Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

アカデミズムと民主主義

2015-09-30 23:06:00 | ノンジャンル
日曜日の朝日に、安保法制を「違憲」とする側から、憲法学者の結束を舐めるな、という趣獅フ談話が掲載されていました。要は政治が司法を軽く見ているが、憲法学者のネットワークでは違憲で固まっているんだぞ、と言いたいようです。

まあ違憲立法審査権というように、憲法違反の立法は許されないと言うのが我が国の法体制ですが、違憲立法審査権があるのは司法府であり、憲法学者ではありません。少なくとも現時点では司法府による有権解釈はなされておらず、であれば国民の代表である立法府の行動に「憲法学者」という権威を傘にプレッシャーをかけることは妥当かどうか。

あるいは憲法学者が違憲立法審査を行うとか、立法を左右することをそれが例え結果としてであっても是認することが妥当なのか。
間接民主主義である議会制民主主義の我が国において、主権者の代表(で多数)である立法府の決定に対し、主権者が選挙でそれを覆すに足る「政権交代」を選択するか、司法府が違憲立法審査権を行使する以外に本来否定することはないはずです。

憲法学者というアカデミズムが政治を左右する。その時点でアカデミズムの態度が自家撞着になるのですが、彼らは気付いていないようです。アカデミズムというか、反体制派によるありがちな、「良い○○」「悪い○○」(○○は本来「悪」とされる行動等)という詭弁も思い出します。

アカデミズムが本来「政治」が決めるべき分野を左右する、いや、事実上決定する、ということは残念ながらあらゆるジャンルで見られることですが、立法へのプレッシャーおよび司法への働きかけと見られる安保法制はある意味異例で、実際には行政がアカデミズムと組んで選択肢を限定して立法府に形ばかりの審査を迫る、あるいは行政裁量の範疇で処理してしまう、というケースも目立つわけです。

「民主主義は死んだ」と反対派は騒ぎますが、立法府の多数決という民主主義の根幹を否定する、圧力をかける、骨抜きにする、ということが民主主義の「死」であり「否定」でしょう。

余談ですが、憲法を安易に改正させない、安定性を求めるために、改憲には国会の2/3の議決を要していますが、その後の国民投票では過半数で成立します。このとき、国民の「65%」が必要と認識している法律が「違憲」の場合、国民の「35%」に従わされることになります。
有名な違憲立法審査権の決定と言えば尊属殺人罪がありますが、過去の価値観での刑法の規定であり、違憲判決が出た当時の国民の意識と合致しているとはいえない状況でしたが、それに対して、足下の国民の意思である新規立法を違憲として否定することはどうなのか。

極論すればそれは民主主義ではなく憲法主義である、ともいえるのですが、そこに合理的な回答を憲法学者は提示することができるのでしょうか。



秋場所が終わり

2015-09-30 23:05:00 | ノンジャンル
秋場所が終わりました。鶴竜が横綱昇進後初の優勝、という結果でしたが、日馬富士に加え、白鵬も途中休場というドッチラケ場所ですから、出場力士で最高位なんだから当然でしょう。しかしそれが最高位らしく磐石でなかったわけで、3敗という星に加え、2度の注文相撲、千秋楽本割での手負いの照ノ富士に完敗、と、横綱相撲とは程遠い内容には、やはりせいぜい大関の器でしょう。

器という意味では照ノ富士は逆に立派でした。怪我を押しての出場は今後を考えると疑問でしたが、そこまでは磐石で、地位が人を作ると言いますが、優勝とはいえ内規に照らすと甘い昇進は時期尚早という声を完全に吹き飛ばす内容です。

残る大関はがっかりとしかいえません。負け越した豪栄道は論外。関脇以下なら三役定着も出来ないエレベーターになるような星勘定では、鶴竜の相撲内容と合わせて、番付の「デノミ」が必要では、と冗談の一つも言いたくなります。
三役も不満が残る内容で、2横綱不在というのに存在感を示せませんでした。暴れたのは平幕の嘉風と勢ではねぇ。
ちなみに勢は終盤上位に当たるとまだまだ、というのが微妙ですが、一皮むけたか、と言うところで大負けした前回の借りを返せるか。そろそろ上位に定着できないと先が見えてきてしまいます。



そんな回転寿司が昔あった

2015-09-25 00:31:00 | ノンジャンル
大阪の街をカンバスに見立てるアートイベントという触れ込みで10月に開催される「おおさかカンヴァス2015~たたかう件p祭」の記事を見ましたが、道頓堀川を「レーン」に見立てて回転寿司のオブジェを浮かべて流す作品が出ていました。

なるほど、考えたな、と思う反面、これって昔あった「流れ寿司」じゃない?と思いました。

昔、コンベアの代わりに水路として、桶に入れた寿司皿が浮かんで回る回転寿司がありましたが、今回のオブジェは桶こそありませんが、水の上を回る寿司という意味では「流れ寿司」の発想です。

おそらく見る人のうち何人かは「昔こんな回転寿司があったね」と感想を漏らすのでしょうが、製作者はそこまで知っていたのかどうかでしょうね。


年寄りの違和感

2015-09-24 23:36:00 | ノンジャンル
スコットランド戦は「一瞬の隙」の浮ウ、そしてメンタルの重要性を思い知る試合でした。
中3日での疲労を理由に挙げる人も多いですが、終了間際の連続攻撃を見ればそれは言い訳の域を脱しないわけで、あのターンオーバーの直前まではスコットランドのほうが足が止まっている、というコメントもあったくらいですから、メンタル的なものが大きいように思います。

ドライビングモール、縦突進で相手陣内へ突き進む試合展開を見ると、これがジャパンの試合か、と目を疑うほどです。逆にオープンに回すとあまりゲインを突破できないというのも異色で、展開で揺さぶるスコットランドのパス回しのほうがかつてのジャパンに似ています。
このあたりは外国出身選手が多いことで、体格的不利を克服していることも大きいですがその外国出身選手のほうが「日本のオッサン」に近い、というのもご愛嬌です。特に主将のリーチ。あれよりエスニックな日本出身の日本代表はいくらでもいたわけで、素直に「ジャパン」として認めないといけませんね。

ところで、いつからでしょうね、ジャパンを日本代表というようになったのは。その昔はチームは「ジャパン」で、選手を指す時に「日本代表吉田」と言う使い分けが主流だったように記憶しているのですが、今はチームも「日本代表」と呼んでいます。

あとはグラウンドを「ピッチ」と呼ぶアナウンサー。サッカーW杯を招致していた頃に、サッカーは世界のスメ[ツだ、と布教?していた勢力が、サッカーではグラウンドのことをピッチと呼ぶ、と紹介し、なんか本場っぽいね、ということで広まった用語ですが、ラグビーで「ピッチ」というかは別の話です。桜のジャージでピッチに立つ、なんてフレーズは聞いたことが無いわけですが、これも広まるのでしょうか。

ちなみに昨夜の中継、日テレですが、反則やその後のプレー選択、得点などの解説が表示されるのはいいですね。「水着美女のルール解説」でミソをつけた日テレですが、これは素直に評価です。出来るなら「何番の選手が」と即興で表示できればいいのですが、密集だと分かりにくいですし、現地製作の画面に「ここが反則」と矢印なんかの「書き込み」も難しいでしょうから、これが精一杯でしょうね。
まあ昨日は分かりやすい反則が多かったので、表示で合ってるかを確認する楽しみもありましたが。