秋篠宮殿下の誕生日会見での質疑内容が議論を呼んでいます。
ここで問題としたいのが大嘗祭の公費負担であり、内廷費で賄うべきという殿下の発言の是非です。なお、宮内庁が聞く耳持たないというくだりは、おそらくそうでしょう。皇位継承の問題から何まで、はっきり言えば皇室、皇族の意見を蔑にしてきた先例を見れば、「貴重なご意見ありがとうございます」的な塩対応だったのでしょう。いや、慇懃に対応したというのでしょうが、絵に描いたような慇懃無礼だったのでしょう。
それはさておき、大嘗祭を公費負担とするか否か。現実的な話をすれば、3億円程度の内廷費で全てのスケジュールを賄えるのか、という問題になるわけで、「出来る範囲」というのは聞こえはいいですが、それで「伝統」が保てるのか、という問題が不可避です。
出来る範囲、というと聞こえはいいですが、要は「出来ない」と同義になることに注意すべきでしょう。大嘗祭は「天皇」の要件としての一つなのです。もちろん大嘗祭をしなかった天皇は過去に少なくないですが、「半帝」と呼ばれた例もあるわけで、伝統に基づく行事として考えた際、それを欠くことは由々しき結果を招きかねません。
もちろん後醍醐天皇のように「朕が新儀が未来の先例たるべし」と変更する考え方もありますが、「天皇」をなぜ象徴として仰ぐのか、と考えたとき、それこそ女系継承論と相似形になりますが、「天皇の要件」をどう考えるのか、という話になりますし、なぜ憲法の例外ともいえる「天皇」がいるのか、それは「天皇」だからであり、「馬の骨」ではなり得ない、というところにダブルスタンダードが生じかねません。
殿下のお気持ちは分かりますが、今回ばかりはそれがご自身の基礎を揺るがす可能性があるということに気付いて頂きたいものです。また、国費支出にしても、大嘗祭という儀式そのものが少なくとも7世紀中盤にはその姿が見え、10世紀の延喜式で確立した「伝統行事」であることに鑑みると、「文化」としての意義も大きく、国費支出の意義をそこに求めることも可能でしょうし、「出来る範囲で」という選択肢は無いと考えたいです。
一方で今上天皇の際の22億円は妥当だったのか。悠紀殿、主基殿からなる大嘗宮の造営に14億円というのがその大半になりますが、そこは儀式の本質を守りつつも、過去の例を見ながら「あるべき姿」を構築することを通じて、殿下のお気持ちも充足できると信じます。
大嘗宮の造営や儀式そのもの以外の部分にかかる費用は少ないですが、それでもそこそこの金額になるはずで、お相伴に与るような「出席者」は極小化するというのは一つの落としどころでしょう。既に出席者を200人削って700人程度にするとアナウンスされていますが、それでも多いでしょう。
ここで問題としたいのが大嘗祭の公費負担であり、内廷費で賄うべきという殿下の発言の是非です。なお、宮内庁が聞く耳持たないというくだりは、おそらくそうでしょう。皇位継承の問題から何まで、はっきり言えば皇室、皇族の意見を蔑にしてきた先例を見れば、「貴重なご意見ありがとうございます」的な塩対応だったのでしょう。いや、慇懃に対応したというのでしょうが、絵に描いたような慇懃無礼だったのでしょう。
それはさておき、大嘗祭を公費負担とするか否か。現実的な話をすれば、3億円程度の内廷費で全てのスケジュールを賄えるのか、という問題になるわけで、「出来る範囲」というのは聞こえはいいですが、それで「伝統」が保てるのか、という問題が不可避です。
出来る範囲、というと聞こえはいいですが、要は「出来ない」と同義になることに注意すべきでしょう。大嘗祭は「天皇」の要件としての一つなのです。もちろん大嘗祭をしなかった天皇は過去に少なくないですが、「半帝」と呼ばれた例もあるわけで、伝統に基づく行事として考えた際、それを欠くことは由々しき結果を招きかねません。
もちろん後醍醐天皇のように「朕が新儀が未来の先例たるべし」と変更する考え方もありますが、「天皇」をなぜ象徴として仰ぐのか、と考えたとき、それこそ女系継承論と相似形になりますが、「天皇の要件」をどう考えるのか、という話になりますし、なぜ憲法の例外ともいえる「天皇」がいるのか、それは「天皇」だからであり、「馬の骨」ではなり得ない、というところにダブルスタンダードが生じかねません。
殿下のお気持ちは分かりますが、今回ばかりはそれがご自身の基礎を揺るがす可能性があるということに気付いて頂きたいものです。また、国費支出にしても、大嘗祭という儀式そのものが少なくとも7世紀中盤にはその姿が見え、10世紀の延喜式で確立した「伝統行事」であることに鑑みると、「文化」としての意義も大きく、国費支出の意義をそこに求めることも可能でしょうし、「出来る範囲で」という選択肢は無いと考えたいです。
一方で今上天皇の際の22億円は妥当だったのか。悠紀殿、主基殿からなる大嘗宮の造営に14億円というのがその大半になりますが、そこは儀式の本質を守りつつも、過去の例を見ながら「あるべき姿」を構築することを通じて、殿下のお気持ちも充足できると信じます。
大嘗宮の造営や儀式そのもの以外の部分にかかる費用は少ないですが、それでもそこそこの金額になるはずで、お相伴に与るような「出席者」は極小化するというのは一つの落としどころでしょう。既に出席者を200人削って700人程度にするとアナウンスされていますが、それでも多いでしょう。