「刑罰」同様に犯罪者を罰するツールの一部となっており、事後的な時効の変更の適用は刑罰の重い方向への変更が許されないのと同様に認めるべきでないということです。

憲法学者の間でも、手続法の変更が被告人にとって不利益に作用するような性質のものであるときは、遡及適用は憲法39条違反と解する人もいるわけです。
「犯行」当時違法だったら問題無いと言う話にしても、憲法39条が事後法一般とせず、「適法であった行為」と定義しているにしても、それは実体法はもちろん、実体法と密接な関係を持つ手続法規定の場合(公訴時効や挙証責任規定)に妥当するとしており、今回の「遡及適用」は疑義があるとしか言えません。

時効の撤廃については、「逃げ得を許さない」と言う観点からは歓迎すべき話ですが、一方でそうした大きな方針変更はやはり法改正以降の犯罪に適用すべき話でしょう。
「悪い行為なのだから」という一見正論のような意見も、要は主観的規範で原則が変更できるという前近代的な発想や人民裁判的な発想と大差がないわけで、近代国家の原則とは相容れません。

ちなみに、こうした遡及適用を容認する場合、例えば事後法を容認するとしたら、いわゆる戦争犯罪に対する裁判は全然オッケーですし、時効進行中の事案が法改正でその期限を変更・撤廃できるのなら、アメリカの著作権法の期限延長もこれも全然オッケーと言う結論になるはずです。

この2つの事案に対して異を唱えながら、刑法犯の時効延長、撤廃の遡及適用に賛成するのであれば、きちんと整合性のある理論が必要ですし、私が敢えて社会の大多数の感情を損ねるような意見を述べているのも、一つ一つは正論に見えても、全体で整合性が取れないというこうした矛盾への疑問なのです。